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「マウント」という言葉の虚しさ


マウント取られた 

あの人マウンティングすごいよね

よくある感想ですが、わたくしはこの言葉に虚しさを感じます。たしかに、自己主張の強い人はいますし、マシンガントークを一方的に聞かされるのはしんどいところがあります。また、会話の中にうっすらと自慢を織り交ぜてこられると、小さなストレスが聞かされる側に降り積もっていきます。しかし、それを「マウントを取られた」で片付けてしまうと聞かされた側が被害者になり、話している側が加害者になって終了です。なんか虚しくないですか?
人間は1人では生きていけないので、毎日の生活を過ごすだけでも何らかの影響を他者に及ぼします。したがって、ぼくも誰かに影響を及ぼしてしまうし、知らぬ間に何らかのマウントを取っているはずです。なので、ぼくは人からマシンガントークを浴びせられても、うっすら自慢を織り交ぜられても「マウントを取られた」と思わず、「この人も一生懸命に生きてるな」と思うようにしております。ちょっと平和。



わたくしの自宅の周辺は夜になるとカエルがゲコゲコ鳴いています。
カエルによるマウンティングです。
間違えました。カエルたちによる「オレはここにいるぞ!」という題名のロックンロールでありブルースでありヒップホップです。

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