よくわからない


高校生の頃。父方の祖父の七回忌だったと思う。
父方の実家に集まって、みんなで輪になって座り、食事をしながら歓談する時間があった。

そこで、祖父の弟が戦争の話をし始めた。
といってもその口調は非常に軽やかだった。木の上でおにぎりを食べてたら、目の前を銃弾が掠めて、驚いて木から転げ落ちた、という話だった。
その場で爆笑が起こった。話した本人も笑っていた。
本当に、まるでただ懐かしい面白エピソードを話すような、そんな雰囲気だった。

今でもそのときのことを思い出す。
僕は笑わなかった。笑っていい話なのかわからなかった。

毎年この時期になると、沖縄戦の凄まじい記憶たちが、目の前に次々とやってくる。
それらを見るたびに、僕は泣きそうになる。というか一人だと泣いてる。沖縄県民の話だろうが、県外や国外からやってきた人達の話だろうが、とにかく涙が出る。

でも正直、なぜ泣いてるのか、何の涙なのか、未だによくわからない。
痛みとか悲しみとか、怒りとか苦しみとか、とにかく色々混ざった感情なのだと思う。多分。

情けないことに、わからないことだらけだ。
沖縄戦のことは僕なりに色々勉強してきたつもりなのだが、なぜ祖父の弟は笑ったのか、なぜ僕は泣くのか、そんなことすらわからない。


小学生のとき、学校の宿題で、おじいちゃんかおばあちゃんに戦争の話を聞いてくるというものがあった。
話したくなさそうなら別にいい、という条件付きだったのを覚えている。

その頃は祖父は存命だったのだが、色々と都合が合わず(祖父も長話ができる状態ではなく)、代わりに親に聞いてもらった。孫が直接聞くことに意義のある宿題だったのかもしれないけど。

祖父は少年部隊の隊長をしていた。地上戦が始まるまでは、学校で竹槍の訓練などを主導していた。地上戦が本格的に始まって、隊員の何名かが(つまり子供達が)目の前で死んでいった。そんな話だった。

その話を、祖父がどんな感情で、どんな表情で、どんな口調で語ったのか、残念ながらわからない。

戦争はダメだ。何がなんでもダメだ。だから僕たちは、戦争の記憶やその痛みを、ちゃんと覚え続けて、伝え続けなければならない。戦争はダメだとちゃんと言い続けなければならない。
それだけはハッキリとわかるのだけれども。



勉強不足でごめんなさい。でも勉強し続けようと思います。
戦争で亡くなった皆さんの、天国での静かで豊かな暮らしを祈ってます。

毎年の黙祷のとき、心の中で思っていることを、届いているのかよくわからないので書いてみました。


あ、届いてるかもよくわかってないんだね俺。でも届いててほしいな。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?