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算命学余話 #U85「矛盾のからくり」/バックナンバー

 惑星科学者、松井孝典教授の視点が興味深いので引き続き取り上げます。物事の本質から離れない松井教授の思考を通して書かれた著書は、どれを読んでも同じ内容と同じ結論に帰結するのでいずれの著書から入っても構いませんが、『コトの本質』に続いて『宇宙人としての生き方』を読んだ私が算命学の立場から大変参考になると痛感するのは、宇宙の始まりとされるビッグバンから現在に至る宇宙と地球と生命の辿った道が同一線上にあることであり、人類が誕生する遥か昔から続くその法則性つまり本質にあっては、宇宙に漂う無形の物質から我々人類の行動原理に至るまで、これを逸脱することはないということです。

 その法則性とは、混沌から分化へ向かうという方向性であり、別の表現をすれば高温から低温へと冷却される過程だということです。詳しくは教授の著書を読んで頂きたいですが、簡単に述べるとすれば、たとえば水は熱すると蒸発して気体となり、冷却すれば氷になります。宇宙に存在する物質も同様に高温では原子や分子といった微細なものが混ざり合った状態であり、やがて冷えていくと沸点の高いものから液状化し、気体のものとは分かれていく。分化です。更に冷えると液体は個体となって凝結し、やはり融点の違いによって液体と固体が分化する。融点や沸点の違いは、それぞれの物質の性質の違いの表れです。超高温だった原始宇宙は今も続く膨張により徐々に密度を低めていく過程で次第に冷却し、物質は同族同士で集まり分化が進みます。これが天体の誕生です。
 同様のことが太陽系にも当てはまります。太陽は水素爆発を繰り返して輝くうちに徐々に冷え、かつて圧倒的に優勢だった水素がヘリウムと分離しはじめたのが現在の太陽だということです。地球に至っては、太古はドロドロに溶けたマグマ玉であり、次第に冷却する過程で岩石や鉱物が分かれ、地殻ができ、更に冷えて水が溜まって海が出来た。海の中で更に分化した有機物が生物となり、更に分化して陸地に上がる生物が生まれた。単純なつくりだった生物はやがて複雑な多細胞生物へと分化し、我々人間の体も指や爪、目玉や耳、臓器といった互いに取替えのきかない分化の集合体であります。また生殖には雌雄の分化も見られます。
 このように歴史とは、宇宙であろうと地球であろうと生命であろうと、この世に存在する以上はすべからく冷却の歴史であり、分化の歴史であると、松井教授は語ります。私もまったくその通りだと納得した上で、宇宙物理学とはおそらく無縁だったであろう昔に生まれた算命学の思想と比較してみます。

 陰陽五行説で組み上がった算命学の基礎は、陰陽が交互に織りなす二元論と、五行説による循環論です。五行説は木火土金水の順番に物質が推移していく揺るぎないサイクルを表し、この順番は不動です。ここに宇宙史を当てはめると、ビッグバン当時の超高温宇宙、或いは星の誕生時の高温太陽、或いは地球のマグマ玉は、いずれも火性優勢とみて火性に当てはめます。炎が燃え尽きた後の燃えかすが土となるという理屈から、火性の減衰により次の土性の時代が訪れますが、これもまた冷却宇宙なり地球なりが沸点・融点の高いものから分化して固まり、地球においてはマグマ玉から岩石惑星へと変遷するのと合致します。
 岩石(=土性)まで来ればもう次は金属です。製鉄を思い浮かべれば想像しやすいですが、鉄鉱石を加熱して鉄を分離させて冷やせば純粋な鉄が取り出せます。土が固まって岩石となるというのが五行説の考え方ですが、岩石にも土に近いものと鉱物として純度の高いものとに分かれますから、厳密な化学式には当てはめません。漠然と、地上に曝されているものが土、圧を受けて地底深くに沈み凝結しているのが金属、という捉え方で良いかと思います。
 そして最後が金性から水性への移行です。製鉄や製銅には千℃を越える火力が必要ですが、それは鉄や銅の融点が高いからです。水の融点は零℃、沸点は百℃といずれも大層低く、水蒸気が水に姿を変えるには相当冷却されなければなりません。算命学が認める水性には氷も含まれますが、液体としての性質が重要なので凍った水を善しとはしません。太陽熱の影響を受けやすい地上にある水はすぐ蒸発したり凍ったりと安定しないので、安定するには地中深くに潜っているのがいい。そこには低温で凝結した金属が眠っている。安定した水は金属に守られている、という発想から金性は水性を生じるとしているのです。

 ここまでは宇宙の冷却史と五行説がよく合致しているのですが、問題はこの先です。木性とは一体何なのか。五行では水が樹木を育むという観点から水性の次に木性が来るのですが、この水から木への回帰にはやや障害があるという話は、癸の終焉について取り上げた余話#U81を参照下さい。
 ここまで話してきてやや唐突かもしれませんが、今回の余話のテーマは前回に続き矛盾についてです。前回は玄番なので購読に二の足踏む方も多いかと思いますが、前回を読んでなくても判る内容です。鑑定技法の話ではなく、思考トレーニングの話になります。宇宙に連なる生命史において最終形態ともいうべき、水の惑星たる地球に繁栄する植物が、五行説ではなぜ筆頭に位置しているのか、なぜ水性から木性への移行には段差があるのか、そういった疑問について、答えのない答え探しを試みてみます。

 松井教授の主張にちょっと立ち戻りますと、地球環境問題における解決策を見つけあぐねている人類のそもそもの間違いは、環境の変化を汚染と呼び、そこに善悪を当てはめて倫理問題としている点だといいます。人間に興味がないと明言する松井教授の科学者としての冷めた視点は、善悪を問わないことを前提に組み上がった算命学の基本精神と非常に親和的です。そもそもビッグバンに善悪があったでしょうか。物質の集合と凝結に、天体の冷却に、ドロドロしたマグマに、陸地に顔を出した原始生物に、善悪の区別があったでしょうか。あるわけがない、だから彼らが辿った延長線上に立つわれわれ人類も、善悪で歴史の必然を論じるべきではないというわけです。

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