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算命学余話 #U41「時代の潮流と五徳を考える」/バックナンバー

 2、3年くらい前だったと思いますが、尖閣や竹島の問題で日本はもっと強い態度で当たるべきとマスコミが煽っていた折、作家の瀬戸内寂聴がその当時の世相を「戦争礼讃が世間を圧倒していた昭和17年頃の空気に似ていてとても怖い。自分は長く生きているからそういうのが肌で判る」と語って年若い論客らを黙らせていました。老人の力はこういう時こそ発揮されます。長く生きるということはそれだけ経験を積んで知識が豊富だということなのです。
 人体図において老人は頭部、方位は北、時間は過去、意味は知恵と分別です。知恵は過去から受け継ぐものなので、老人の意見をないがしろにする人間は知恵を得られません。また老人になっても知識や経験を得ていない者は、知の陰転として愚昧に苦しむことになります。こういう老人は生き方がまずかったので尊重する必要はないですが、尊重すべき老人とそうでない老人をどうやって見極めるかといえば、人相見でもない限りその言動で推し量るのが一番手っ取り早い。知の究極は悟りです。悟りを得ているかそれに近付いている老人ならば学ぶべき人間の知恵が備わっている、と見るのが算命学の考え方になります。要するに欲望に振り回されず言動にブレがないといったところが、老人に限らずひとかどの人間を判別するざっくりした基準になるわけです。

 マスコミの動向や政治家の煽動に流されやすい今日の社会に対して老人の知恵を吐露する西部邁氏が支持している若手思想家、中島岳志氏の著書『血盟団事件』を読んでおりますが、この事件が起きた1932年当時の雰囲気もまた寂聴氏の云うような「怖い」流れに世相が乗っている感があり、同じく今日の日本の状況に非常に似ている感があります。興味のある方は本を読んで頂くとして、事件の首謀者に当たる井上日召とその弟子たちはもともとは学識も向上心もある良き青年で、社会の矛盾や不条理に気付くだけの知性があったばかりに既成の社会システムで大人しく生きることができず、結果的にテロ行為に走ることとなった。時代の閉塞感、勝ち組と負け組の格差、負け組が這い上がれない社会的硬直、若者の純粋な疑問に対して真剣に答えてくれない大人たちの不誠実などは、井上が青年であった日露戦争の頃からあったのであり、今に始まった新しい現象ではないことが描かれています。従ってこうした歴史的事件を学ぶことによって、我々現代人は先達から喫緊の課題に対抗する何らかの知恵を授かることができるわけです。

 事件後の井上は収監され、戦中に出所してその後も長く生きますが、その妻と娘は極貧に喘ぎ、社会のための活動に没頭して家庭を顧みなかった夫を恨んだようです。前回の余話では却法局を紹介しましたが、井上の人生は却法局を思わせるものがあったのでちょっと採り上げてみました。却法局は意志の強さが特徴で、その意志を貫くことで幸福感を得るものですが、それはあくまで本人の幸福感であり、家族や周囲の幸福とは必ずしも一致しません。幸福という概念の捉え方については人それぞれと考えてもよいのですが、突き詰めると結局五徳のバランスの話に落ち着くので、今回はこの辺りについて考察してみます。

 『血盟団事件』を読み進んでいると、当時の人と現代人との大きな違いは、人間がより優れた人間に対して価値を見出しているという辺りではないかと考えさせられます。社会の矛盾に気付くほど聡明で真面目な若者は、この種の悩みに何らかの解決を示してくれる知識のある人や考えの定まっている人を求め、そういう人物に出会うと「この人だ」とばかりに心酔する。こうした優れた人物の数は昔も今も大して変わらないと思うのですが、仮に運よく出会ったとしても、現代人は当時の人間のように容易に傾倒したりはしないような気がします。
 それはなぜかと考えるに、まあ情報の溢れる現代においては判断する前にいろいろ情報を集めて分析できますので、結論を下すこと自体が慎重になりやすいという理由もあるでしょうが、シビアな算命学の理論を借りるなら、現代は結局のところ物質的に豊かだということであり、物質的充実は禄の充実ですから、禄と相剋する福や印は相対的に減退しているのが現代日本だということになります。

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