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算命学余話 #U105「過ぎたるは及ばざるが如し」/バックナンバー

 年末になると日本はマスメディアに限らず「今年一年を振り返る」という恒例のルーティーンに染まる。報道は今年世間を騒がせた事件などをランキング形式で並べ出し、今年活躍したスポーツ選手のファインプレーや今年亡くなった著名人などをメドレー編集して放映する。身近な例では忘年会に参加して、一年を総括したり労ったりする文句を音頭にみんなと乾杯する。年が明けたら明けたで新年の抱負とかを述べ合ったり、一年の目標を立てたり書き初めをしたりする。これは勤勉で健忘症な日本人の特徴であり、余所の国では年末年始にこうした習慣は稀である。一年の区切りを宗教行事に当てている地域なら、地球の自転に基づく一年の終わりや始まりを重視することはなく、聖人の記念日だとか、せいぜい春分や夏至の時期に気候にちなんだ祭りを行うくらいだ。それはあくまでアニバーサリーであり、終わりも始まりもなく、ましてや総括も抱負もない。

 終わりとその直後に訪れる始まりを過度に意識する、更新に意義を見出す、それが日本の文化であると私は考えています。それは算命学的な循環思想に合致しています。
 四季は途切れることなく巡るものでありながら、一年経つとまた少し違ったものへと改まっている。人間の細胞は生まれては死んでの繰り返しで、それが体のあちこちで少しずつ行われているため人間が自ら変化を意識することはないけれど、数年もすれば体の半分は以前とは別物の細胞に入れ替わっている。本人でありながら、以前の本人とは違っている。
 新陳代謝で人間はわずかずつ変わっていく。自然も変わっていく。干支は一年ずつ進行して変わっていく。大運は十年ずつ変わっていく。旧いものは滅びるのではなく改められる。廃屋は放置されればされるほど荒廃が進むが、古い建物でも手入れを続ければその都度新しく甦り、寿命を延ばすことができる。更新は再生であり、一年のめぐりは単なるパターンの繰り返しではない。そういう意識から、日本人は年末年始で一年を振り返ったり、次の一年の展望を気にしたりする文化を発達させたのではないでしょうか。
 それは自然の中で、自然に依拠して生きる人間としては、まさしく自然な姿です。そして自然を含む周囲という世界に対し、やさしい態度です。古くなったからといって捨てずに修理して再生しようとする、今の時代に合うよう活用しようとする、「もったいない」精神の生まれた土壌がここにあります。

 近年は使い捨て製品が大量に出回る社会となって、物を次々と捨てることに日本人も抵抗がなくなってきました。医療衛生用品なら使い捨てで正解ですが、衣類や道具などは使い捨てられることが前提となっているような安くて粗い作りのものが出回り、すぐ壊れるものだから使用する方も惜しみなく捨ててしまう。こういう習慣が日本人の本来のやさしい心を荒ませる一因となっているのではないでしょうか。
 私は常々日本製品の職人気質的な丁寧な作りを称賛して、途上国の安価な製品を3つ買うよりは、多少高くとも日本製を1つ買った方が長く使えて却って経済的だし、愛着も湧くし、なにより物を安易に捨てない心を育てると、国産のススメを物心両面から提唱しております。安さが取柄の物を、人は大切にしません。物を大切にしない人は、人間をも大切にしないでしょう。バーゲンセールに命を懸けたり、いかに安く手に入れたかを自慢したりする人は、もうそれだけで人として欠陥品です。こういう人と付き合っても大切な人間関係は築けないので、出会っても相手にしないか距離を置くのが賢い交友術であると考えます。

 とはいえ、日本人のやさしい性質にも苦言はあります。壊れた関係性を再生するために日本人はよく「水に流す」ということをします。要するに忘れる。必殺、健忘症です。総括したら忘れていいことになっている悪しき習慣「忘年会」。前回の余話では、「法律が許しても自然は許してくれない、次世代まで追ってくる」というこの世の摂理を述べましたが、許してくれないということは当然忘れてはいないということです。「忘却」についてはさまざまに思うところがあるのでここでは掘り下げませんが、シベリア抑留十年の囚人キャリアと深いロシア理解を柱に容赦のない著作を多く残した思想家、内村剛介がこんなことを云っているので、参考までにご覧下さい。

…思い出は美化に連なる。美化はだから、罪悪に連なり、しかも悪いことにこの罪悪を合理化しさえする。日本人の場合特にそうだ。罪の美化――これより重い罪はなかろう。忘却が美を助ける。してみれば、ものを忘れるということは罪か。(『生き急ぐ~スターリン獄の日本人』より)

 愛憎さまざまあった一年を総括して、まるく収める。本当はまるくなど収まりきらないのに、無理やり収めて水に流し、新年を穢さないようにする。これをやさしさと取るか罪と取るか、正解はないので皆さんも頭を捻ってあれこれ考えてみて下さい。
 今回の余話のテーマは、「過ぎたるは及ばざるが如し」です。前回の余話#U104では、使っていない星などない方がマシ、という論を展開しましたが、これに関連して、「ありがたい星は多ければ多いほどいいのか」という話に広げます。副題からしてもう答えてしまっているようなものですが、自分の命式はありがたいものばかりだ、と安心している方には冷や水をかける内容です。

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