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サプリメントは濃縮物

 コレステロールを抑えると謳った紅麹サプリメントの服用で腎臓障害が出た事件の報道が続いているが、報告されている死者は高齢者ばかりであるので、算命学者としてはこれを老衰の範疇と見做している。平均寿命ではなく健康寿命を判断基準に考えれば、立派な自然死と考えて差し支えない。だから事件とは見做さない。同じロットのサプリを服用しても発病しなかった人の方が圧倒的に多いということは、そういうことである。彼らは自己免疫が働いたお蔭で内臓を痛めなかったし死にもしなかった。発病したのは自己免疫が加齢によって低下していた人、とどのつまりは既に棺桶に片足を突っ込んでいた人なのだ。
 今回のサプリは「未知の成分」が含まれていようがいまいが、既に健康増進を見込めない状態だった老人を墓場へ向けてひと押ししただけであり、もっと言うのなら、このサプリを飲まなくとも別のひと押しで同じ結果を招いただろう。だからと言って製薬会社が製品管理を怠ったのなら責任は問われるべきだし、改善するのは当然だが、死因がサプリだけだという考え方は誤りである。そもそもコレステロールを抑えたくてサプリを飲んだからには、既にコレステロール値は高かったわけで、つまり健康ではなかったのだし、可能性としては生活習慣病すなわち不摂生な日常生活の蓄積が疑われ、それは自己責任に帰すること大である。不摂生な日常生活が享楽(暴飲暴食の類)によってもたらされたのなら、尚更自己責任であって、その死は自殺と大差ない。強いられた死ではなく自分で選んだ死であるのなら、同情には値しない。

 これが算命学の自然思想から導き出される寿命論である。世間の死生観や倫理観とは随分違うので炎上しかねない内容だが、幸い宇宙人は公人ではないので、誠意を以って自由に発言しよう。
 誠意を以って言おう。結果に対する原因がたった一つということはあり得ない。複数の原因が折り重なった上に結果が乗るのである。一つくらい左を向いた原因があったとしても、他の要因がこぞって右を向けば押し戻してくれるので、惨事にまでは至らない。惨事に至るのは、その他の要因たちからも等しくそっぽを向かれたからなのだ。そして人の死は、たとえ横死に見えたとしても等しく自然死なのであり、「誰かのせいで死んだ」のと同程度に「自分自身の生き方のせいで死んだ」のだと言えるのである。

 何を言いたいかというと、現代人は「人のせい」にし過ぎだ。奇しくも先日依頼人に「あなたが人格を落とすとしたら、それは誰かのせいにした時だ」と助言したのだが、この依頼人に限らず、算命学の理論から言うと、自分の身に降りかかる災厄は、どこかの悪人のせいではなく、自分自身が招くものなのである。
 仮に、実際に悪事をなす人がいて、その人物の所業によって人が死んだとする。人間は警察や司法や武力によってこの悪人を捉えて懲らしめようとするが、それは彼らの職務や正義感の充実が彼ら自身の宿命消化に必要だからそうするのであるし、悪人もまた自身の宿命消化をするためにたまたま殺人に至ったのであるし(他の方法で消化するという手もあったはずだが)、命を落とした人もまた自身の生き方の結果としてこのタイミングで死ぬべく宿命消化をしたのである。ここで挙げた三つの要因が揃わなければ、この人はここでは死ななかっただろう。だから悪人だけが悪いとは言えない。原因はいくつか折り重なって結果を出すのだから、死んだ本人にも原因はあるし、警察や法律に関わる人々の平時の営みもまた原因の一端であるはずなのだ。

 算命学はこのように考えるのだが、世間の理屈や道徳と比べて、どちらがより真実に近いと皆さんは感じますか。私などは、そもそもコレステロール値で健康の是非を測ること自体がマユツバだと思っているし、それ以前に、紅麹に限らずこの世のサプリメント全般が健康増進とは無縁のもので、ただ儲けたい人が一生懸命宣伝して売りに売っているツブツブに過ぎないと冷ややかに見放しておりますが。サプリを飲めば健康になれるとかダイエットできるとかいう文句に容易に踊らされる人は、既に自然からの淘汰のサインが出ている人なので、棺桶に片足突っ込んだ人が早晩彼岸へ赴くのは自然の成り行きであり、誰かのせいだと非難するには当たらないと思っています。
 こんな考え方をするのはやっぱり宇宙人だからだろうか。と思ったら、自然の力と法則に信頼を置く農業従事者の中にも似た考えの人がいたので、その著書を紹介しよう。河名秀郎著『ほんとの野菜は緑が薄い~「自然を手本に生きる」編』より、サプリメントに関わる部分を引用し、その他の宇宙人の着目ポイントも書き出しておく。この著者は2010年頃から『自然の野菜は腐らない』や『野菜の裏側』も著しているので、興味が湧いた方は本を全編お読み下さい。例によって※印は宇宙人の合いの手。

――栄養素という概念をとりあえず捨てる(ことを提唱する)。…サプリメントは特定の栄養素を濃縮したもので、通常の食品では摂取することが難しい栄養素です。人間が自然に生きて食品を摂取している時にはあり得ない濃縮度の栄養素を体内に取り込むことになる。過剰な摂取のあとの排出は、肝臓腎臓に負担がかかることもある。――
(※つまり内臓の衰えた老人がサプリメントを摂取すること自体が既に危険なのだ。その危険を承知の上で紅麹サプリを飲んで死んだのなら、やっぱり自殺じゃないのかね。どうしても他殺にしたいのなら、こういう簡単な道理を世間に広めようとしなかった医師会や更生行政も、製薬会社の商業倫理と同等に責められるべきだと思うのだ。)

――最近では、人はウイルスに感染しているのではなく、自ら引き込んでいるという説があるそうです。この説を知った時、自然栽培的思考だと思いました。からだは体内の状態を知っていて、ウイルスを使って自身の掃除をしている。要するに体内にウイルスを引き込む要因があるのではないか。…不純物を抱えた作物は自ら菌を呼び込み、浄化しようとしているのではないか。――
(※ウイルスに感染しても死ぬ人と、死なない人がいる。その両面性について人類はもっと思考すべきだ。「感染しても一人も死なせない」ことを目指す発想は、即ち「死」を悪だとする思想であり、それは「死んだら何もかも終わりだし、負けだ」と見做す一神教の悪しき思考習慣に基づいている。人生に勝ち負けなどないし、死は必然であって悪ではないという発想なら、死や感染を巡る無駄な右往左往をしなくて済むし、それは仏教的輪廻や東洋的循環思想に親和する。死を必要以上に恐れさせる宣伝を声高にすることで、サプリメントからワクチンまで売りつける側の儲けばかりを上げる仕組みは、その根底にある思想から突き崩すべきだと考える。)

――(雑草はいずれ生えてこなくなる。)空き地などで目にするススキやセイタカアワダチソウのような背の高い草は、土を進化させるために自然に生えてくるもので、生えては枯れ、そしてまた生えるということを何度も繰り返します。そして土が進化するとその草は消え、ちがう草が生えてきます。ヨモギやカラスノエンドウなどの背の低い草です。そしてハコベのような草が自然と生えてくるようになれば、それはその土が、作物を育てられる土になった合図と言えるのです。――
(※こういう知識を小学校の理科の授業でやってくれれば、宇宙人も理科が好きになれただろうに。つまらぬテスト勉強ばかりさせるから生物学に興味が湧かないのだよ。もっと身近な自然を子供たちに観察させろ、なのだ。)

――このブルームレスキュウリ(日本で一般的なキュウリのこと)のタネのように、農家さんが自家採種では生み出せないようなタネが必要とされ始めたのが五十年程前。ここで自家採種の習慣が段々と途絶え、種苗会社からタネを買うようになりました。そのほとんどが「F1種」というタネで、現在市場のほど100%を占めます。F1とは、First Filial Hibrid、一代雑種とも呼ばれ、自然で起こる交雑とは違い、人為的に野菜が持つ性質を掛け合わせたタネです。…このタネのキュウリは青黒くてすらっと細長いキュウリが生まれます。しかしそれは一回きりのこと。翌年は自家採種してタネを蒔いても親と同じようないい形では出てきてくれません。無理な掛け合わせのため生命のリレーが困難になっているからです。親と違う形で生まれてくるのは、生命をつなげるために様々な姿となって命をつなげようとする現れです。商品にはなりませんが、F1種子を敢えて採って植えてみると、色々な形のキュウリがいっぱい生まれてきます。…一方「固定種」で育った野菜からタネを採れば、その野菜と似た野菜が育ちます。親子が似ているのは当たり前です。
…F1種の製造はメンデルの第一法則「優劣の法則」を利用したもので、異なる形質を持つ親を掛け合わせると、その子は両親の形質のうち優勢だけがあらわれ、劣性は陰に隠れます。…そのF1種の野菜からタネを採ると、隠れていた劣性形質が現れます。これをメンデルの第二法則「分離の法則」と言います。先ほど例に挙げたキュウリも、生き残りを賭けてあらゆる形質で劣性遺伝子が分離して顔を出すため、見るからにバラツキのある野菜になってしまうということです。――
(※近親婚で奇形が生まれる理屈のほか、昨今の日本人が不妊に悩んでいるのは、こうした食物を何十年も食べ続けたことが原因であったか! 合点がいったわい!)

――アメリカで遺伝子組み換えによって開発されたターミネーター・テクノロジーというものの目的は、タネを採れないようにすることでした。そのタネで育った作物からタネを採り、それを翌年植えると、発芽の瞬間に毒素が出て絶対に発芽できないようになっています。…農家は自分でタネを採ることができないため、種苗会社からタネを買い続けるしかありません。更にその後、発芽の瞬間に出る毒素を出さないようにする薬剤(※!!)が開発されました。それをタネに振りかければ発芽するように種子が設計されています。――
(※つまりタネと薬剤をセットで売ろうと言う考えだ! しかも毒素のせいで著作権も守られる。そういう発想なのだ。自分が儲けたいために、他者にその儲けを横取りさせないという発想で生まれた野菜を食べた人間が、不妊になるのは自然である。この後「男性の種子をなくし、生物的に奇形を作り上げているのは、人為的で自然ではない」という趣旨の話につながるのだが、ここでは割愛する。いやはやヒドイ話だ。)

――天然菌には多種多様な菌が含まれているのに対し、(※現在の納豆ほかよく見かける商品の)分離培養菌は単一菌がほとんどです。それによって起こる違いは、わかりやすいのがパンです。天然酵母パンは果物や小麦などに棲息している菌で、何種類もの酵母菌のほか、麹菌や乳酸菌なども一緒に生きています。一方通常パンに使われるイースト菌は、酵母菌は一種類で、他の菌もごくわずかしか含みません。イースト菌はパンを膨らますことはできますが、独特のおいしい香りや味を出すことはできません。そのためマーガリンや香料などで香りや味を後から加えます。天然酵母で作ったパンがおいしいのは、何種類もの菌が働いてこそだったのです。…菌の世界はコーラスに似て、異なる声がハーモニーを奏でるから感動的な歌になるのであって、単独の声が素晴らしくても和音の感動はありません。――
(※ハイパーソニック・エフェクトのない西洋音楽が澄んだ和音をつくるために「雑音」を排除した話に通底している)

――人間が嫌うバイ菌は本当に悪い物なのでしょうか。多くの人がバイ菌だと思っている腐敗菌が働いて野菜は腐り、そしてその後水になりました。地球にとって不純なものを分解し、自然な形にして地球に戻す、浄化・修理の作用がある。むしろバイ菌は自然界に反して生産された物質をいち早く分解し、地球に還元させる大切な役目を担っている。…自然界には、善い菌とか悪い菌とか、そんな分け隔てはありません。その状況に応じて、それぞれの素材、環境にふさわしい菌たちが、ただ役割を果たしている。…全ての存在に役割があるとも言える。――
(※『アンパンマン』もアニメ化されて商業性を帯びると、本来のコンセプトを外れて「悪役であるバイキンマンをやっつける」話へと変質した。)

――高度成長期から今に至るまで、人々はもっと上へ、もっと強く、もっと豊かに、と働き、効率・スピードを求めてきました。…しかしその結果、僕たちに還元されるものは僅かになった。野菜で言えば、化学肥料などの力で栽培期間が短くなり、収穫量も上がりましたが、昔に比べて野菜の栄養価は格段に落ちている、というデータがあります。(昔の野菜の味を知る)高齢者は「味が落ちた」とも。…野菜の本質的な部分が低下してしまっている。――
(※「もっと上へ、もっと強く、もっと豊かに」なんて、奇しくも『進撃の巨人』の最終話が「人間の生まれた意味」に言及した時、「ユミルが巨人をより大きく、強く、豊かにした」というセリフに一致している。だからあの漫画は評価が高いのだ。)

――ホスメック・クリニックの三好基晴先生は、生活習慣病を中心に、アトピーや化学物質過敏症、シックハウス症などアレルギーの方を診察しています。薬を一錠も出さず、検査もしないのですが、…病気を根本的に治療するための、「医者にもクスリにも頼らない生き方」を提唱している…(この人との出会いが「野菜と人間は同じだ」という考えを確信させた)
…医学の父と呼ばれるヒポクラテスがこんな言葉を残しています。「患者に発熱するチャンスを与えよ。そうすればどんな病気でも治してみせる」「熱によって治すことができなければ、それは不治の病だろう」「病気とは浄化の状態であり、症状とは体が引き起こす防衛手段である」…風邪は体内に溜まった老廃物や毒素を体外に出そうとしている体からのサイン。三好先生は言います。「風邪の間、体の全エネルギーはウイルスを処理することに集中したい。だから自ずと食欲もなくなるし、だるくなる。エネルギーを無駄に使いたくないから。それなのに「体力をつけなきゃ」と無理に食べたり、だるいのに頑張って働くと、そちらにエネルギーを使わなくてはいけなくなり、治るのが遅くなる。…怪我についても同じ。――
(※宇宙人は幼少時、風邪や麻疹で学校を休んだ日は決まってお粥を食べさせられ、お蔭ですっかりお粥嫌いになってしまった。だって味がなくて美味しくないし、ドロドロして熱いし(宇宙人は猫舌だ)、材料は米だけなんだもん、ひもじいじゃん。滅多に病気にならないのだから平時には許されない美食でチヤホヤされたかったのに。その方が病の苦痛も紛れるというものではないか。当時の美食といえばせいぜいカレーかコロッケくらいだが、カレーやコロッケをお預けにして味気ないお粥で我慢させられないように、その後宇宙人は体調が悪くても家族に隠す習慣を身に付けてしまったよ。でもこれってつまり大した病でなかったわけだな。好物にも手を付けられないほど食欲がない時が深刻な病で、こういう時は無理して食べずに寝るのが正解だ。なに、お粥は胃に優しいだと? 宇宙人はいつでも胃腸は頑丈なのだ。胃腸の心配をするよりも、病気で体力が落ちないようガッツリ食べる方が回復の近道なのだよ。お粥の擁護は胃腸の弱い人がやってくれ給え。でもお粥がすすれるくらいなら、そもそも病気のうちに入らない。じゃあお粥の存在意義ってなに? あ、宇宙人は長じてから中華粥の美味さに感動した。あれは鶏がらスープの手柄かな。幼少時に食べた家粥は味付けゼロであった。水で薄めた米など栄養価からして低いのだ。ケチらず銀シャリを出せなのだ。あ、しまった。こういう趣旨の話ではなかったな。病気でだるい時は無理して食事をするなど余計な労力を使うな、という体からのメッセージの話であった。人体は実に賢くできているのに、人間がこれをいちいち台無しにしている。)

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