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SFでもこういう作品なら

 早瀬耕著『未必のマクベス』でその知的な人物群像に感銘を受けた宇宙人は、この作家の真骨頂であるSFの一つ『グリフォンズ・ガーデン』を読んでみた。30年以上前の作品だが、AIなど今どきの話題を先取りしていて少しも古びていない。しかしSF好きというわけでもない宇宙人には、やはり人物の醸す知的思考や会話の方が目を惹く。例えばこんな主人公の見解:

――ぼくが『スター・ウォーズ』を途中までしか観られなかったのは、映画監督に腹を立てたからだった。遥か過去に時代設定をして、宇宙の彼方の物語というお膳立てまでしているのに、「登場人物や兵器はあの程度か」という退屈だ。戦闘機は固定翼で、生物には雌雄があって、あいかわらず種の保存には非効率的な恋愛をしている。ロボットは、物理的に効率の悪そうな二足歩行だ。なぜ、全地形型の装甲車が四本脚である必要があるのだろう?――

 どうですか、皆さん。宇宙人は非常に共感を覚えるのだが。タコ・クラゲ型宇宙人でさえ地球人のフリをするために沢山ある手足を束ねて二足歩行を模しているだけなのだから、「この程度の発想か」と思うのは当然であろう。最近話題の映画『ゴジラ-1.0』はその巧みなCG表現で映画賞を獲ったが、その精密なゴジラの皮膚や海の波の表現も業界の人間から見れば物凄い技術力と製作スタッフの根性のなせる奇跡の産物であるらしい。「本物と見分けがつかない」と。でも宇宙人の目にはどれも違和感だらけだ。何というか「きれいすぎる」のだ。精密過ぎて却って嘘臭い。人間の目や脳はもっとアバウトに物事を捉えていて、必要のない人やモノや音を適当に排除して選別している。作り物のCGにはその選別がなく、びっしり隅々まで精密描写するから逆に脳が「ウソだよ」と認識するのだ。『グリフォンズ・ガーデン』にはこんなセリフもある。

――ぼくたちが音と感じるものは空気の振動でしかないし、光と感じるものは電磁波でしかない。人間の網膜が感じる電磁波は、波長が概ね3750から7750オングストロームまでの間のものだけだし、音として鼓膜が反応するのは、空気の振動の一部だけだ。3750オングストローム付近の電磁波に、特異性があるわけではない。零下十度までしか計れない温度計にとって、零下四十度が無意味であるのと同じだ。ぼくたちは世界に対してわずかな感覚の扉を開けているにすぎない。世界は、静寂の暗黒だ。――
――世界は、音に満ちているわけではない。空気の振動があるだけだ。それを音や音楽やノイズと感じたいときにだけ、空気の振動が音に変換される。静寂な世界を壊しているのは、ぼくたちの聴覚システムだ。――

 こういう方が宇宙人にはリアルに響く。そして算命学者の宇宙人は、次のセリフに大層共鳴した。算命学思想としていつも挙げている内容と全く重なっていたからね。

――あの核を中心に電子が回っている(原子の)図を見て、私は太陽系を想像したの。だからもしかすると、ひとつひとつの原子の中にも宇宙があって、そこには小さな世界があって、それと同じように、私たちの世界も、もっと大きな個体の一原子なのかもね――

 いいなあこういう作家。お友達になりたいのだ。興味の湧いた方は是非全編を読んでくれたまえ。きれいな物語だよ。最後にこんな素敵な一文を挙げて終わろう。

――「照れくさい」の英訳はI love youだよ。――

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