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新自由主義とかグローバルとかもう辞めたい

 以前少し紹介した佐藤優×片岡浩史『教養としての「病」』の後半の文明論が含蓄深かったので、付箋を立てたところを連休の読書記録まで書き記しておこう。例によって※印は宇宙人の合いの手。

――片岡:人間は食べ物から栄養素を摂るわけですが、しかし食べ物には栄養素だけでなく毒素も入っています。その毒素を外に出す作用をするのが腎臓です。たくさん食べる人は毒素もたくさん取り込みますから、結果として腎臓がたくさん仕事をすることになって、ダメになっていくわけです。食べすぎの人を注意する時にはそういう話をします。――
(※飽食の現代社会に突き付けたい真実なのだ。)

――(片岡医師が研修医として勤めた)亀田病院の何がいいかと言うと、やっぱり「人」なんです。みんながいい医者なんですよ。みんながみんな、やる気が旺盛でした。――
(※病院に限らず、職場って結局こういうことだ。離職率の高い職場というのは、結局そこにいる人間の質なり品性なりが悪くて、そうした面々のひしめく空間に嫌気が差して人が去って行くのだ。そういう職場は給料を上げたところで人材を引き留められない。コロナワクチンで大儲けしたファイザー社は、コロナ以前からアフリカ等で大きな薬害事件を起こして有罪となっている。しかし懲りずにその後も同じ災厄を平気で振り撒くのは、勿論モラルが低いからだが、こうした企業に勤める医師や研究者も軒並みモラルが崩壊しているのかと言えば、全くそうではないという。むしろ義憤や罪悪感から辞職する人の方が多いくらいだが、全員が辞めるわけではない。残る人間はいるのである。残る人間たちは義憤も罪悪感もない。そしてこうした人種が企業に居座ることで、彼らの価値観が社風となっていくのだそうだ。なるほどねえ。いやファイザー社だけの話ではないぞ。我々の住む社会も似たり寄ったりではないか。)

――多くの研究者たちが知を集結させて科学的真実を追究してきた、そういう積み重ねがあるからこそ、今の私も研究を進められるわけです。科学は「フェイク」と戦わなければなりません。――
(※こういうモラルの医師はファイザー社の社風には耐えられないのだ。フェイクと闘わなければならないのは、科学だけではないのだ。)

――従来の古典的な統計学が支配してきた科学の世界では、これまで「属性の違い」「サブグループの違い」というものを「統計学的にはみ出してきた偶然の産物」として、意識的に軽視してきた歴史がある。「人間はみな同じ」といった仮定のもと、「男性の研究で証明された結果を女性にも当てはめる」「若年患者の結果を高齢者にも当てはめる」といったことを古来ずっと行なってきた。…これからの科学会は「属性に基づく医療(ABM:Attribute-Based Medicine)を重要な研究対象として取り組んでいかざるを得なくなるものと思う。――
(※昨今の男女平等主義も既に行き詰まっているし、早晩LGBTもSDGsもグローバルもそうなるだろう。人間は平等などではない。環境も一律ではない。一個一個、一人一人違うのだ。便利だからと十把一絡げにするな、なのだ。)

――「みんなが社会のことを二割ぐらいは考えるべきだ」とよく思うんです。自己犠牲や一定の制限がある中での自由がちょうどいいのに、自由ばかりになってしまっている。そこが今の世の中の悪いところで、医療の世界にもいよいよそれが入ってきました(働き方改革など)。…昔はこういう話をすると正論だと思われていましたが、今は若手と話すと議論がなかなか噛み合いません。――
(※宇宙人が子供の頃、米国のアクション映画(主人公が悪人と戦うタイプの)を見たクラスメイトから教師までの一致した見解は、「家族のために戦う男はカッコよくない」だった。当時の子供は『宇宙戦艦ヤマト』を全員見ていたが、「全人類を救うため」とか「アンドロメダ星雲の人々を救うため」といった、果てしないほど大きな公共性を目的として戦うのがカッコイイとされていたのだ。これは日米の文化の違いと言っていいだろう。しかし昨今の若者は、もしかして『ヤマト』よりも『ダイ・ハード』の方が共感を覚えるのだろうか。どうなのだ、若者たちよ。)

――フランスの人口学者で歴史家のエマニュエル・トッドによれば、「アングロサクソンの家族制度は新自由主義と結びついている」。…人類の家族制度は二通りのモデルがある。その一つが核家族です。核家族の相続は、きょうだいで平等に分割します。それがアングロサクソンの相続形式の基本で、これは「きょうだいが平等だから人類も平等だ」という発想に繋がります。それに対して共同体型の直系家族(日本やフランス、ドイツなど)があって、こちらの相続様式は長子相続です。これは「きょうだいが不平等だから人類も不平等で、権威には従わないといけない」という発想に繋がる。ところが東西冷戦が終わったあと、アングロサクソン型の家族様式が新自由主義と相性がいいために、新自由主義化が進み過ぎてしまった。具体的には、共同体ということを考えない個人が突出してしまった。その一つがたとえばジェンダーに対する感覚で、今やアメリカやヨーロッパでは女性が子どもを産む機能を持っていること自体が言えなくなっています。ここは今の医療とも関係している話で、個人がすべてだと思ったら、おそらく間違えます。我々は共同体の中にいるわけだから。…それから平等という概念が世界中に広まったのはフランス革命がパリ盆地で起きたことが大きい、というのがトッドさんの説なんです。平等相続の習慣があったのは、フランスの中では例外的にパリ盆地と地中海沿岸だけで、だからパリで起こったフランス革命では「自由・平等・友愛」という原理が出て来た。そしてそれが近代の礎となりました。でも「すべての人は平等だ」という思想は、裏を返せば「それぞれの人の人生に違いが出てくるのは努力の違いだ」という話になりかねない。「あなたが貧乏なのは、あなたの責任です」と。他方、長子相続型の社会には「人は生まれながらに不平等である」という共通認識がありますから、そこは逆にパターナリズムが強くなって、「弱い立場に置かれている人は、共同体の上部にいる人間が助けなければいけない」という論理が生まれます。つまり自己責任論、結果責任論が出にくい。――
(※佐藤優氏は新自由主義を批判する時、よくこの例を挙げる。文化や歴史から今の世相がよく見える。どこかの政治家が「大学に文系はいらない」とか言っていたが、それはこういうことに考えが及ばない証拠なのだ。)

――「自分は(医師の)国家試験に合格したのだから、社会の中では特権的な階級にある」という発想に立って、金儲けに走ったり、あるいは大学病院でのポスト争いにエネルギーの90%ぐらいを割いたりするような医師が出てきたりもする。こうした発想に陥ってしまうのは、学知によって物事を見るトレーニングをしていないからです。知識、教養というのは結果を出すためにあるのではない、時間をかけて自分の血肉になっていくものだ。教養が身に付くというのは、俗世的な結果とは関係ありません。――
(※なのだ、なのだ!)

――片岡:「若いうちは苦労は買ってでもしろ」という発想しか私にはなかったし、昔の医療はみんなそう思っていました。だけど今の若い医師たちの多くはそう思っていません。そういう時代になりました。
佐藤:同業者や先輩からの評価ではなくて、「いいね」がお客さんからどれだけ付くかとか、そういうことが重視されるようになった。でもそれは危ない。「お客様」のためと医療がサービス業になってしまえば、医療従事者の職業倫理はいずれなくなってしまう。医療の新自由主義化ということで言えば、美容整形などの一部の領域に、手っ取り早く金を儲けたい医師が入っていることがある。…新自由主義というのはお金がある人にとってはすごく生きやすい世界です。ただし、病気はお金を払ったら必ず治せるというものではありません。その意味では、新自由主義と医療は相性が悪いんです。――
(※宇宙人が中国に暮らしていた時、カラーコーディネーターの女性と知り合った。人の肌の色や目の色等からその人に合った色彩パターンを読み取り、それに沿った色目の服飾コーディネートをする人だ。しかしその着飾った女性は元医師だというので驚いたのを覚えている。更に驚くべきことに、「医師になるのは優秀な人だし、人に尊敬される職業なのに、なぜそれを捨ててこの仕事に?(だって今の仕事の方が安っぽいじゃん、と心の中で呟きつつ)」と尋ねたところ、「医療なんて汚れ仕事よ。毎日病人ばかり相手しなくちゃならないし、気分が悪くなるわ」と悪びれることなく言い放った。いやこの人は医者を辞めて正解だ。さすが中国人だと思った。でも最近の日本の医師もこんなのが増えているということか。日本沈没。)

――エマニュエル・トッドさんの息子さんはケンブリッジ大学に行って、お孫さんはイギリス人と結婚したのに、近くフランスに戻って来るそうです。なぜならイギリスの医療があまりにもひどいからだと。イギリスに比べればフランスにはまだ医療があるから戻って来ることになったと。今、イギリスは国家崩壊を起こしています。トッドさんに聞いてみたら、イギリスは1980年代後半のサッチャー改革で新自由主義化して、そういう社会で育ったエリートたちが今の社会の一線を担っているからだ、という答えでした。…今のトレンドは「新自由主義的な規制緩和では国は強くならない」ということです。そういうことを続けていると、アメリカのような歪な国になってしまう。
(※アメリカの歪さを認識している日本人はいかほどであろうか。中国はチベットやウイグルの原住民を引っ捕らえて収容所に閉じ込め、中国を称賛する教育を押し付けて洗脳しているが、日本人も戦後からずっとハリウッド映画や軽音楽やスポーツで洗脳され続けて、米国を無条件に崇拝する体質が染みついてしまった。洗脳の目的は、自分自身の頭で考える能力を低下させることだ。)

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