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親子の愛とは 純愛ディソナンス第10話

切っても切れぬ親子の縁

いままでの話は男女の愛がテーマだった気がするが、今回の第10話のテーマは親子の縁の話。世の中に所謂「毒親」と呼ばれる冴の母ともなかなか縁を切ることはできない。

冴の母は夫に逃げられてから、男に執着し、逃げられて、そして冴のもとに戻ってくる。そして新しい男を見つけて冴を見捨てる。そしてその母に愛想を尽かせて縁を切ろうとする。

そんな母が癌に。

冴は最期くらい憎ませてよという。また私の側にいるといって消えるつもりなんでしょ。いつもそう、と。
本当は冴は母と一緒にいたかったのだ。子供の頃からずっと。

加賀美と息子の関係も切ることはできなかった。父親の事件、母親の死によって晴翔の人生も狂ってしまった。

親子だって他人

さて、このドラマにおいてずっと愛に執着し、愛に振り回されてきたのは間違いなく冴の母であろう。自分が裏切られた経験から冴にも執着をし、冴の人生も振り回すのだ。

世の中どんな親も、子供は自立した他人であることを認めなければならない。子供は自分の分身ではない。どうしても自信の経験からこれはだめ、あれをしなさいと、そして子供の選択肢を狭めていく。

やるなら、子供の選択肢を増やしてあげよう。習い事でもいい、塾でもいい。学んだり経験することで子供はどんどん成長していくはずだ。

愛人はいいところどり

愛人はいいとこどり、辛い思いをするのは家族の方。これも何回もドラマ中繰り返されてきた言葉だ。一時期の感情のために不倫をするのは恨みが恨みを呼び、そして周りから壊れていく。

このドラマは晴翔というサスペンス要素。親子という家族の絆、そして不倫という恋愛、壊れていく人間関係要素をうまく盛り込まれた脚本になっている。この絶妙な要素のバランスがディソナンスの醍醐味ではないだろうか。

純愛ディソナンス最終話は来週木曜日。見逃せない。

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