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そのままの意味です。
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#人生の生き方

話せばわかる、と思っている人ほど話してもわからない問題について

話せばわかる。 いい言葉ですな。 でもこう、話せば分かるってのは 【そもそも、話せるかどうか問題が深刻】って話でして。 基本的には、人は一定の条件が揃わないとそもそも会話にすらならないってことをまとめてみました。 えー、会話の特性をしっかり考察していれば至極当然の話なんですけども。 多くの人は、会話に対するあまりの便利さに、コミュニケーションに対する考察など一切行っておらず、盲目的に会話を信仰している例が結構あるよーということです。 で、困ったことに、そういう人ほ

コミュニケーション弱者の悪循環とその解決について

えー、タイトルからして地獄のような内容のダークテキストになります。 いや、ダークなつもりはまったくないんですけども。 ないんですが、原因分析するときに「ぐわああああ、痛い痛い痛い」ってなる人が続出するに決まってるやつなので。 だいたいコミュニケーションなんてのは、本来、最初から苦労なんてしなくていいんですが。 でもうまくない人ほど、ついうっかりコミュニケーションで損するようなことばかりしてしまう悪循環。 それはなぜか、という原因分析から始めたいと思います。 ■苦手な人ほ

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普通でいようとすることで社会に殺されに行ってしまう、自分との付き合い方

だいぶショッキングな見出しかなーと思います、えげつない_(:3」∠)_ あ、コレマグロ解体ショーの写真です。 割とみんなそういう「社会に解体されながら泳ごうとしてない?」って感じで。 でもこう、自分は普通でいたいだけなのに結構辛いなーって言う感じで、いかにして、自分で己の意思を隅っこに追いやるかを考える人も多いかなと思うので。 これ、もともとどこに問題があるかと言うとですね。 【普通っていう言葉の定義に問題がある】 んです。 だってそう思いませんか? 普通ってどう

呪いや嫉妬と復讐心について

えー、いわゆる呪い的な恨み妬みとか強い感情によるモノの話です。 年末なので厄落とし的なやつをまとめておこうかなと_(:3」∠)_ なるほどなーと思う反面、かなりのダークテキストじゃないかしら。 よろしくおねがいします。 まあそんなわけで、ついうっかり呪ってしまう的な感情の話です。 人を呪わば穴2つなどといわれますけども、アレってマジな話でして。 実際、呪詛は自分にも返ってきますよ、っていう思考システムの話です。 たとえば後悔なら基本、自分自身のみの話です。 でも、恨み

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自己否定が悪いと言われる理由とその対応策

自己否定ってやつは、わりと無意識にやっちまうのですよな_(:3」∠)_ もともと、やりたくてやるもんでもないですし。 そんなもん出来るならやりたくないに決まっとると思うのですけども。 でも、ついうっかりやってしまったりするのわけでして。 そのメカニズムと、悪影響あたりを話していこうかなと。 ■自己否定は怖いんすよ自己正当化や自己否定の何が怖いって。 自分が自分についた嘘に、自分が騙されて。 それが正しいと信じ込もうとするんですよな。 もちろん、無意識ではそんなの嘘っ

趣味との付き合い方:ちょちょっと出来るくらいなら、趣味は苦労しない

そういえば、昔からよくある話で 「プロとは言わないまでも、ちょちょっと出来るぐらいになれればいい」 って趣味を始める人がいるけども。 困ったことに、その「ちょちょっと」は「感覚レベルでほぼ全内容を網羅していること」だったりする。 なぜって、それは ・特に思考のリソースを使わなくてもいい状態 ・量と質で全工程を把握し、全労力を感覚で概算出来る ・作業そのものの身体操作は特に思考しなくても出来る練度 だからです。 だって考えなくても出来る域に達するって話なので。 要す

「努力」は裏切らないけど、「努力をしていると思いこんでる自分」は裏切る

世の中で「努力」って言葉は、やたら尊ばれたりしていて、努力がえらく持ち上げられてることにもやもやしている人って結構いるんじゃないかなと思います。 だってほら、「努力は大事かもだけど、努力したからって必ず得られると限らない」みたいに感じちゃうわけで。 そんな感じで、努力って、結構ややこしい話でありまして。 みんな、別に努力そのものってきらいじゃない人が多いんすよね。 「努力したら報われてほしい」とか思ってしまって、その辺でややこしくなるだけの話で。 報われる報われないっ

コミュニケーションの断絶と、自己承認欲求

最近、孤独感やコミュニケーションの断絶、自己承認欲求などについて、色々叫ばれとりますよな。 これ悲しいことに、構造的になかなか解決しにくい、という最大のネックがありまして。 もともと、自己承認欲求ってのは 【自分で自分を認める】 という欲求です。 よく勘違いされてますが、他者欲求じゃないんです。自己。 よーするに自分自身です。 だいたいは「自分がだめだと思ってしまい、無力感や劣等感、切なさやるせなさに押しつぶされそうになってしまう」ので、外的要素でなんとかしたい助かり

自己肯定ってのを勘違いしやすい件について

自信や自己肯定って言葉を勘違いして、自分に自信が持てないとかあんな風になれない自分はダメだと思ったりしてませんかね? 「自分はちゃんと一人でやってけるんだー」という気にはなれないまま、果てしなく自分はダメだとセルフシャドーボクシングしては疲れたりしてませんでしょうか? というお話です。 案外、自分はちゃんとしたステーキ肉の素材なのに「クズ肉にもならない自分悲しい……」なんて思ってることも多いんですな。 だけど、単にまだ焼いてないだけ……みたいなことって結構多いです。 (