坂の上の雲6巻〜Part1〜

坂の上の雲6巻はヨーロッパで諜報活動を行う明石の話がメインとなります。
明石に課せられた任務はロシアでの革命運動を起こすこと。
その非常に困難な任務をほぼ一人で成し遂げた明石はすごいですね。
しかし、日本人に全く知られていない。

日本人の防御感

日本人には元来防御の思想と技術が乏しい。
日本戦史はほんの数例を除けば進撃作戦の歴史であった。
防御戦における最高の最大の例として、戦国末期、織田信長の軍団を数年にわたってさあせつづけた石山本願寺のそれが存在する。(中略)
このいわゆる石山合戦の場合でも、防御線のための工学的配慮や物理力が存在したわけではなく、物理力と言えば、「堀一重、堀ひとめぐり」というか細いものであった。この合戦の石山本願寺側の防御力を支えたものは、門徒たちの信仰の力しかない。この点、徳川初期の島原の乱におけるキリシタン一揆も同じ事情である。
 日本人のものの考え方は、大陸内での国家でなかったせいか、物理的な防御力を構築してゆくというところに乏しく、その唯一の例は秀吉の大阪城ぐらいのものかもれない。(中略)
(秀吉の大阪城は石山本願寺と同じ地に10万人以上の兵士を収容できたが)しかし、結局は大坂夏の陣において家康の野戦軍のために陥ちた。物理的な構造物が存在しても防御戦というきわめて心理的な諸条件を必要とする至難な戦いをするには民族的性格がそれに向いていないからであろう。加賀前田利家は晩年、古主の信長の事歴を解雇し、「信長様はつねに他人の土地に踏み込んでいくさをなされた」と礼賛したが、信長の侵襲思想が日本人のものの考え方の代表であるかもしれない。

坂の上の雲 6巻
 

日本人は籠城に耐えられないのは信仰心の無さからくるのか?多神教が関連しているのか。
城壁で街を囲うヨーロッパと中国に対して日本は確かに物理力は小さい。

そして信長よりも信玄の方が他人の土地に踏み込んでいたイメージ。そして初めて侵攻されたとき呆気なく武田家は滅んだ。

ロシアの戦争感と日本の戦争感

ロシアの過去の陸戦史をmてゆくと、どうやら的に対して二倍以上の兵力や火力を持たなければ、攻撃に出ないとおう固有の原則史のようなものがひきだせるような感じがする。これは民族性によるものか。あるいはそうでないかもしれない。
 もともと戦争というのは「勝つ」ということを目的にする以上、勝つべき態勢を整えるのが当然のことであり、ナポレオンもつねにそれをおこない、日本の織田信長もつねにそれを行った。ただ敵よりも2倍以上の兵力を集中するということが英雄的事業というものの内容の9割以上を占めるものであり、それを可能にするには外交をもって敵を騙して時間稼ぎをし、あるいは第三勢力に甘い餌を与えて同盟へ引きづりこむなどの政治的苦心をしなければならない。そのあとに行われる戦闘というのは単にその結果に過ぎない。
こういう思想は、日本にあっては戦国期でこそ常識であったが、その後江戸期に至って衰弱し、勝つか負けるかというつめたい計算式よりも、むしろ壮烈さの方を愛するという不健康な思想が発展した。
 江戸期という、世界にも類のない長期の平和時代は徳川幕府の治安原理の上で成立している。体制原理によって、幕府は諸大名以下庶民に至るまで競争の精神を奪った。ことことが江戸期日本人全体から軍事についての感覚の鋭敏さをうしなわしめたということがいえるであろう。
 その結果として、江戸期の士民を感動させた軍談は、ことごとく少人数をもって大軍をふせいだか、もしくは破ったという奇跡的名将譚であり、これによって源義経が愛され、楠木正成に対しては神秘的に畏敬を抱いた。(中略)
ロシア人の戦いの思想は勝つ態勢までに味方の兵力がととのはない限り戦うことをしない。それでもなお作戦城の至上要求として戦えと命ぜられれば、自ら壮烈に感じて陶酔するよりも、むしろ士気が沈滞し、ときとして降伏してしまう。ヨーロッパ各国が絶え間ない戦争によってその文化を起こしてきただけん、日本の戦国期のようび戦争の本質というものを知っていたからである。

寡兵をもって大を制す。非常に痛快であるが、そういう状況をつくられた時点で本来は名将ではないという点が大事なのかなと。
そして日本はこの寡兵でも精神力が戦えるということを信じて猛進してしまった。

帝政と立憲民主制

ロシアは日本のように憲法を持たず、国会も持たず、その専制皇帝は中世そのままの帝権をもち、国内におけるいかなる合法的批判機関を持たなかった。
「専制国家は滅びる」
というただ1つの理由を持って、この戦争の勝敗の予想において日本勝利の方に賭けたのはアメリカ合衆国の大統領セオドル・ルーズベルトであった。
その理由は簡単である。二流もしくは三流の人物(皇帝)に絶対権力を持たせるのが専制国家である。その人物が英雄的自己肥大の妄想を持つとき、何人といえどもそれにブレーキをかけることができない。制度上の制御装置を持たないのである。
 ロシア帝国は、立憲国家である日本国と同様、内閣は持っていた。しかし、日本の内閣とは違い、独裁皇帝の補佐機関、もしくは厳密には側近であった。(中略)
 一方(ロシア軍は味方の足を引っ張りまくったのに対して)、日本軍は確証銀はその背後にロシア皇帝のような絶対的権力者をもたなかったために振り向く必要がなく、敵を潰すことのみに専念できた。

坂の上の雲 6巻 P78

日本が勝てた要因はロシアの陸軍省のクロパトキンとそれ以外の将の不仲や功績を挙げさせないという姿勢による。
しかし、これで勝利という結果を得てしまったことが40年後の悲劇を招く。

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