DORONINJIN
短いエッセイです。
一首評です。
春分の日の翌朝は、霞んだように明るかった。ビルや道路の灰色の平面がやけにはっきりとして見えるから、行き交う人々の存在も、昨日に比べてくっきりしている。 地下鉄駅へ吸い込まれていくひとたちは、皆どうせあと二日働けば土曜日だし、といった表情をしてる。わたしもきっと同じ顔をしているだろう。 一昨日友達と会うために有休をとったのだが、相手に急用ができて会えなかった。昨日はマクドナルドに行って、ポテトが揚げたてだった。 耳の穴につっこんだイヤホンからは、最近解散したアイドルグル
疲れてる愛してる疲れてる重なっているケーキ横から見ている 佐クマサトシ『標準時』 疲れてる、と、愛してる、が、互いに意味がありそうで、実は無関係に並列しているようでもある。考えてみれば、にんげんの感情なんてさまざまに理由や関係性がありそうで、本質的にはただ発生しているだけなのかもしれない。 そんなふうに、意味があるようでないような、ただ発生しているものとして、疲れてると愛してるとケーキの重なりを並列させて、主体はそれをひと
マユコとはとつぜん仲良くなった。小学校四年生のことだった。 ある日の放課後、なんとなく一緒になった帰り道に、わたしたちはまるでこれまでずっと仲の良い親友だったみたいに話が止まらず、道端で何時間もおしゃべりをした。 「デジモンって、ポケモンよりもたまごっちに似てない?」マユコは言った。 「そうかもしれない」 「でしょ? 一匹だけ育てるところとかさ、似てない?」 わたしは先日お祭りのくじ引きでゴジラ版のたまごっち(のバッタモン)を当て、育てている話をした。マユコがとて
普段は八時十五分の地下鉄に乗っているが、今日は八時三分の地下鉄を目がけて家を出た。きのう寝る前に、一晩をかけて大雪が振るというニュースを見たのだ。この街は一月も後半になると、冬が終わるまでに数回ドカ雪が降る。その一発目が昨夜だった。 外は晴れていた。雪は二十センチほど降り積もっており、私はアパートの玄関扉を、積雪を押し出すように開いた。 夜の間も車通りがあったのか、目の前の車道の雪は既に踏み固まっている様子だったが、アパートと車道の間の歩道は、ふかふかの雪が降り積も
かたちのないものも大切 だけど今、きみがいるからこそ振るこの手 近江瞬「表も裏も」『ポエトリー左右社』vol.1(2023.11.11)より 上句で語られるように、一般的によく説かれるのは、かたちがあるものよりもかたちのないものの大切さ、だろう。きみという存在に手を振りながら、作者のこころを過ぎるのは、かたちのないものの大切さだ。 しかし、結句は「この手」とあり、かたちのあるもので締めくくられる。 別れの場面だろうか。作者は手を振りながら、ふたりの間にあるかたち
雨の日は雨のにほひの 風の日は風のにほひの 聖かたつむり 小島ゆかり『雪麻呂』 雨のにおいや風のにおいを感じるときは、どんなときだろう。おなじ場所に留まっているときにその場のにおいを意識し続けることはあまりないから、外に出た瞬間や、窓を開けたときだろうか。リフレインによって、気候の変化はイメージを重ね、蓄積される。 「聖」とあたまに付くものは、多くは宗教の聖人や、その人物に由来する施設を想像する。 聖かたつむりは、偉
子供のころ、国内の南の方の離島に住んでいた。今はリゾート地としてよく名前を聞くその島だが、当時は今のように栄えておらず、観光客はほとんどいなかったように思う。私は小学校に上がったばかりで、下の妹はようやくよちよち歩き始めたころだったろうか。スーパーのお菓子売り場でおもらしをした妹の手を引いて、私は同級生に見つからないように祈りながら母を探した。 島には二つ小学校があり、私が通っていた学校は、敷地内に平家の教室がいくつかくっついて、グラウンドの周りをぐるっと囲うような形を