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インフラと化した醤油

 泥棒猫です。

 雨の日曜日。買い物に行くの、面倒だなあ・・・。と思うけれど、今日はすき焼きをすることが先週から決まっていた。家族みんな楽しみにしているから(もちろん私も楽しみ)やはり車を出すしかあるまい。


 どうして今日はすき焼きなのかというと、先週やっと醤油が届いたからだ。


 うちは醤油はずっとおっちゃんが届けにくる。おっちゃんというのは親戚でも何でもなく、本当にガチの、御用聞きのおっちゃん。サザエさんでいうところの、サブちゃんであろう。

 私はそれを不思議だともなんとも思わず育ってきたので、醤油というものはみんな土着のものを、御用聞きが来てそれを買っているのだと思いこんでいた。


 しかし大人になり、どうやら割と、これは珍しいパターンなのね、と気づき、さら「田舎だもんなー」と軽く見ていた。

 

 このお醤油屋さんは「○○醤油醸造場」という素っ気ない名前で、なんと届けてくれているおっちゃんは、一人で作り一人で届けているおっちゃんだったのだ。

 

 ある日、うちのキッチンの引き出しにキッコーマン醤油のボトルがあった。

 母に

「え、なにこれ?どしたの?いつもの醤油は?」

 と尋ねると、

「それがね、しばらく来てないから電話して頼んだら、まだ出来てないから。出来たらお届けしますから、って言われたの」

 との返事。

「ふーん。ま、いっか。私はお刺身食べないし、目玉焼きもソース、冷奴はポン酢だから。醤油そのものを味わうことあんまりないし、別にいいよ。しばらくこれで。ね?」

 といって肉じゃがを作り始めた。

 ところが。


 ぜーんぜんうまくできない。作っている途中の匂いも違う。どれだけの量の醤油を入れたらいいか、わからないのだ。

 キッコーマン醤油さんが悪いんじゃない。私が、今までのあの醤油でしか料理してないからこんなことになるのだ。びっくりした。あんなに醤油で違うの?


 改めて母に尋ねた。

「あの醤油。どこかで売ってないの?」

 そしたら

「前はスーパーに卸してたこともあるみたいだったけど、今は見かけたことはない」と。

 

 そもそも私はあの醤油屋さんの名前さえ知らなかった。いつもうちにあったから。そして私は結婚もせず、ずっと実家ぐらしで、ここ10年こそは料理をするがそれまで完全に母に任せきりで、醤油はもう常にそこにあるもんだと、インフラの一つぐらいに思って生きてきたのだった。


 母曰く、その醤油屋さんは今の代で何代目かは知らないけど、母が子供の頃から使っており、母が結婚したときに「じゃ、嫁入り先にも伺いますよ」って軽いノリで来てくれたそうだ。

 つまり私は生まれたときからその醤油味で生きてきたのだった。

 そりゃ違うでしょうよ。

 

 ちょっとそれってすごくないですか???すごくないのかもしれないけど、すごい気がするよ。


 そんなこんなで、2ヶ月以上。うちには様々な醤油が並ぶ。あれこれ試したけど、高いお醤油も買ってみたけど、どれもあの味ではない。難しいなぁ。

 関東の人によく言われるが、西日本の醤油は甘い。うちのも甘目だと思う。けど九州程ではない。

 

 肉じゃがもきんぴらも魚の煮付けも炊き込みご飯も、何もかもが毎回「なんか違う‥」という日々。

 それも先週ようやく終わりを告げた。


 おっちゃんが来てくれたのだ!


 さっきから、おっちゃんおっちゃんと気軽に呼んでいるけど、私はそのおっちゃんには会ったことはない。そして、私と母の間ぐらいの年齢らしい。

 

 3本買おうとした母に

「また来るから2本にしといて」

と言って、おっちゃんは去っていったそうだ。なんとかっこいい・・・


 こうして我が家は、無事に本日。一番醤油の味を楽しめるご馳走、すき焼きをすることができるのだ。めでたしめでたし。


 ラベルの「を」もいい味出してる。

 こんなラベルだったことも、長年見ていたはずなのに覚えてなかった。それぐらいインフラ化していたのだった。

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 食べるものでできている、というのは本当だ。

 私はなんと恵まれて生きてきたのだ。そしてこれは当たり前ではないのだ。消えてなくなるかもしれないものなのだ。

 それぐらいの出来事だったので、今回ここに書いてみた。


  今回、これを書くのは躊躇った。醤油屋さんの名前を出していいのかどうかで。

 結局、出さないことにした。

 ホームページも何もないし、おっちゃんて呼びすぎてるし。


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