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千人伝

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様々な人の評伝「千人伝」シリーズのまとめマガジン
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2023年8月の記事一覧

千人伝(百九十六人目~二百人目)

百九十六人目 読者 どくしゃ、は読みたい物を書こうと思った。自分が読みたいと思う理想的な書物は、どこにも見当たらなかった。好きな本はたくさんあったが、本当の理想の物語というと、見つけることが出来なかった。 読者は、自分のあらゆる好みを数え上げた。逆に苦手なタイプ、嫌いな話も数え上げた。読みたくない要素を一切書かず、読みたくなる要素だけを詰め込んだ話を書けば、理想の物語が出来上がるはずだった。読者は書き始めた。 しかしそううまく話は続かなかった。理想を詰め込んだ話はすぐに

千人伝(百九十一人目~百九十五人目)

百九十一人目 忘却 ぼうきゃく、はすぐに何でも忘れてしまった。今やらねばならないことも、絶対に忘れてはいけないことも、美しい思い出も、何もかも忘れてしまうのだった。忘却と過ごした年月は積み重ねられなかった。嫌な思い出も傷つけられた過去も忘却には刻まれなかった。 日常生活に支障を来たすものだから、彼女の周囲にはいつも忘却を世話する人がいた。あまりに覚えてもらえないので虚しくなり、去っていく者がほとんどだった。「はじめまして」と忘却は両親や兄弟にも言うのだった。「はじめまして

千人伝(百八十六人目~百九十人目)

百八十六人目 綿菓子 わたがし、は甘く、とろけて、すぐに消えてしまうような、儚い子であった。親を含めて誰もが、綿菓子は長くは生きられないだろうと思い込んでいた。綿菓子が生きるにはこの世界はあまりに厳しく、強さを強制していた。人に舐められれば綿菓子の命は減った。人に撫でられれば綿菓子の命は削られた。人の口に含まれれば綿菓子は溶けた。 予想に反して綿菓子は二十歳を超えても生きていた。減って削られて溶けた綿菓子の身体は、次々にまた新しく内側から作られていった。芯となるものが折れ