見出し画像

すしとあの人・150 「水木しげる」

誰もが知っている漫画家。「ゲゲゲの鬼太郎」は朝のテレビ小説で国民的なドラマにもなりました。また、妖怪研究の大家でもあります。 ただこの人の作品群で忘れてはならないものに、戦争モノがあります。自身はラバウル島へ出征し、危ない目にもあって、ついには左手を失います。片手の生活で漫画家になるなんて、さぞや苦しいものだったでしょうが、ご本人はケロッとしたもの(のように著書では書いておられます)。戦争が終わっても、「このまま現地に残って暮らそうか」と考えたそうです。それほどまでに、地元の人と仲よく暮らしていたんですね。 - そんな彼が復員後、闇市に通ってオカラのすしに出会いました。その姿は、自叙伝『僕の一生はゲゲゲの楽園だ』の表紙にもなっています。「オカラの上にタラやイカを乗せたもの」で、「5円で5個」食べられたそうです。イラストには「おいしいオカラずし」と描いてありますが、実際のところ、どうだったんでしょう。一説には酢なんて使っておらず、水気も味気もない豆腐の上に魚を乗せたものだ、とも書かれています。 ただ、オカラのすしも、作りようによっては美味なるもの。また、美容食として使っている人も多いことは、今月のすしでも述べたとおりです。 - さて、戦中、戦後と、とにかく腹一杯食べることが大事で、その意味では、彼はグルメではなかったもしれません。漫画家としてメジャーになっても、その「非グルメ」は変わりません。美味しいものをひとつ見つけると、1年のうち360日はそれを食べても文句は言わない、という人でした。 最近では、京樽の茶巾ずし。これが大好きで、目を遠くしながらパクつきます。よくもまぁ飽きないものだ、と、奥さんも娘もスタッフたちも思っていたそうですよ。 - そんな彼がこの世を去ったのは平成27年のことでした。翌28年、青山葬儀場でお別れの会が開かれました。その時の料理の中にすしの盛り合わせがあり、イクラの軍艦巻きの上にゆで卵(かなぁ)の目玉おやじが乗っているものがありました。さすが、水木しげるの葬儀。あの世へ送る時も妖怪です。 その隣に、皆さん、お気づきになられたでしょうか、イカの握りずしがありました。えぇ、もちろん、オカラのすしではないですよ。 白いイカの上に黒ゴマがふたつ。はい、鬼太郎ファミリーの一反もめん。やっぱり妖怪でした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?