読書メモ 『手の倫理』 伊藤亜紗

この著者の『どもる体』、『記憶する体』が面白かったので、『手の倫理』も読んでみました。

『記憶する体』は下記のサイトから、一部が読めるようになっています。

https://bookclub.kodansha.co.jp/product?item=0000345814

人が人にさわる/ふれるとき、そこにはどんな交流が生まれるのか。介助、子育て、教育、性愛、看取りなど、さまざまな関わりの場面で、
コミュニケーションは単なる情報伝達の領域を超えて相互的に豊かに深まる。
ときに侵襲的、一方向的な「さわる」から、意志や衝動の確認、共鳴・信頼を生み出す沃野の通路となる「ふれる」へ。
相手を知るために伸ばされる手は、表面から内部へと浸透しつつ、相手との境界、自分の体の輪郭を曖昧にし、新たな関係を呼び覚ます。
目ではなく触覚が生み出す、人間同士の関係の創造的可能性を探る。

 話しかける時に必要以上に顔を近づける人いますよね。それから肩、腕、背中に軽く触れてくる人も。
 私はそういう人が苦手です。「勝手に触らないで!」と抗議したいのですが、しません。この本を読んで、そういう自分が介護されるようになったらどうなるのか考えていまいました。信頼関係があれば、「任せ」「委ねる」ことはできるのでしょうが、信頼関係もなく、モノのように扱われたら、一体自分はどのように感じ、反応するのでしょうか。頑固で扱いにくい被介護者と認識されて、さらに関係が悪化していくのでしょうか。
 19歳で全盲になった女性が、ひととかかわるときには「だまされる覚悟をする」し、結婚してから夫を心から信用できるまでに3年の月日を要した話。著者がアイマスクをして伴奏者と走る経験をして、「人を100パーセント信頼してしまったあとの」「解放感」「幸福感」を味わい、「いかにふだんの自分が人や状況を信頼していなかったか」痛切に感じた話。これらを手掛かりに、手や接触を通じた人とのコミュニケーションについて考えていこうと思います。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?