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私の「場面緘黙」昔と今

前の記事で書きましたが、自分は『場面緘黙』と思っています。

思っている、というのは、どこかで診断された訳ではないので、時々、「自分の思い込みじゃないのか?」と言われる事がありますが、そういう時は、じゃあこれまでの経験をどう解釈したらいいのか、どれだけ悩んで苦労してきたか、本当に分かってもらえないと思い、悲しくなります。

子供の頃、親戚が集まった中で、ここに居たくないとは言えず、他の子がみんなどこかに遊びに行ったのに、だまってずっと何時間もただ座っていたことや、親戚の伯母から、この子はしゃべれない子かと思ってたけど、テレビを見て笑った時初めて声を聞いた、と言われたり、返事をしない、とある伯父から何度も返事の練習をさせられたり。。。

最近は、学校ではこのような学生はどう扱われているのかわかりませんが、私が子供の頃は、ただの大人しい子、孤立した子、という認識しかなかったので、とにかくみんなになじませようと、無理やり集団の中に入れさせられました。

自由時間が苦痛でしたが、それは雑談ができなかったからです。
たわいもない会話ができない、したくもない。理由は分かりません。
ただ、仲の良い子とは話せましたが、それは1対1の時ぐらいで、そこに他の子が入ると、緊張が走り、話せなくなる。

特にグループ学習がとても苦手で、意見が言えずただ聞き役、また、給食の時も、グループになって食べていたのですが、毎日無言でした。

最悪は新学期。
先生方は、気を利かしてなのか、もっと社交的になってもらいたいと思ったのか、仲の良い子とは必ず別のクラスになっていました。

なので、4月、5月は特に精神的な緊張が強く、学校には行きたくなくて、いい思い出がありません。

この緘黙、客観的には、大人しいというか、話しかけてもしゃべらない無口な子で、家族や仲のよい子とは普通に話している、変わった子です。

これが本人からしてみたら、内側ではすごい葛藤があります。

まず、話さなきゃ!といつも思ってはいるのですが、そう思うと、相手と自分の間に見えない壁が出来てきます。
それが、意識すればするほどその壁が厚くなって自分を圧迫してくるのです。
話さなければならないという強迫観念がとても強くなっているのだと思います。

特に、相手から、「だまってても分からないよ!」なんて言われると、何か追い詰められた感じになってきて、益々胸が苦しくなってきて、声が出ない状態になります。
精神的にも、とても辛く、悲しくなってきます。
何で声が出せないんだろう、という思いもあれば、もうこれ以上追い詰めないで!という叫び、自己嫌悪、色んな感情が湧いてきます。
(子供の頃は、こういった感情の分析はできなくて、ただ泣いていました)
と、本人にはこんな葛藤が内側で起こっています。

今は、この状態はだいぶ緩和されていますが、人との間の緊張状態は相変わらず強くて、一人の時間ないと、気が休まりません。

どこで緩和されたのか?
大きな影響があったのは。。。
社会人になって、色んな人と仕事をしなければならなかったこと
強烈な「自己啓発セミナー」

そして精神的、肉体的に、鍼灸の治療もプラスに働きました。

次回に続く・・・


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