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三浦瑠麗氏のツイート「大衆的な民主主義の時代においては、一番の権力者は民衆です。彼らに全く受け入れられない「アート展」には持続可能性がありません。」2019年9月26日、に関するメモ

https://twitter.com/lullymiura/status/1177033118747783168?s=20

「大衆的な民主主義の時代においては、一番の権力者は民衆です。」この”命題”を分析するだけでも、三浦氏の欺瞞が明らかになりそうな気がする。

「大衆的な民主主義」。民主主義は民主主義であって、それ以上でもそれ以下でもない。”大衆的”と限定することで、民主主義の”スペクトル”を拡張しようとする意図が読み取れる。それは日本国の「権力者」が従うべき”日本国憲法”の意味での民主主義以外の民主主義の領域を意味しているのであろう。

民主主義はあくまでも近代的な国家運営のための唯一の解=「原理」であって、大衆的な民主主義とか貴族主義的な民主主義などという「限定」はあり得ないのである。「原理」としての民主主義は一つの全体なのだ。三浦氏が日本の「民主主義」を”日本国憲法”の外部に連れ出そうとする意図が露見している。

「一番の権力者は民衆です」。「国際政治学者」らしからぬ大雑把すぎる言明だ。いまどきこんなことを上から目線で言われて虫酸が走らないとしたらどうにかしてる。

欺瞞そのものだと言うべきだ。

三浦氏のような人物に民衆扱いされたら終わりだと思っていい(笑)。

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