見出し画像

PET "それ"を飼ったら、終わり。

久しぶりに実家に帰ると、数ヶ月も会っていないというのにお利口さんな毛むくじゃらが迎えてくれる。
よーしよし、わかったわかった。
何がわかったのかはわからんが、愛くるしい圧にただ求められるままに撫で回す。

旅行の土産を置いて、少々の両親の喧嘩の仲裁をして、また家を出る。
ズボンについた毛をコロコロと。
している間からまた「ハッハッ」と寄ってくる。

かわいい。

しかしだめだ。
31歳の独身男性がペットなど飼ってしまったら。

"終わり"が、始まってしまう。

悲しきピエロ

基本的に独身男性という生き物は、ある程度の寂しさを通り越すと悟りを開くのだと思う。
いつしか修行僧のような生活を自発的にすることで、"セルフ出家"のような状態に陥る。

スウェーデンの余暇を楽しむ文化に「ヒュッケ」というのがあるらしいが、日本の独身男性が人生の余暇を楽しんでいるこの現状も「シュッケ」とでも名付ければブームになるのではなかろうか。

ミニマリストゆえに狭くもスペースに余裕のあるこの部屋に、もしも愛くるしい毛玉が転がっていたなら。
何度もそう考えては自分の理性の勝利に安心する日々を送る今日この頃である。

この5年で15回くらい引っ越しをして各地でふらふらとしていたが、ようやく昨年から首都圏に身を落ち着けることができそうと思ったのも束の間。
2年後にはまた地方の大学院にでも通おうかと画策してしまうのだから、ペットなんて変えたもんじゃない。

キャンピングカーでも買って日本中の大自然を旅できるのであればまだしも、各地方都市を何年か周期で巡り続けるなんてのは、動物にとっては落ち着かないことこの上ないだろう。

独身というのは、1人で生きているということだ。
それは人間のパートナーがいないだけのことでもなく、動物にさえも「いやー。俺と一緒にいても可哀想なだけだしなぁ」と気を遣ってしまうということなのである。

サイコな間取り

沖縄の離島に暮らしていた時には、なぜかペット可の物件に住んでいた。
それもただのペット可物件ではなく、ご丁寧にドアにネコの通り抜け専用の小窓が付いていた。

扉を開閉するたびにちょっと揺れるその小窓。
プランプランと、特に何も出入りしないのに不安定に揺れるその小窓を見ていると、この上ない「無駄」を感じたものだ。

猫なんて飼っていないけど、キャットタワーはなんか欲しい。
いっそのことキャットタワーだけ買って、棚としてインテリア活用しようかと思う。
しかし想像してみる。友人が家に来たら、当然の如くキャットタワーが目に入るだろう。

当然友人は「あ、猫飼ってるんだ」ではなく、それすらも当然というくらいに「え、ネコちゃんどこいんの?」と聞いてくるだろう。
キャットタワーがある家というのは、猫がいるのかどうかの確認すら必要ないくらいに、当たり前に、100%猫がいて然るべき家なのだ。
しかしそれに対して俺は答えてしまうんだろう。

『え、いないよ?』

単なる「変なやつ」では片づけられないヤバさがそこにはある。
さらには、キャットタワーがあることによって、自分自身も猫がいないことへの違和感に苦しむ気もする。

いつしか、存在しない愛猫を可愛がるようなやばい独身男性になってしまうんじゃないだろうかと思い、未だ猫を飼うことも、キャットタワーを購入することも思い留まっている。

よくできた犬

例えば犬を飼ったとして、ペットというのは非常にお金がかかるのだ。
実家には大型犬が3匹、猫が1匹いるが、それはそれはもう犬中心の家計となっている。
餌代もおもちゃも、ペットシーツも、病院代もバカにならない。
将来自分が相続する分の親の金融資産が変換されたドッグフードをチャグチャグと嬉しそうに食べるのをみるたびに、実家のリビングでノスタルジックな気分になる。

SNS全盛の時代だ。せっかく飼うのなら、自分の生活費くらいは自分で稼げるペットじゃないと俺はもう買えないだろう。
アカウントの運用は俺が担当するので、その可愛さと芸達者な表情と、ユニークな瞬間で自分のご飯代は自分で稼ぐんだよと、そう躾けたい。

26年間親の金で教育を受けさせてもらった俺からしたら、生後数ヶ月でその愛くるしさだけでインスタでバズってしまうペットなんてのはもう完全敗北しているのである。

毎週5日、9:00~18:00で働く俺よりも、飯食って散歩して寝て遊んでるだけの犬の方がよっぽど世界を笑顔にしているんだと思うと、そりゃ撫でるくらいはしてやらないとなと、その手がついつい動いてしまうのである。

パートナーとして、女性も動物も友人も、生活を誰とも共有しない独身男性が行き着く先には何が待っているのだろうかと、たまに考える。
多分何も面白いことは待っていないので、俺も逆に犬のような生活をしてみるのもいいだろう。

必要以上に毎日のご飯を楽しみにしよう。
毎日同じ道を散歩しても、すごいテンションを上げよう。
超シンプルなおもちゃで遊んで、最高に暴れよう。

最後に

今日もなんとかペットを飼うことを踏みとどまる。

猫欲を満たそうと猫カフェに行こうとするが、流石に31歳のおっさんが1人で猫カフェはないだろうと思い留まる。
実家の犬でもモフりにいくかと思い、外着を選択していないことに気づく。
夕方、近所で見かけた犬の散歩をする人に声をかけようとするも、自分がサングラスにピアスなので自粛する。

ペットを飼わなければ飼わない程に、ここに存在しないペットに俺の人生が影響を受けていく。
ペットを飼っていないからこそできることを、今のうちにしておこう。そうだ、旅行に行こう。
ペットを飼っていないからこそ、毎日散歩に行かなくていいので家で寝ていよう。

この部屋に存在していない俺のペットに、俺の生活が、人生が決められていく。
この部屋に存在していないキャットタワーに、物欲の大部分を支配されていく。
この部屋に存在しないペットの影響で、世界中の動物達への気持ちが溢れていく。

きっと、ペットを飼ったらいよいよ本当に恋愛も結婚もしない人生になるだろう。
『家に猫いるよ』と女性を連れ込める活力があるのなら、猫など居なくても何かしらのロマンスは起こる人生なのだろうと諦める。

ペットを飼っていない独身男性は、ただの独身男性にはもう戻れない。
『ペットを飼っていない独身男性』
として、皮肉にも今日を存在しないペットを中心に生きてゆく。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?