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見知らぬ世界は境目のない世界

はじめに

この記事は、緊急事態宣言アドベントカレンダー2日目の記事だ。

(クリスマスじゃないのにアドベントとはこれいかに、というのはあるが大目に見てほしい)

都知事、満員電車ゼロの公約達成!?

先日、ついに政府から緊急事態宣言が出た。
今のところは、拍子抜けするほど強制力がないものだが、それでも足元の世界は明らかに激変している。象徴的なのが、「地下鉄通勤、6割減」のニュースだ。

つい数週間前は、電車に乗ると「ちょっと空いてるかな?」と感じるくらいの変化はあった。
今はもう、電車に乗っていないので体感値はわからない。しかし、「6割減」となると激減だ。
乗車率200%の電車が、100%を下回るということだ。
都知事が公約に掲げながらもなかなか実現できなかった満員電車ゼロは、まったく予想もしない形で実現された。

COVID-19の感染が落ち着いたあとも、この混雑率が保たれるのであれば、生活者目線では実によい変化だ。しかし、そのために超えなければいけないハードルは決して低くない。こちらの記事の見出しを見てほしい。

混雑の著しい緩和率と、テレワーク実施率との間にはもっと相関があってよいのではないか。しかし、テレワーク実施率はいまだ、低いままだ。多くの人にとって、いまだリモートワークは見知らぬ世界であり続けている。

3月に訪れた「見知らぬ世界」

私にとってもWFH(Work from Home)は見知らぬ世界だった。しかし、3月の頭から突如としてそれは始まった。チームでのコミュニケーションをどうするか、働くための環境が家にないけどどうしよう・・・奔流となって押し寄せる変化の波に対しては、意外と「思ったよりもいけるぞ」という感触をもつことができた。

その時の気づきや気持ちは、noteにまとめておいた。

このときは感染者数の激増もなく、都内の累計感染者数は100名未満にとどまっていた。

2週間で変わった世界

3月半ばから2週間ほどは通常の勤務に戻っていたのだが、年度が変わる少し前にまたWFHでの勤務となった。その2週間のブランクがあるからか、世の中の変化を如実に感じる。

・街を出歩く人が少なくなった。
・ラーメン屋の行列がなくなった。
・商業施設が営業しなくなった。
・居酒屋は軒先でテイクアウト販売を行うようになった。
・自分自身、外で食事をとろうという気持ちが湧いてこない

東京都が感染者数などをオープンデータとして公開してくれているので、この二週間で感染者数がどれだけ変わったのかを確認してみた。
前回WFH期間中は、一日の感染者数が10人を越すことはほぼなかった。
累計も100未満。
二週間後の世界では、累計感染者数は500を超えていた。さらに二週間後は1700人。

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実際に数値で見ると、なかなかゾッとする。この状況を考えると、今は26%に留まっているテレワーク率も不可避的に上昇していくのではないだろうか。そして、これから移行するところは「準備できていない」ところが多いはずだ。(準備ができているのであれば、この状況下で移行していない理由は少ないだろう)
業務の本質はリモート化できているのに押印のため出社しなければならない、そんなニュースも聞く。DXの推進がいまこそ求められる。

アナログとデジタルの境目を超えて、テレワーク(リモートワーク、WFH、在宅勤務…)が当たり前のものになっていくと、何が起こるのか。

そこには、「境目のない世界」が広がっている。

境目のない世界

家庭とは別な場所に職場をもつ、通常の勤務。リモートワークやテレワークであっても、この「出勤」という感覚はある。しかし「WFH」は別だ。職住近接なんてもんじゃない。職住同一となるのだ。

起床し、家族と朝食を摂る。そこから仕事を開始するまでに数分もかからない。
仕事を始め、休憩のために部屋を出る。そこには、家族がいる。
ビデオ会議中に、部屋の外から家族の声が聞こえてくる。時々、子供が部屋に入ってくる。
一日の仕事を終えPCを閉じ部屋を出ると、そこには、家族がいる。

仕事の合間に家事をしたり、子供と遊んだり。
私生活と仕事が、緩やかに溶け合いはじめている。
家族と接している時間が増えたのは、単純に嬉しい。
一方で、大変なことがないといったらウソになる。

・大事な会議中に子供たちが騒いでしまう
・気分を切り替える時間がない
・とにかく動かない

ヘッドセットを使うことでこちらの生活音が入らないようにする、
出勤するときと同じように身だしなみしてから仕事に入る(これはとても効果的だった)、
出勤前の散歩と休憩時間の筋トレをとる。こういった対処方法で、いまのところはなんとかしのいでいる。

そしてこの境目のなさは、仕事に限らず他者とのコミュニケーション全般に広がりつつある。「リモート飲み会」などは最たる例だ。参加も中座も自由自在、飲み会に参加しながら散歩にいったりギターを弾いたり、なんてこともできてしまうのだ。

この境目のなさ、自由度の高さは様々な物事への参加障壁を低くする。
COVID-19の蔓延が引き起こした、数少ない喜ばしい変化のうちのひとつだ。

自ら境目をつくる

しかし、この「境目のない世界」の自由度、なかなかの曲者である。
溶け合った境界の中で際限なく仕事をしてしまったり、逆に私生活のウェイトが肥大化し業務がままならなくなったり。(これは、学校や保育園が休校・休園となっている現状では致し方ない面もあるだろう)

万事、私生活も仕事も境目なく引き受けた状態では情報量がパンクする。
ではどうすればいいかというと、意識的に境界線を引けばよいのだ。

書籍「チーム・ジャーニー」の中に「情報流通のための境界設計を行う」というくだりがある。

ここにある「すべての情報を全員で共同所有する」という考え方からスタートし境界を設計していく、という考え方は、自分自身の私生活・仕事に境界線を引くうえでも有用だ。

・私生活と仕事、両方をすべて同時に扱う前提を置く
・時間軸/ミッション軸、境目の置き方を決める
 ・たとえば…8:00-12:00,13:00-17:00は勤務、とか「〇〇のタスクが終わったら家事」とか。
 ・食事は必ず家族と摂る、とか。
・越境を設計する
 ・子供の泣き声が聞こえたら仕事を中断する、とか
 ・重要な同期コミュニケーションをとるときは家族に共有しておき、
  その時間は100%仕事にコミットすることを伝える、とか
 ・ビデオ会議に子供がうつりこんでしまうことはOKとする、とか

これは、事前に計画しておくというよりは経験から学び、意識的な行動様式へと落とし込んでいくのが筋がよいだろう。
家で働くには、家庭が仕事になだれ込んでくる、越境というより領空侵犯してくることをある程度覚悟しなければならない。
会議中に子供やペットがフレームインしてきたり、配偶者と目があったMTG参加者のほころぶ顔が見えたり。

こういった起こりうる越境については、もしかしたらチームのワーキングアグリーメントに明記しておくとよいかもしれない。子供やペットのフレームインは、他者から見ればほほえましく歓迎できるものなのだが、当事者はとにかく焦る。「うちのチームは、大丈夫だよ」と示してくれると、ホッとする。

見知らぬ世界は境目のない世界

急速に進むテレワークへの移行。そして、これは今のご時世だけかもしれないが、「家から出ない」世界へと変貌しつつある。

フルリモートワーカーである @papanda さんさえも、「フルWFH」というのは経験がない世界だ。誰にとっても「見知らぬ世界」が到来しているといえる。

そしてその見知らぬ世界は、さきほど記したように「境目のない世界」でもある。私生活と仕事が溶け合う。溶け合うがゆえにワークライフバランスは崩れやすく、境目のない世界の中では意識的に「境界線を引く」ことが必要だ。

見知らぬこの世界には、知らないことがまだまだ多い。これから、さらに状況も変わっていくだろう。いまほど、経験主義の考え方が重要な時代はない。経験から学び、日々を生き抜いていこうではないか。

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