見出し画像

アンラーニングはラーニングより大変

アンラーニングが流行ってる

アンラーニングという言葉を聞く機会が増えた。
アンラーンと聞くと黒夢を想起してしまうがきっと無関係。

なぜアンラーニングが流行っているのか。VUCAとも言われるこの時代、昨日のベストプラクティスが明日のアンチパターンなんてこともある。
価値観のアップデートが日常的に求められる中で、アンラーニングが声高に叫ばれるようになったのだろう。

私のアンラーニング体験

前職は半導体の企業だった。品質に対しての要求は非常に厳しく、新卒で入社した私は最初の一年半くらいはひたすらテストコードを書いていた。
ドキュメントも重要だった。
webで共有されるドキュメントには「印刷されている場合、それは最新版とは限らない。webにあるものだけが最新版だ」とわざわざ注意書きがされていた。

転職してソフトウェアの会社に就職した。
品質に対する要求が低いわけではないが、かける時間は半導体企業とは全然違った。
要求が固定的であり少しの変更が壊滅的な結果をもたらす半導体と、
要求が流動的で軽微な不具合は反復的なリリースでリカバリーできるソフトウェア。
品質に対する要求は当然異なるのだが、頭ではわかっていてもその前提に対する抵抗感はなかなか薄れなかった。

もはや、理屈ではない。前提としてインプリンティングされた価値観と目の前の事象にズレがあると、違和感を感じずにはおられないのだ。

じゃあどうやって解決したかというと、ミもフタもない話だが時間が解決した。
ソフトウェアのライフサイクルを肌で感じ、テストの費用対効果などを考え、何も常に最大限テストすることが正ではないと心で理解したのだ。

理屈じゃないんだ

アンラーニングは理屈だけでは成り立たない、と私は考えている。
新しいことを学ぶポジティブなラーニングとは異なり、アンラーニングにはある種のネガティブがつきまとう。
過去の正しさを否定し新たな価値観を受け入れることになるからだ。

であれば、時間がかかるのも仕方なかろう。
もしかしたら、個人的に信頼している人のひとことで書き換えられるかもしれない。

なんにせよアンラーニングは前提としてインプリンティングされた価値観を棄却する作業にほかならない。
本を読んだから、話を聞いたから、研修を受けたから即座に変われるものではない。
あわてず、あせらず、自分が変われるスピードでアンラーニングしていこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?