「組織を芯からアジャイルにする」再訪録 #devlove
はじめに
先日開催された「右手編」に続き、左手編、2022年に出版された「組織を芯からアジャイルにする」を深堀りしていくイベントが開催されました。これはその参加レポートです。
なお、右手編の参加レポートを公開してますので、あわせてお読みください。
今回(左手)も、前回(右手)と同じくMiroをフル活用したイベント進行でした。
組織をシンからアジャイルにする
イベントが始まってすぐ、ちょっとしたひっかかりがありました。書籍のタイトルは「組織を芯からアジャイルにする」、今日のスライドのタイトルは「組織をシンからアジャイルにする」。この「芯→シン」に込めた想いとはいったいなんなのか。
「組織」とは
「組織の基本構造は[意図]-[方針]-[実行]。どれかひとつが欠けても成立しない大切なものです」。
おそらくのちほど公開されると思いますが、意図→方針→実行は一方通行のものでなくフィードバックによる循環を前提としたものとして図示されていました。
整合
右手編でもキーワードになっていた整合。意図と方針を整合し、方針と実行を整合し、実行結果と方針・意図を整合する。実行結果と方針・意図は整合しないことがままあり、そのまま放置すると「大本営発表」になってしまう。だからこそ整合というのは欠くべからざるピース。
知行合一
意図方針実行の循環により、組織は自分たちの思う通りに動ける体になる。
人体のメタファーで考えると、それこそ数多の人間がひしめきあう大きな組織でひとつの体として動くというのは困難を極めるのも至極当然だな、と考えさせられます。
社会環境との整合
社会的な価値を生み出す、という組織の役割を考えるとここは重要なポイントです。しかし、そもそも社会的な価値を生み出すことが存在意義であるはずなのに、そこからずれてしまうことが起こるのはなぜなのか…
組織の機能不全
方針がない、方針が絵空事、意図や方針が機能不全。これらの組織バグの中でも、「意図」の欠如は深刻度が高いと考えています。そもそもの存在意義がなぜ揺らいでしまうのか。
これは人数が増えても期待どおりの動きができるよう標準化され、最適化の最適化が進行していくため。
「そんなことあるのか、といえる人はいい組織にいます。いろんなところで起こっています」ーー。笑いながらも、厳しい現実を市谷さんは語ります。
リビングデッド
実行を効率化するためには細分化がなされていきます。
「現代の組織はある意味分散組織なんです。けれども、意図をもった分散組織であるDAOとは異なり、そこには意図がない」。
だからこそ、「芯」が必要となる。共通の意図としての芯。ここを明らかにすることで、一度機能不全をおこした組織はふたたび社会環境との整合を目指すことができます。
ドーナツのような組織
肝心の「芯」がない組織。透けて見えるような薄いもの。
「無いものは無い」。
ここで疑問なのは、「芯がない」という深刻な状態でなぜ存続しているか、というところです。その不思議さがあるからこそ「リビングデット」のメタファーとなるのかもしれません。
集団浅慮へのいざない
限られた時間の中でたどり着ける合意は「浅い」。まさに集団浅慮(グループシンク)が起きてしまうため、芯の形成が阻害されてしまう。
ここでいう合意ってなんだろう?って考えていたのですが、合意したというエビデンスを「文書」に求める、文書の作成をもって合意したと判断すると、それの作成自体が目的化するので「浅い」ものになりやすいのだと腹落ちしました。
芯をさがして
じゃあ、芯をさがそう。なんだかオズの魔法使いの「ハート」を探すブリキ人形みたいな話です。この無い物ねだりを実現するのは、私たちアジャイル実践者が日頃から営んでいること、「探索」と「適応」です。
探索し適応する。最適化する。最適化一辺倒ではなく探索にも戻り見直していく。常にダブルループ学習。では、これをどのようにして組織にやどしていくのでしょうか。
「ここからが、今日のメイントピックです。」
手がかりは「プロダクト作り」にある
プロダクトづくりで仮説検証型アジャイル開発を実践し、その探索と適応のすべを学ぶ。学びをチームから組織へと広げる。
はじめて顧客インタビューをすると、だいたい自分たちの仮説があっていないという事実に直面します。それを受け取ることができるか。シビアなフィードバックを受け止められるか。
組織スタンス
変化しないようにするロバスト性、変化に対応しもとに戻ろうとするレジリエンス、変化に適応するアンチフラジャイル。
「プロダクトチームに必要なのはアンチフラジャイル性で、それを組織に広げていきたい。」
学ばなくても、変化しなくても生きながらえてしまえる組織。それに対し、今日のプロダクトは学ばず変化しないとあっという間に淘汰されていきます。そう考えるとプロダクト作りを通して探索と適応を組織に広げる、というのは実に合点がいきます。
変革のプロダクト
自分たちを映し出す姿見としてのプロダクト。「プロダクト・レッド・オーガニゼーション」が脳裏をよぎります。
「芯は一発で見つかるわけではない。磨いていきましょう。」
アジャイルは目に見えないが、プロダクトは目に見える。これは本当にそうで、当事者たちが「うまくいってます」と発信を重ねることよりもピリッとしたプロダクトがひとつ提示できるか、っていうのが重要です。
求芯力と遠芯力
アジャイルなプロダクトづくりで人や技術を集め、プロダクトづくりの発信が組織内の関心を集める。
じゃあ、それが組織にとってよいものだという判断をする力を、判断する人が宿すには?
そのためには現場に立ち会ってもらうしかない。現場は、そこに立ち会うための道を舗装すること。
では、この求芯力はどこから発揮していくとよいのでしょうか。
遠くから、狼煙をあげる
組織の中枢から始めると、一気に情勢をひっくり返せる期待が持てる。けれどもそれまでのモメンタムが大きい。だからこそ辺境から始める。一人でこそ始める。
ここは、実際に一人からジャーニーを始めた市谷さんの矜持を感じるポイントでした。
(個人的には、すでに熱量の高い同志がいるのであれば複数人から始めてもいいと思っている)
アジャイルCoE/アジャイルブリゲード
アジャイルCoE
探索と適応のすべを組織へと広げるための横断組織。
アジャイルブリゲード
現業・事業部門へと直接的に関係し、具体的な探索適応のプロジェクトの立ち上げ、推進にあたる越境チーム。
(余談ですが、私が所属する企業におけるアジャイル推進ワークグループは、このアジャイルブリゲードという発想に共感しワークグループ名をその名も「アジャイルブリゲード」にしています)
アジャイルハウス
まずアジャイルマインドの理解(協働のメンタリティ、越境のメンタリティ、変化のメンタリティ)。チームで動くためのアジャイル、探索と適応のためのアジャイル、進化し続けるためのアジャイルといった具合に階層を重ねていきます。
ふりかえる。むきなおる。かさねあわせる。そうしてチームとして「動けるからだ」をつくる。
探索と適応のために「正しいものを正しくつくる」。
進化し続けるため、社会環境との間で整合を取り、適応できる組織構造をつくる。
「大事なのはフィードバックループがまわっていくことなんですよ。組織学習できていますか。組織の志向性がありますか。これをアップデートするためには学んだことでもって自分たちを揺さぶらなければいけない。」
同胞たちよ、芯臓を捧げよ
組織の芯は、より良くあろうとする「そこ」に現れる。「芯」組織の鼓動はスプリント、循環する血液は関心であり熱量。
では、こうした関心はどこから芽生えるのでしょうか?それは過去と未来と現在の繋がり、From-To。
どこからきて、どこへいくのか。自分たちは何者なのかと向き合い続ける。
ここらへんの話は、本当に市谷さんの血肉となっているアジャイルのハートビートが感じられて、聴いていて実にエモかったです。
組織変革こそ「不確実性の極み」
不確実性が大きいのに、組織の施策には予め確実性が求められてしまう。
この挑戦自体に仮説検証が必要。
「回転」は、変化を得る「機会」そのもの
スプリント/回転の数だけ、これまでとは異なることに挑戦できる。
そのとおりだし、回転を回すことで「異なることに挑戦する」ことに慣れていくという効果も大きいんじゃないかな、とおもってます。
鼓動を止めない限りいつか勝てる
それはそう。でも、いつまで?いつか芯臓を動かし続けることに疲れてしまう。
では、うまくいっていたところまでもどろう。時間をゆるめよう。とにかく、傾きをゼロにしない。
「傾きをゼロにしない」はここ数年、市谷さんが大切にしているメッセージです。ここがゼロになってしまうと、ふたたび動きだすのは「止まってしまった」記憶が組織に宿る分かなり難しくなる。そう考えると、傾きをゼロにしない、というのはかなり重要なポイントになってきます。
一燈照隅、萬燈遍照(いっとうしょうぐう、まんとうへんしょう)。
組織の中でほのかでも光源を作り残す。
光源を組織問わず集めること。これがコミュニティの意図。
この話を聞きながら、自分は組織の中の光源たりえているだろうか、ということを顧みていました。
組織をシンからアジャイルにするとは
ここでついにタイトルが回収されました。
組織をシン(正しいものを正しくつくる)でもってアジャイルするであり、芯から始めて、やがて組織をアジャイルにするであり、「組織を芯からアジャイルにする」である。
キレイに2つの書籍がつながって、右手と左手が出会って、しっくり腹落ちしました。
Q&Aいくつか
自分が書いた付箋でピックアップしてもらったものをメモしておきます。
Q. 芯を失っているのになぜ組織は存続しているのだろう
A. 「まだ」存続している。もともとは売れていた。フィルムだったり色々な前例があるとおり、社会が求めなくなればそれは存続できなくなってしまう。
Q. 話としてかなりしっくりくるのですが組織はプロダクトと比べて不変のものであるという思い込みが強い感触があります。なぜなのでしょうか
A. 組織こそあやふや。組織はどこにある?組織図?本社ビル?不変なんかじゃない。変わっている事自体がわからない、という意味ではわかりづらい存在。
Q. コングロマリット的な企業はこのサイクルにもっていく最初のプロダクトをどれにするか、で悩みそうです。どのように決めてゆくのでしょうか。
A. コングロマリットは大変。複合事業を独立的に行い効率を上げる性質のものだから、どれも大事。難しい。それでもわかるところからやるしかない。まだ可能性があるところ、やりやすいところ、それこそ辺境の地から始めることが手がかりになるかもしれない。
Q. すでに熱量が高い同志がいたとしても、一人でこそ始めたほうがよいのでしょうか
A. どちらもあり。ただ、熱量が高いと回転が加熱する可能性がある。理想ではなく実行できるか。有志の力があるからこそ取り組めることもあるので、両面ある。
さいごに
出版からまだ一年も経っていない「芯アジャ」ですが、それでも出版時点からのアップデートはあるし、自分自身の受け取り方も変わっていることを実感しました。まさに社会への適合!
前回同様、市谷さんがいきいきとお話されているのが印象的でした。
そして、組織を変えるという大それた話が、実は自分たちが普段とりくんでいるアジャイルと地続きのものである、という気づきは私含め多くの参加者の胸を熱くさせたのではないでしょうか。