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2023.09.07 最終出社日


新しい経路が見つかりました

2009年に中途で入社し、およそ15年間在籍した株式会社ナビタイムジャパンを退職することにしました。

15年。新生児が義務教育課程を終了するくらいの長い時間をここで過ごしてきたことになります。

このエントリーでは、その長いようであっという間だった15年間をふりかえってみたいと思います。

おら東京さ行ぐだ

2009年2月。大学、大学院、前職と長い間つくばで過ごしてきた私ですが、一身上の都合により転職をすることになりました。おりしもリーマン・ショック直撃の折。求人は乏しく、少しでも母数の多い東京で就職活動をすることにしました。

東京の土地勘なんか全然ない、Suicaさえ持っていない・・・そんな私が東京で就活するために使い始めたのが、NAVITIMEでした。

フィーチャーフォン時代に出版されていたNAVITIMEガイドブック

いやーこれは便利だわ、とNAVITIMEを片手に就職活動を進めていたわけですが、ある日エージェントの方が持ってきた求人票の中に「株式会社ナビタイムジャパン」があったのです。「自分が使っていて便利だと感じているサービスに自分も関わりたい」、そう直感的に感じ、ナビタイムジャパンにジョインしました。

 開発者として、マネージャーとして

15年の長いキャリアのほぼ全期間を通し、研究開発部門に所属していました。ゼロイチの研究開発、レガシーコードのカイゼン、既存フィーチャーのスケール。自ら考え、周囲を巻き込みながら突き進む研究開発は苦しくも楽しいものでした。
もっとうまく開発したいという想いからアジャイルと出会い、もっとワクワクと働きながら成果につなげたいという想いからOKRと出会い、現在に至るわけです。

VP of Engineeringとして

VPoEに任命されてからは、自分が「もっとよくしたい」と思う対象がチームから組織に広がりました。自分のチームをもっと輝かせたいという思いから取り組み始めたアジャイルやOKRを組織に拡げていったのはこの視座のアップデートがあったからできたのかなー、と思っています。

四十にして惑う

楽しくいきいきと、そしてのびのびと日々の仕事を楽しんでいました。
2009年に25歳でジョインし、今年は15年目。誕生日が来ると40歳になる。そのタイミングでキャリアについて見つめ直したとき、チャド・ファウラーの「一番の下手くそでいよう」という言葉が頭をよぎるようになりました。

やりがいのある仕事。信頼のおける仲間たち。信頼してくれる仲間たち。正直、こんな得難い環境を手放すべきなのか?というのは相当に悩みました。けれども「一番の下手くそ」になれる環境に身を置きたい、そういう想いが日々高まり、新しいチャレンジをする決断に至りました。

その時がやってきた

漠然と、10月からは新しい会社で働くということは決めていました。私の誕生日が10月で、40歳になるタイミングでは新しいことをやっていたかったというのが理由です。

そこから逆算して、引き継ぎになんやかんや3ヶ月くらいはかけたいと考え、6月末に退職意向を伝えました。

まだどこに就職するか決めかねていた私に、CTOは「相談に乗るよ」と声をかけてくれました。実際相談に乗ってくれましたし、私が行き先として考えている企業についてわざわざ調べてくださったりしました。もう、ひたすら感謝しかありません。

僕が見たかった景色

3ヶ月も前に退職を表明したのは、私が在籍している間に後任にバトンを渡し、しばらくは伴走したいと考えていたからです。

研究開発部門の責任者。アジャイル推進ワークグループのリーダー。担っていた役割を後任に託し、なにかあったらサポートしようと意気込んでいたのですが・・・結論からいうと、私が手出しをすることはほとんどありませんでした。バトンを渡した彼ら彼女らは、とっくに自分たちで走り出せるようになっていたのです。

自分ひとりが気を吐くのではなく、みんなが主体的に行動し、学びあい、成長する。ずっと僕が見たかった景色が眼前に広がっていました。

きっと定年退職ってこんなかんじ

退職を表明してから、多くの方が「最後にお話させてください」と声をかけてくれるようになりました。最終出社日の前日はほぼ一日中1on1、1on1百本ノック状態でした。楽しかった!

お世話になりました

つらつらと思い出話をつづってきました。文章から伝わっていると嬉しいのですが、本当に大好きな会社でした。今も大好きです。自分の今があるのはナビタイムジャパンのおかげです。15年間、お世話になりました。



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