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ほめられ慣れていないし、ほめ慣れていない

ほめられて戸惑う

正のフィードバックは重要だ。「これはよくない」「こうしてはいけない」という負のフィードバックも重要ではあるが、「not 」の指摘は向かってはいけない方向は示してくれるものの、肝心の向かうべき方向が示されない。「向かうべき方向」を示す正のフィードバックは、達成や成長を促すために必要不可欠だ。

メンバーが成果をだしたとき、良い行動をとったとき、私はほめるようにしている。単純に「すごい!」と思っているからだというのが大きいが、「その調子でやってほしい」というメッセージを伝えたいという理由から意識的に行っている面もある。

しかし、ほめた時に喜ぶのではなく微妙な表情を浮かべる人は少なくない。褒めて懐柔しようとしていると誤解しているのか?裏の意図があると警戒しているのか?否、彼らは戸惑っているのだ。

あるときメンバーに言われた。「すみません、ほめられ
たときにどんな顔をすればいいかわからなくて…」

綾波レイかよ。笑えばいいと思うよ。

「ほめられ」不在の構造

社会に出るまでのことを思い出してみる。学校で、部活で、家庭で。ほめられた経験がゼロ、ということは稀だろうが印象に残っているのは「怒られ」の体験のほうではなかろうか。

達成を目指す受験や、部活の大会といった場面では厳しい指導がなされる。特に減点方式である受験においては「ひらめくこと」「考えて行動すること」ではなく、「型の中で足を踏み外さないこと」が求められる。達成したい成果へのプロセスが、ほめられを抑制しおこられを推進しているのではないだろうか。

ほめられていないので、ほめられない

うまく行っていることが正常な状態であり、特段取り沙汰すものではないという規範。それが行き渡った集団では、「ほめられ」は発生しづらい。そもそも、どうほめていいのかわからないのだ。ほめられてきていないから。

チームでふりかえりをするときに、互いの感謝を可視化する「感謝のアクティビティ」というものがある。それを初めて実施したときにそれは起こった。

「このスプリントで助けてくれた人、一緒に働いた人に感謝しましょう。」

皆が付箋に書いたのはこちら。

・Jenkins 助かる 
・Jira すごく便利
・○○(内製ツール) ありがとう

なんと、人ではなくツールに感謝を述べたのだ

彼らはふざけているのではない。大真面目なのだ。
開発者として、日々の開発をサポートするツールには感謝の念を感じていたのだろう。実際に「使って」いるから、どういった貢献があったのかも言語化できる。

しかし、その向こう側にいる人間への感謝にたどり着かなかったのだ。ディストピア。

「ほめられ」は作れる

「すべてのツールに感謝!」な状態だったチームは、何度かふりかえりを経る中で人間へと感謝することを覚えた。朝会などでもカジュアルにほめられが発生するようになった。メンバーが成果をあげれば、slackで称賛のemojiが飛び交う。

そう、「ほめられ」環境はつくることができるのだ。なぜほめあう環境が良いか説明し、ほめる姿を見せ、プロセスの中に「ほめ」を内在させる。プルリクのLGTM文化などは、よいほめられ文化の現れだろう。

前向きなチームを作るという意味でも、そして向かうべき方向を示すフィードバックを与える意味でも、ホメ文化を根付かせよう。

最後に

この記事を最後まで読んでくれてありがとう、「ほめられ」環境に興味をもってくれたんだね!ぜひその調子で、自分のまわりも変化させていってほしい。

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