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なぜ僕たちは失敗を恐れるのか


失敗は成功の母、というけれど

失敗は成功の母、ということわざがあります。失敗することがのちのち成功につながるよね、というものです。
スタートアップの世界では、誰よりも早く、多く失敗することを奨励する「Fail Fast」という言葉があります。書籍もありますね。

かのトーマス・エジソンは「失敗すればするほど成功に近づく」という旨の発言を遺しています。電球をつくるまでに数千回の試行錯誤があったという逸話もあります。

このような逸話からは、新しい世界を切り拓いていくには失敗することが大切だということが伝わってきます。それにも関わらず、私たちは失敗が苦手です。失敗を避けたいと考えてしまいます。それはなぜなのでしょうか。

行為の失敗、結果の失敗

失敗には、「行為の失敗」と「結果の失敗」があります。

行為の失敗に該当するのは、やるべき手順をスキップしてしまう、うっかり違う作業をやってしまうなどいわゆる「ミス」です。これらは注意を払っていれば避けられたかもしれないもので、こういった失敗は減らしていきたいものです。
ただ、人間はうっかりミスをする生き物なので「減らしていきたい」という気持ちだけで減るものではありません。そもそも自動化してしまい、手順がスキップされようがない状態にするなど仕組みで解決したいところです。
このように行為の失敗については自分が主体ですし、それをやったら結果も失敗するということがほぼ確実にわかっています。

結果の失敗についても考えてみましょう。
行為の失敗があるときには結果もほぼ失敗するだろうということはわかりますが、新しいチャレンジをしている場合にも結果の失敗は訪れます。それどころか、いつも通りのルーティンを踏んでいても結果の失敗が現れることがあるのです。

Management 3.0のプラクティスであるCelebration Gridsは、この2つの失敗を明示的に分けてとらえることができる優れものです。

行為の失敗と結果の失敗を分けてとらえる

結果の失敗はどんどんやろう

私たちが失敗を恐れてしまう理由として、失敗と言われたときに「行為の失敗」を思い浮かべてしまうというのがあります。行為の失敗から起因した結果の失敗ではないのに、行為の失敗に思いを馳せてしまうのです。
前述したように、行為の失敗はできれば避けたい。それなのに結果の失敗は不可避的に発生します。厄介者め!
不可避的に発生するものをできれば避けたいと考えてしまう。そうすると、結果の失敗を引き起こすものであるチャレンジから距離を置いてしまうのです。

ではどうすればいいか。

インド映画RRRをみましょう。

RRRを観ろ、は半ば冗談ですが、実際にこのRRRで描かれるメンタルモデルは結果の失敗への恐怖を乗り越えるためのヒントが詰まっています。
「RRR」のクライマックスで、「責務とは行為にあり、結果にあるものではない。飢えた我が血の最後の一滴まで責務に向かって突き進むのみ。」という主旨のセリフがあります。
このセリフの背景には、ヒンドゥー教の聖典のひとつであるバガヴァッド・ギーターの考え方があります。

行為には責任を持つが、その行為の結果には執着しない。人は自分の行動に全力を尽くすべきですが、その結果に対しては無執着でいるべきとされています。

この考え方を持つと、自己の義務を果たしながら内面的な平穏とバランスをとることができます。失敗を恐れる気持ちが湧き上がってきたときは、「責務とは行為にあり、結果にあるものではない」というセリフを思い出し、チャレンジするという行為そのものに勇気をもって全力投球しましょう。

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