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堀川・さくら夢譚7

慶長十四年、家康は清洲城滞在の間に、名古屋、古渡(ふるわたり)、小牧の三候補地の中から名古屋を選んで決定した、と伝えられているが、名古屋台地が活気あふれる町へ変貌していくのは、まだまださきのこと。名古屋城の天守閣が慶長十七年、三の丸のお濠が慶長十九年と、完成までにはさらに月日を費やしている。名古屋ならではのきらびやかな文化が花開き、繁栄を極めたとされる尾張徳川家七代藩主・宗春の登場までには百年以上を待たねばならない。佐平次、名桜、弥助が目にした世界はモノクロのフィルムのようなものだった。 「では、また明日もお頼みしましたよ」 弥助が佐平次に会釈したとき、名桜はすでに通りまで駆け上がっていた。舟上での明るさから一転して名桜の表情が少し沈んだように見えたのも仕方のないことだろう。 8  その翌日の朝のことである。名桜と弥助を迎えるまでには時間があるので、片手間に作っている紙縒(こよ)りを半刻でも片付けておくか、と佐平次が準備しているところに名桜が現れた。珍しい薄茶色の着物のおはしょりは昨日よりも大胆になり、裾はかなり上がって、菅笠を手に東海道を急ぐ旅娘のような格好である。 「いかがされましたか」 佐平次もさすがに驚いて、名桜の顔をのぞき込んだ。瞬間、名桜の瞳が大きく輝く。 「弥助が昨夜、足をくじいてしまい動けないのです。越し先の様子やお店の具合はわかりましたが、私、どうしても行きたいところがあります。申し訳ありませんが、弥助の代わりに佐平次に案内を頼みたいのです」 突然のことにあわてたが、青い縞模様の着物と脚絆で身支度を整えた佐平次は、名桜を乗せて五条橋まで漕ぎ出すことになった。清須越に期待をかけ、果敢にも下見に臨んだ名桜の覚悟が感じられ、佐平次は気を引き締めた。 「ああ、あった・・・・あった!!」 感慨深く、名桜が見上げたのは五条橋である。

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