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堀川・さくら夢譚4

開削直後の堀川では個人タクシーのような貸し切り舟が商家たちに求められ、富家相手に腕のいい水夫を紹介する口入れ業も盛んだったのかもしれない。家宝や大事な帳簿は自らの手で運びたい、と商人たちも考えたのだろう。現代の私たちが、パスポートや財布はしっかり肌身につけて海外旅行をするべきだ、と考えるのと同じことだ。御国屋源右衛門は、「石切り場でも働いていただけに体力があり、働きぶりもいたって真面目、沖船頭の経験もあり舟の腕は確かな男がいる」と一年前に寄り合いで耳にしたときから、一度、舟を試してみたいと考えていた。定期船や乗り合い舟、陸からの荷運びルートも利用するにしても、特別な家財は御国屋専属の舟を用意して運ばせたい、と計画していたからだ。そんな経緯もあって、今、名桜と弥助が熱田から佐平次の舟に乗り込み、堀川を北上している。 「佐平次は年始めの火事は大丈夫だったのかえ」 「へい、おかげさんで・・・」

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