日陰の向日葵

何故か僕の周りにはアーティストが多い。
絵を描いていたり、音楽をしていたり、様々なアーティストが僕の周りに溢れている。
みんないきいきしていて活発で、自己をなんとか表現するため日々勤しんでいる。
みんなかっこよくて、且つ自分も負けられ無いって気にさせてくれる。僕にとってある種の活力剤みたいなものだ。

そんな僕のアーティストの中でもう10年近く会ってない友人がいる。小学生の頃の友達だが当時はとても明るくて、よく休み時間に話したりしていたが、現在彼女は鬱病とパニック障害にかかってしまいLINEではやり取りをするものの外に出れず会うことは無い。
そんな彼女の唯一の生きがいが絵を描くことだ。
LINEでよくその絵を見せてくれる。とても魅力的でつい見惚れてしまう。
その時の気分でそれっぽくただアートのようなものを描いている僕とはまるで違う。
一筆一筆にたしかにこもった魂と色彩が生み出す生の力を感じる。
力強く塗られたそのキャンバスの上からは、ひ弱さや悲しさも感じられる。

美しいけど、どこか虚しい。

僕は彼女の絵がとても大好きだ。いつか値段がつく時が来るなら是非とも買いたいと思っているしそのように伝えている。
そして久しぶりに相対して、その絵について共に語り合いたい。あの時のように。

僕の中では彼女が一番強くて素敵なアーティストだ。

何かの障壁に苛まれたた時に抗い、力強く生き抜く瞬間は、儚く散る桜のそれより何百倍も美しい。
いつ自分が居なくなるか、やりたいことが出来なくなるか分からないから、そこに生きた証をのこす。
病気や年齢など関係なく、それは僕たちにも当てはまる。そんなことを考えているととても勇気づけられるのだ。

だが、少しずつ病状が悪化し弱々しくなって行く彼女を僕は非対面の液晶の上で眺めることしか出来ない。
彼女の暗い部屋の日陰にうっすらと映る向日葵。

僕はこの向日葵がいつか陽の光に当たることを願っている。

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