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希望の未来

人生に於いて、何かを決断したり或いはさせられたり、自身の考え方が劇的に変わったりなど、いわゆる“ターニングポイント”と呼ばれるような瞬間は、その規模の大小を問わず誰の元にでも訪れるものだと思います。具体例を挙げるなら『運命の恋人に出会った』『生涯の親友に出会った』『大切な事を教えてくれる恩師に出会った』などのような人との出会いであったり、または『大怪我を負ったり他人に騙されたりして何かを失った』『人生観を変えるような本を手にした』などの出来事であったりと、その形は様々です。

オタク達にとってのターニングポイントはと言うと、その割合の殆どを占めるのは“推しとの出会い”ではないでしょうか?ここで指すオタクとは、アイドルオタクやコンカフェオタク等の、対人趣向に限定した狭義としてのオタクを指します。

前回に書いた【始まるという事】の記事内でも触れたように、オタクの数だけ始まる瞬間があり、その瞬間の数だけドラマが存在するのです。

【推すという事】

ここで私の話を少ししたいと思います。

元々はオタクでもなんでもなかった私は、二十代の後半に差し掛かるまではいわゆる“オタク文化”に一切触れる事なく生きてきました。アニメ、フィギュア、ゲーム、声優、アイドル、コンカフェなどに対する理解は微塵も無く、HIPHOPとバイクとお笑いくらいにしか興味を持たない生活を送っていました。

とあるきっかけで地下アイドルにハマる事になるのですが、その詳細は割愛し別の機会に書きたいと思っています。

2022年現在では、地下アイドルという世界も一般的に知られたものとなっていますが、10年前は未だ一般的な認知度が低い世界であり、通常アイドルオタクになるルートは主に二つとされていて『ハロプロ経由』か『AKB経由』のどちらかというのが圧倒的に多数で当時の常識でした。私のようにいきなり地下アイドルの世界に辿り着くオタクの例は極めて珍しく、実際私と同じような境遇のオタクに出会う事はなかなかありませんでした。

非オタクが突発的に地下アイドルのオタクになるという特殊なケースに自分が該当しているのだという自覚は、割と早い段階で生じていました。周りのオタク達との熱量の差を感じていた為です。私が「ライブを観に行く」という感覚なのに対し、周りの多くは「推しに会いに行く」という感覚である事に気付き、その感覚の違いに馴染むのには少し時間がかかりました。

通っていたアイドルは二人組ユニットだったのですが、結局最後まで推しを選ぶ事が出来ないまま解散を見届けました。ただ彼女達のライブが好きで、そのライブを見ているオタク達の空気感が好きで。2015年初頭の出来事でした。

『推す』という感覚を最後まで持てなかった私は、そのままアイドルオタクという趣味から離れていくことになります。私自身がそうであっても、周りのオタクを見ている中で彼らが推しに対して一喜一憂する姿に胸を打たれる事は幾度となくあり、理解はしていたつもりです。ただ、私自身がそうなれなかったというだけの話です。

【コンセプトカフェ】

時は巡って2018年、私はある選択を迫られていました。結果そこで選んだ選択で失敗し、もう一方の選択肢であったものを受け入れる事になりました。それがコンセプトカフェでした。

何の選択であったのかは、また別の機会に。

当時コンカフェ業界に関して全くの無知であった私は、手当たり次第に店を巡る中で、推し推されという意味では構造的には地下アイドルの世界と近しいなという印象を受けました。『女の子も客も行き来する隣り合わせの世界』という印象は今でも変わっていません。

無知が故に『どういう構造でどういう人が居てどういう風に商売として成り立っているのかをただ観察したい』という、言うなれば邪な動機で始めたコンカフェ通いでしたが、思いの外に興味深い事も沢山あり、のめり込むのに時間はかかりませんでした。

ただ、他の客達と同じような『推しに会いに行く』という感覚とはズレていた為にどこに行っても馴染めず、アイドルオタク時代に感じたのと同じような疎外感を抱える事になりました。

そんな事も気にならないくらいに『人の魅力』に熱中していた私は、SNSで気になる子を見つければすぐに会いに行き、良い評判を聞きつければすぐに確かめに行く、というような行為を繰り返していました。当時の私は、発見や失望を繰り返す事だけに価値を見い出し、そういう体験を狂ったように貪っていたと思います。

何が良くて何が悪いのか
誰が良い奴で誰が悪い奴か
人の魅力や空間の魅力
搾取する人と搾取される人
綺麗な事と汚い事
性と金と欲

陽の当たらない影の側面ばかりを見る事は、普通なら病んでしまいそうな行為ではありますが、私にとっては息をするように淡々とこなす作業のようなものでした。どこも私の居場所ではなかったので全て他人事にしか感じなかったからです。着実に混沌と化していく業界の様子を真顔で眺めているような感覚でした。

こうやって文字だけで表現すると、まるで感情の無いロボットのような印象を受ける人が居るかも知れませんが、表情や言葉に出ないだけで、例えば素晴らしい接客に出会って感動したりもしました。ポジティブな事には共感出来ますが、ネガティブな事には共感出来ないので、その点で冷たく思われる事はあるかも知れませんが。感受性は高い方だと思っています。

【きっかけ】

そんな私にも転機が訪れました。

コンカフェ業界に於いて、他の追随を許さない圧倒的な売上高を誇る人気メイドカフェグループがあるのですが、そのグループの大阪店が2019年にオープンしました。私はその人気の秘密を探るべく何度も足を運びましたが、当初は何度訪れてもその良さを理解する事が出来ませんでした。

その店では、独自に考えられた特殊なシステムを元に運営されており、それはいわゆる一般的なコンカフェとは一線を画するもので、カフェと言うよりはアミューズメント施設に近しい印象を受けました。私にとってはキャストや客層も少し毛色の違った見慣れないタイプに思え、毎回『借りてきた猫』のように落ち着かず、身構えて一時間を過ごすだけの人になっていました。

影が見えない。闇を映さない。

コンセプトというスポットライトが敷き詰められた世界観の中には、どこにも影を見つける事が出来ませんでした。詰まる所、私はただ『ご主人様』としてそこに居るしかなく、もはや観察者では居られなくなってしまったのです。落ち着けなかった理由はきっとそれでした。それでも何かを掴みたいと、まるで苦行のような一時間を過ごすという事を10回程繰り返した頃、ひとりのメイドと出会いました。2020年の2月の事です。

【天使との対峙】

彼女を見たその瞬間、まるで神々しい何かに遭遇してしまったかのような心のざわめきを感じました。明確な理由があった訳ではありません。彼女は高身長でモデルのような体型の誰もが振り返るような容姿をしていた訳でもなければ、まるで人形のように各パーツの造形が整った顔立ちであった訳でもなく、見た目は至って普通の女の子。そこに居たのは何の変哲もないひとりのメイドさんでした。

モノクロだった世界がその瞬間に色付いたような感覚を覚え、普段なら下を向いてスマホばかり触っている私も、気が付けば彼女の姿を目で追ってばかりいました。

その日は言葉を交わす事もなく店を後にした私は、一日中彼女の事が気になって仕方がありませんでした。もし私がオタクらしいオタクだったなら、この日を境に生活が劇的に変わっていくようなストーリーが始まる所ですが、私の生活は特に何の変化もなく、同じような日々が流れていきました。変化があったとすれば、苦行と思っていたものが楽しい時間へと変わった事くらいでした。

私は以前と変わらず、誰かを推すという感覚に辿り着けないままでいました。一般的にコンカフェでは、キャストとのコミュニケーション手段のひとつとしてSNSが多用されており、先述の人気メイドカフェグループに限って言えば、他の一般的なコンカフェと違って会話が出来る時間が圧倒的に短いという理由から、認知などを得る為にはSNSが必須とされており、特に活発に利用されていました。

斜に構えた私は、なぜか逆張りの姿勢をとってしまい、一年以上に渡りSNSアカウントを隠し通す事になります。「SNSを明かさずに通ったらどれくらいで認知をされるのかな?」という疑問を検証したいという理由もあったのですが、彼女は最初から認知をしてくれていたようで、ナメてかかった自分が恥ずかしくなりました。

非の打ち所の無い彼女を見ていると、まるで荒んだ心が洗われるようでした。気付けば影や闇ばかりを求めて追いかけていた私にとっては、彼女は直視し難いくらいに眩しくて、私は近寄る事すら罪悪感を覚えてしまう程の後ろめたさを抱えてしまいました。

一言で表すなら、彼女は“希望”そのものです。

例えば私が理想のコンカフェ及びコンカフェキャストを思い描くとして、その為に必要な作業として悪い要素を一つずつ潰していくとします。彼女に出会うまでの私は、どれだけイメージしてもその悪い要素を潰しきれませんでした。それまで出会ったどんなコンカフェキャストも、私の中では何かしらのネガティブなイメージが付き纏っていたからです。存在しない子のイメージをしても、それはリアルではありません。私がずっとやっていたのはその為の観察でした。「こういう子が実在する。」という体験が欲しかったのです。

希望があれば未来を描けるし、希望があれば覚悟が出来る。それだけが私に必要な事でした。これからの人生にとっての大事な原動力として。そういう意味で彼女は私のかけがえのない存在になりました。

【あとがき】

彼女を気軽に推しと呼ぶ今となっても、実際に推しなのかどうかは自分でも分かりませんし、自信もありません。他の客と自分を見比べた時に、やはり熱量の差を感じずには居られないからです。彼女の情報やグッズ、個人イベントなどには無頓着に近いですし、会いに行く頻度も変わりません。

なので彼女の事を詳しく語りたい気持ちはあるのですが、実際私は彼女の事を何も知らないのです。何十回顔を合わせても、歩み寄れないままでいます。お客さん思いな所や仲間思いな所。仕事に対する意識の高さなど、私は少しの会話やSNSでの発言、blogなどを目にして感じ取る事しか出来ません。でも私にはこの距離で充分なのかも知れません。会う度に胸が一杯になります。

私は彼女を推しているのでしょうか?自分では今でも分からないままでいます。ただ、この先もずっと見続けていたい希望である事は間違いありません。それでいい気もします。推し方は人それぞれです。これからも目立たずひっそりと見守っていきたいと思っています。

ここまで一切の固有名詞を出さずに書いてきましたが、このやり方ではもうこの辺りが限界なので、最後に彼女のblogにある好きな文章を載せたいと思います。彼女の彼女らしさを表すとても素敵な文章です。それでは今回はこの辺で。

メイドの自分は好きです

いつも猫背で、特定の仲良しの友達としかお喋りできなくて、知らない人がいるとすぐに固まって動けなくなる自分が、メイドでいる間だけは憧れの明るくて元気な女の子になれます

魔法をかけてもらって、今日はどのリボンをつけようかなとか、今日は誰と会えるかなとか、なにを話そうかなとか、お絵描きはどうしようとか、そんな事を考えて楽しくなれるお給仕が大好きです

2022/01/26の
blogより抜粋

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