「生成型AI」と「”存在意義”の揺さぶり」

なんだか胸の奥がヒリヒリズキズキします。

こんなんで本当にいいのか、自分で考えることをやめてしまっていいのだろうかと。

巷ではこのテーマの話題が散々出ていますが、僕も感じていることを残しておこうと思います。って、みんなが思ってることとだいたい同じですけどw

AIに頼めば、何でも瞬時に作り出せる時代がいよいよ到来してます。

僕も遅ればせながらchatGPTはじめ、生成型AIの活用方や活用事例について、雑誌やWebから関連記事を読み漁り始めました。

読めば読むほど、使えば使うほど、便利だし活用しない手はないと思う反面、人間の在り方を根本から見つめ直さざるを得ない、良くも悪くも「破壊的」なツールだなと改めて思います。

ワクワク感と恐怖感のせめぎ合い。

この先いろんな場面で「あ、これはAIには勝てないな→AIに任せよう」ということが頻発すると思いますが、いままでその仕事やタスクの処理で自己のアイデンティティを保っていた人にとっては、有無を言わさず自己否定せざるを得なくなるので、これは恐怖。

恐怖というよりもっと辛いかもしれない。

自分の存在価値とか存在意義っていったいなに?っていう、えらく辛い揺さぶりw

幸い?相手が感情のない?AIなので(※1)、感情のない相手と折衝する余地とかはなくて、故に、選択の余地もなし。AIとは一緒に暮らしていかなければなりません。

(※1)これも何だか怪しい。確かにAIには感情ないけど、あそこまで意を汲んだ会話をされるとこっちが勝手に感情的になりそうw

遅かれ早かれ、僕の周りもあなたの周りもAIだらけになります。しかも生活や仕事を便利に、というレベルを超えて、あなたの「存在意義」を揺さぶってくる相手として。

人としての根本をえぐられる感じなので胸の奥がズキズキザワザワしてしまうけど、でも、もうポジティブに捉えるしかないですよね。もう来ちゃうから、変化の波が、すぐに。

これらAIは来年?再来年?いつかはわかりませんが、アーリーアダプターな人たちだけではなくて、もっと一般的に広く、気付いたら「そこにあって当然」のものになってるのは間違いないと思います。

…んが、慣れるまでしばらくは、ズキズキした胸の奥の痛みと抗うことになりそうです。

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