能登半島地震とSNSの功罪。流されることだけはしたくない。

石川県で大きな地震がありました。

さすがに「まさか元旦から…」という感じですが、自然にとってみたら人間の作った暦なんて関係ないよな…とか思ったり。

いずれにしろ、今現在、ライフラインがかなり止まっている状況のようなので、まずは一刻も早くその復旧がなされることを祈ります。

で、タイトルの話ですが、こういうことが起こると、SNS上では、自粛やら同調圧力やら募金やら偽善やら売名やら陰謀論やら、あれやこれやと意見?主張?が飛び交いますが、ほんと疲れます。

なんとなしに見にいってしまう自分も悪いのですが、さすがにこれ、頻度減らそうと思う。なんかすごく虚しくなるというか、ほんと疲れる(2回目)。

もちろん貴重な情報もたくさん流れるし、速報性あるし、いい面もたくさんあるけど、人間の卑しさみたいなのもたくさん溢れてて、これ以上見るのはやめとこう…となる。

まぁこんなSNS議論はとうの昔からあるものですが、改めてこういう情報に「流される」ことだけはしたくないな、と。一喜一憂もしたくない。

他人の意見は他人の意見。尊重しつつも、しっかりと自分の意見を持つこと。意見というか"意志"かな。

僕はあまり“スタンスを取らない"ずるい人間なので、「じゃあお前の意志は?」と?問われた時になんとも答えずらいのですが、とりあえず今年は「人の痛みがもっとわかるようになろう」とひょんなことから感じることがありました。

なので今回のことも、スタンスは特に取らないけれども、完全傍観ではなく、現地で被災に遭われた方、ライフラインが切れて大変な想いをされている方などに、少しでも思いを馳せて、関心を持ち続ける、ということはしようと思います。

そして偽善でもなんでもいいから、気にしている、関心を持っているということを言葉にして、声を掛けたり、発信してみたりする。いまの僕にできるのはこれくらいです。

ただ、思いを馳せた挙句、自分もしんみりズーンとなってるだけってのは共感でもなんでもなく、それはやっぱり違うと思う。それだけは明確なスタンスとしてあるので、そこはブラさずに。

なので、僕は普段通りに過ごすし、SNSにも普通に投稿します。全員沈没しても仕方ない。元気なヤツがいないと沈んでる人を助けることもできない。とりあえず今から初詣に行ってきます。

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