フローとしての「言葉」、ストックとしての「言霊」
今朝は朝から30km走りました。え?なぜって?今月全然走れてないので。"帳尻合わせ"です。
お陰さまで、ここ最近上昇傾向だった体重が"一時的に"どーんと下がりまして、気分上々です。はい、もちろん"一時的"に。
で、いつものことながら一人で走ってるといろいろと言葉が頭を巡ってくるのですが、今日はこんなのが。
「フローとしての言葉、ストックとしての言霊」
なんかよくわからないけどとりあえず忘れたくない、と思って、走るのをやめてスマホのメモ帳に書き込みました。
なので、自分でもこれをもって何を言いたいのかまだよく整理できていないのですが、ぼんやりこの言葉の周りにあるゆらゆらしているものをnoteに留めておきます。
最近「ライター業」にちょいと精を出し始めているのですが、それをやっている中で、そして「ブログ」を通して言葉を発信している中で、「フローとストック」、「言葉と言霊」というそれぞれが対比して、いい感じに結びついた感覚がありました。
ってよくわからんですよね。はい、僕もこれを書いていてもよくわかりません笑 腑に落ちる手前の喉元あたりでまだ引っかかってます。
が、ちょっとわかりやすくいうと、SNSで発信している内容は「フローとしての言葉」、ライターやブログで発信している内容は「ストックとしての言霊」的なイメージ。
あ〜、みたいな感じになりましたかね?笑
どっちがいい悪いという話でもなくて、どっちも自分の生み出す「言葉」なのですが、一つ言いたいのは、やっぱり後者(ライターやブログ記事)は「言葉を紡いでいる」感じがするんだよなーということ。
言い換えると、「言霊」を乗せています。
文章を書いたり、言葉と向き合ったりすることは好きですが、正直楽ではないです。
いつもウンウンと唸りながら、執筆はもちろんのこと、「構成」には苦戦し、「校正」にはめちゃ時間が掛かります。(奇しくも同じ「こうせい」じゃないか!)
ライター業は"仕事"なので、この辺りに頭を使わねばならないのは当然です。一方、ブログなんてのは誰にも迷惑掛からない"たかだかブログ記事"なんですが、ライター業を始めてからというもの、どんどん「良い文章」を追求し始めている自分がいまして。
「伝えたいことが適切な言葉で言語化できているか」
「もっと伝わる言葉はないか」
「ちょっとしたユーモアは入れられているか」(僕の文章は長いのでただ冗長だと辛いw)
「リズムはどうか」
「ストレスなくスラスラ読める構成になっているか」
「前後で論理破綻していないか」
「展開した話がちゃんと閉じられているか」
などなど、実はいろいろ頭使ってます。
うむ、文章は奥が深い。
あれ?今回のnote、何を伝えたいんだったっけ?笑
蛇足ですが、このnoteを始めた理由が「"適当に書ける場"が欲しかったから」です。上記のような"いろいろ"は一切気にせずに「書き殴れる場所」が欲しかった。今頭に浮かんだことをただ書き殴れる場所。
なので、たまにこんな感じの、起承転結もPREP法も気にしない「駄文」が炸裂しますが、どうかお許しを。
一応まとめよう。
途中にも書いた通り、僕はライターやブログ記事には「言霊」を乗せていて、産みの苦しみのようなものを味わいながら(楽しみながら)書いています。
で、伝えたいのはここから。
でも、この「言霊」を乗せた記事って、自分の中でフローではなく「ストック」になってる気がするのです。
「あ、自分ってこんなことを考えていたのね」っていう気づきもあるし、後々読み返したときに「けっこういいこと言ってるじゃん」とか笑。
自分が産み出した言葉が、さらに自分を形作っていく感じというか。
なので、「ストック」といっても、単なる「蓄え」というだけの意味ではなく、「積み重なっていく」感じです。「年輪」というか、もしくは、「バームクーヘン」というか。(例えの落差w)
うーむ、まだ話がうまく閉じないな。強引に閉じよう。
つまり、「なので、僕はこれからもウンウン唸りながら"言霊"を乗せた文章を書いていきます!」ということです。
うん、閉じた気がする笑。
ではでは、豊かなサンデーナイトをお過ごしください。
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