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臭れ縁

自分は年に数回うんこを漏らす。


うんこと言っても、固形で焦茶色の健康的なものではなく、水に溶かしたアクリル絵の具のような薄黄色の軟便である。固形というよりは液体。ゲルというよりはゾル、場合によってはエアロゾル。

そして今日は、年に数回のうんこ漏らしデーの1日となってしまった。


もとより腹が緩く、軟便をしやすい体質であるとはいえ、トイレまで間に合わず布が濡れて臀部に当たるときの、あの感触と情けなさは一生慣れることはないだろう。

パンツとともに自責の念を洗い流している途中、ふとうんこに想いを馳せたくなったため文章を書いてみることにした。

腹痛やうんことの思い出、もとい苦々しい思い出は多い。振り返ってみれば、「ここからが正念場だ」というときはいつも腹を下すか、うんこを漏らしていた。

(これはチョコレート味のソフトクリーム。)


自身の腹の緩さを最初に実感したのは、小学2年生の運動会の日。1年生の冬からバスケを始め、体力や瞬発力に少し自信がついてきた頃だった。

それまでは、足が遅いことがコンプレックスだったため、大勢の前で自分の実力を発揮できるという高揚感と、それを上回る緊張感で夜も眠れなかった。

前日の夜から軟便をしており、当日も嫌な予感はしていたが、やはり午前の部のかけっこの直前で漏らしてしまった。

幸い、周りの同級生も高揚感と緊張感に包まれていたため、漏らしたことには気づかれなかった(というか指摘されなかった)が、不甲斐なさ、後ろめたさ、空回りした熱意など色々な感情がせめぎ合っていた。

漏らしたあとの記憶はほとんどない。デリケートで傷つきやすい小学2年生は、とにかく「漏らしたのをバレないようにする」ことに必死だった。
かけっこの詳しい順位は覚えてないが、1位ではなかったことは覚えている。


あれからというもの、習い事の発表会、バスケの遠征、部活動のコンクール、学校の試験などは、常に腹痛と戦ってきた。


東京で適応障害になったときは、自宅の最寄り駅から大学の最寄り駅まで電車で一本、通常なら20分で行けるところを、腹痛により二回降車し、小一時間かかったこともあった。
明治神宮前のトイレは、若い女性のメイク直しに使われていて、待ち時間が地獄だった。


過敏性腸症候群という言葉や、HSPという言葉を知ったのはここ数年の話だが、これらを自称するのは「繊細さをわざわざ主張する厚かましさ」が野暮に思えて気が引けるため、なるべく使わないようにしている。

が、自分は間違いなく過敏性腸症候群である。

これからも、この緩い腹や軟便と付き合って生きていくことを受け入れなければならない。

「腐れ縁」ならぬ「臭れ縁」である。

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