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「君たちは、2025年までに政権を取りましょう。」 -- 瀧本哲史の「遺伝子」を継げ #2

ゼミ生や投資先、講義参加者など、瀧本哲史さんと関わりのあった若者(ゲリラ)たちに話を聞く「瀧本哲史の『遺伝子』を継げ」2回目は、京都瀧本ゼミに続き立ち上がった東京の「瀧本ゼミ」1期生であり、現在は医師として活躍されている石橋由基さん(28歳)に話を伺った。東大生ばかりだった瀧本ゼミに、慶應生として参加していた石橋さんは、医学実習や部活よりはるかに面白くて刺激的な瀧本ゼミの活動に、気づけばのめり込んでいったと言います。

瀧本さんみたいな人には、医学部では絶対に出会えない

僕は今、都内の病院で医師として働きながら、慶應義塾大学大学院で、公衆衛生について研究しています。瀧本さんに出会ったのは慶應医学部の1年生、19歳のときでした。たまたま丸善で平積みになっていた『武器としての決断思考』を買って読んだら、最初のほうのページに「これからは医学部を出て医者になっても人生は厳しい」と書いてあって、ものすごく衝撃を受けたんです。

同書でディベートにも興味を抱き、自分の住んでいた寮でディベートの勉強会を開こうと思いました。でもやったことがないので、著者である瀧本さんにTwitterで「どんなテーマを設定すれば良いでしょうか?」と尋ねてみたら、すぐに丁寧なお返事をいただいたんです。

そのときはそれで終わったのですが、しばらく経って、謎の会ったことがない東大の学生の方から、「瀧本さんのゼミを立ち上げようと思ってるので、よかったら一度お会いできませんか」と勧誘のメールをもらったのが人生の転機となりました。

実際にお会いした瀧本さんは、医学部ではまったく会ったことがないタイプの人でした。そのトークの面白さと頭の回転の速さ、企業などに対する分析の精緻さにすっかり魅了され、スタートしたばかりの瀧本ゼミ1期に入ることを決めたんです。

ちょうどその頃、医学部では解剖実習が始まったタイミングで、大学の同級生は解剖ばっかりやってましたが、僕は瀧本ゼミにどんどんのめり込んでいきました。それは瀧本さんやゼミの仲間と経済や社会の話題について議論するのが面白かったからです。

医学部の学生って、基本的に勉強と部活しかやってないんですね。瀧本ゼミには東大だけでなく都内の優秀な大学から、ビジネスに詳しかったり、起業をしてたり、アイドルを目指してたりする頭の良い人たちが、たくさん集まっていました。瀧本さんを中心に彼らと議論を戦わせ、切磋琢磨するのが、それまでの人生で経験したことないレベルでとにかく面白かったんです。

「サムシング・ニューがないプレゼンは時間の無駄」であり、「発言なきものはノーバリュー」

瀧本ゼミは、本当にむちゃくちゃ面白い場であるとともに、たいへん厳しい場でもありました。私が入ったのは2012年の冬で、最初は東大生を中心に70人ぐらいの学生がいたはずなのですが、春には5人しか残っていませんでした。

それで新入生の勧誘に力を入れることにしたのですが、ゼミの厳しさに入ってもすぐに脱落してしまう人も珍しくなく、当時は、継続的に活動する人は5人に1人ぐらいだったと思います。

瀧本ゼミでは学生が主体となって特定の企業の分析を行い、それをメンバーの前でプレゼンします。パワポに書いてある文字を読み上げるだけとか、「サムシング・ニュー」がないプレゼンだった場合、瀧本さんは始まって5分も経たないうちに「時間の無駄だから次の人お願いします」と打ち切ってしまうことがよくありました。資料を準備したのに最後まで発表できなくて、泣いてた学生の姿も男女問わず見たことがあります。

「発言なきものはノーバリュー」とも、よく言っていましたね。でも発言すれば、容赦なく論理で詰められるわけですけど。

でもそれは、瀧本さんが意地悪で言ってるんじゃなくて、本当に意味のあるプレゼンをしてほしいからなんだということは、僕たちにもわかりました。それで、ゼミの発表はどんどんレベルアップしていったんです。

小売業の会社なら、会社のIR資料などを読むだけでなく、実際に店舗に足を運んでゴミ箱に捨てられているレシートを集めて、客単価を分析したりもしました。回転寿司店などに数多く導入されている「寿司ロボット」を作っている会社を分析した人は、そのロボットがどれぐらい多くの飲食チェーンで使われているか調べるために、牛丼屋などに入るとキッチンの奥を覗き込んで確認したりしていました。

またこれは今年3月の最新事例ですが、ネイルサロンの経営企業を分析した男性は、私も現場の視察をお手伝いしたのですが、実際に店舗でネイルを塗ってもらい、従業員に労働環境についてヒアリングをしていました。
 
瀧本さんはそんなふうに、実際に汗をかいて掴んだ情報を高く評価する人でした。何より面白かったのは、「これは本当に良さそうだ」という会社が見つかると、瀧本さんがその場でパソコンを操作して実際に株を買うんです。

瀧本さんは後年、自分でもファンドを立ち上げられたので、ゼミで株を買うことはなくなりましたが、最初の頃は「こうして僕が投資したお金で、みなさんにご馳走するんですよ」と、嬉しそうな瀧本さんの言葉を何度か聞いたものです。

「エビデンス」と「ロジック」という武器があれば、若者でも社会を変えられる

瀧本ゼミでは、「企業分析パート」とともに、国や自治体の政策を考える「政策分析パート」も交互に行っていました。そこで官僚がつくった政策を細かくチェックしてみると、案外適当で間違ってることもよくあったので、分析を机上で終わらせず、実際に行政機関に僕らが考えた政策を提言する「ロビー活動」も、実施するようになっていったんです。

僕たちの活動で、現在までにもっとも社会に影響を与えたのは、AED(自動体外式除細動器)の普及活動でしょう。AEDは心臓が停止した状態の人に、電気ショックを与えて蘇生する機械です。コンピュータが音声で使用方法を教えてくれるので、一般の人でも簡単に使えます。ところがAEDは日本でも導入がだいぶ進んでいるのに、いざ必要なときに使われることが少なくて、助かるはずの命が毎年何千人も失われていたんですね。

瀧本ゼミで学生がそのことを発表したことを契機に、AEDのさらなる普及と使用促進の啓蒙活動に取り組むことになりました。AEDのロビーイングは、瀧本ゼミで現在も続けており、その提言はこちらで詳細を読むことができます。

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(当時のニュースより)

僕たちのロビーイングによって、実際に千葉県では、AEDの普及と使用促進に関する条例が2017年に制定されました。瀧本さんはよく言っていました。学生による政策分析とロビーイングで世の中を変えることは可能であり、それは実証されるだろう、と。

最初はそんなことは不可能だと思っていた僕らも、たとえ社会的肩書きのない学生であっても「エビデンスとロジック」に基づく正しい提言であれば、世の中を動かし、良い方向に変えていくことができるということを、実体験で学ぶことができたんです。

友人の無念に、学生の前でも号泣するひとだった

忘れられないのが、僕がある自治体でプレゼンをしたあとで、瀧本さんから「石橋さんのプレゼンはねえ、ロジカルすぎるところがダメなんですよ。こういうのはもっと、相手の情に訴えかけないと」と言われたことです。瀧本さんの友人が、予備校で突然の心臓発作で亡くなっており、もしもAEDが適切に使われていたら、助かっていた可能性があったとそのとき聞きました。

それで瀧本さん、「僕だったらこんなふうにプレゼンします」って、こう言うんです。

「僕が大学1年の五月祭の日にね、同級生で浪人してた友人が、予備校の校舎で突然心臓発作で倒れて、そのまま亡くなったんですよ。その時代はAEDがあちこちに置かれてなかったけど、もし使われていれば、彼の命は助かってたかもしれません。最近になって、AEDの機器自体は全国に普及するようになりました。なのに、心停止になった人に対してAEDが使用されるケースは、現状たった3%しかないんです。その状況を変えれば、確実にたくさんの人の命が助かるんですよ」

そう言いながら瀧本さん、どんどん感極まって、涙声になっていくんです。のちに、瀧本さんが何度かプレゼンでその話をする場にも同席しましたが、そのたびに瀧本さんが目を真っ赤にして涙ぐんでいたことを、よく覚えています。

瀧本さんはよく「ロジックの人」と思われてますが、実は情に篤い、涙もろい人だということも、このAEDのロビー活動を通じて知りました。

僕たちの「人生のピーク」は、これからやってくる

僕は今は瀧本ゼミからスピンアウトしたロビイングNPOの代表をやっていますが、実はこれは瀧本ゼミ時代、瀧本さんから大きな「宿題」を受け取ったことから立ち上がったものです。亡くなる3年ぐらい前に、ある日突然、瀧本さんが「ネクスト・ビジョン」と書かれたパワポの資料をつくってきて、瀧本ゼミの学生にプレゼンしたんです。

瀧本さんはそのプレゼンのなかで、アメリカ大統領だったJ・F・ケネディがアポロ計画を発表する際に述べた有名な「ムーンショット演説」について説明したあと、「2025年までに、瀧本ゼミ政権をつくる」と宣言しました。

続いて、アメリカではシンクタンクがその時々の政権の背後にいて、実質的な政策を立案していること、政党をつくらなくても政策を提供することで政府を動かすことができること、実際に日本でも県知事の背後にブレーンがいる都道府県があることなどを説明しました。

瀧本さんは、『君に友だちはいらない』などの本の中でも「大言壮語をぶち上げること」の大切さを語っていますが、自分自身、まさにそれを実行する人でした。2025年まであと5年しかありませんが、瀧本さんが亡くなったあとも僕たちは、彼から託された「宿題」に取り組み続け、成果も出始めています。

たとえば最近、ある大きな政党が東京都港区の議会に発表した10の政策のうち、4つは、僕たちが提言したものがそのまま使われています。がんばれば地方自治体レベルの政治は動かせるな、とわかったので、「次は東京都に対して政策の提案をしていこう」とチームで話しているところです。

瀧本さんはゼミの集まりでよく、「このゼミは中毒性があるんですよ。いろんな投資を僕はやってますが、Tゼミ(瀧本ゼミ)がいちばん伸びるかもしれない。でも、みなさんが死ぬときに『Tゼミにいたときが自分の生涯でいちばん面白かったな』と感じるようなら、それは最悪の結果なので、そうならないように、みなさんは今後の人生を頑張ってください」と語っていました。

最近もよくその言葉を思い出して、「今いるこの場を、目の前の仕事を、自分でもっと面白く価値あるものにしなきゃな」と考えます。瀧本さんと出会ったことで、何より「視座」が高くなりました。正直に言って、あんなに刺激を与えてくれる人は、生涯でももう現れないだろう、と感じています。だからこそ、自分が今の組織をより発展させて、単なる〝ゼミ〟ではなくて、ロビイング組織として成長させて、もっと面白い場にしたいと思っています。

いまコロナ禍によって、世の中の多くの人が政治の大切さに気づいた現状は、僕らにとって大きなチャンスだと思ってます。「政権を取りなさい」という宿題を、瀧本さんは本気で出してくれました。その本気に応えるためにも、僕たちも本気を出して、「最強のロビイング組織」をつくれるように、自分の持ち場で着々とやるべきことを実行していくしかないですね。

(取材・執筆:大越裕 @ookoshiy

【連載】瀧本哲史の「遺伝子」を継げ
#1「ピア・プレッシャー」の文化こそ、 先生が遺してくれた一番の財産です。 -- 赤宮公平インタビュー 
#2「君たちは、2025年までに政権を取りましょう。」 -- 石橋由基インタビュー ← イマココ
#3 褒められたのは2回だけ。瀧本さんに食らいつくことで、僕は仕事の全てを学んだ。-- 久保田裕也インタビュー
#4「真摯に知的ボコボコにしてくれる大人って、どれだけいますか?」-- 松本勇気インタビュー


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