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ベルリンで、振り返ることが上手になった【2022年ふつうの旅 #13ドイツ】

観光しながら仕事もして、時にはのんびり生活を楽しむ #2022年ふつうの旅
コペンハーゲンからベルリンへ飛んだ。

ようやく北欧を離れて、人間的な物価になったことにまず喜ぶ。パン、ハム、チーズに水とバナナ、ぜんぶ買っても1,000円いかないなんてうれしい。北欧では、サンドイッチ1つで1,200円だ。

青空に映えるドイツ国旗

ドイツといえば、芋とソーセージ。それにオリバー・カーンのアゴのように、四角くて、直線で、ガッシリしたデザインだろう。街を歩くだけで、たくさんのガッシリした直線や四角を見つけることができる。ただ、よくよく見ると、直線と直線をつなぐためのカーブ。そのR(アール)がデザインをかわいくしていることに気づく。

基本的には直線なのだが、たまにこういう曲線も

これは仮説なのだが、国の資源が豊かであるほど直線的でダイレクトな国民性になり、資源のない国ほどゆるくて想像力がモノを言う国民性になっているのではないだろうか。ドイツは言うまでもなく豊かな国である。たくさん芋とれるし。

ベルリンらしさに溢れた壁のペイント

ヨーロッパの北の方であるドイツ。夏はそこまで暑くない。だからクーラーが存在せず、建物に室外機がついていない。建物と建物の間に隙間はなく、直線が連なっている。景観がビシッと直線的になっている。

隙間のない建物

キックボードまで直線的なデザインになっていて笑った。鉄っぽい色味で、工業国!って感じだ。

すんごくドイツ製っぽいけどマイアミの会社でした

また、ベルリンはテクノで有名である。廃墟を改築したクラブで夜通し人々が踊っているとか。バスや電車のお知らせ音の「タンタタン♪」は、globeの「departures」Aメロの歌メロ出だしの音階と同じである。これは、TKがベルリンにテクノを聴きにきた際にサンプリングしたのだと確信している。証拠はない。

トラムかわいい

そんなベルリンのメインイベントは、大学時代の鳥人間サークル同期であるYと会うことであった。結婚式に出席したのが、2016年なので、およそ6年ぶりの再会である。

筆者は理学部、Yは工学部で、お互い人力飛行機をつくろうとは思わずに、なんとなく誘われて、などのきっかけで鳥人間となったのであった。

そして、片や大学時代の学びをまったく活かさない広告の道へ。片や研究内容をダイレクトに活かしてミュンヘンの研究所で研究者をしているのだ。

ポーズといえば手を上げるくらいしかバリエーションのないおっさんたち

Yの研究内容は「飛行機による地球温暖化への影響を数値でシミュレーションし評価すること」と、理解したけど、厳密には違うかもしれない。そのような内容だった。論文を書いて、雑誌に掲載し、学会で発表する。筆者も無駄に2年間通った大学院時代にほんのちょっとだけかじった「研究」の生活を、ドイツという異国でずっと続けている。すごいことである。

東ベルリンの信号はアンペルマンという人気キャラになってる

待ち合わせは、アレクサンダー広場の世界時計。ベルリンの東側が東ドイツだった頃にソ連がつくったものであろう。モニュメントの旧ソ連っぽさがすごい。ロマンを感じる。ところが、俺たちの目には、仙台FORUS(フォーラス)前の「水時計」に見えていた。6年ぶりではあるが、ちゃんと話すのは16年ぶりなのだ。自ずと会話は大学時代のことが中心になる。

新しいアレクサンダー広場駅
世界時計の旧ソ連みがたまらない

ホロコーストの資料館に行く。ユダヤ人虐殺を忘れないための施設である。ベルリンには数多くのこういった施設があり、「忘れないために残す」という想いが強い。入館は無料である。地上には、四角い箱のようなモニュメントが高さ違いに並んでいる。通常、弔うための墓地や跡地といえば、整然と並んだ十字架などを想像する。アメリカやエヴァンゲリオンを思い出す。

でこぼこの謎

しかし、地下の資料館に入って納得した。地上の四角が地下に「刺さっている」ようなデザインになっていた。そのひとつひとつに当時を生きたユダヤ人の情報や手記が残っている。ひとりひとりの人生があり、深さも、大きさも、形も、本当は違うのだ。それを、上下に位置をずらした四角というデザインで可視化していた。

内容もさることながら、館全体のデザインがすごい

Kさんという鳥人間同期の女性がいた。ある日、Kさんは段ボールいっぱいの芋を抱えて作業場へやってきた。「せっかく大学に入ったので合コンにたくさん行きたいが金がないので芋を食うことにした」というのだ。彼女は薬学部で、最初に会った時に、黒板に嬉しそうにサリンの化学式を書いていたことを思い出し「それはいいアイデアだね」と言うにとどめた。

18世紀の食糧飢饉の際、フリードリヒ2世は「芋を食え」とドイツ民に命令した。その腹持ちのよさ、栄養価の高さは、300年以上前からお墨付きであり、Kさんは正しい。Yにごちそうしてもらった昼飯は芋とアイスバイン。要は豚足の塩漬けであるが、夕食がいらないほどの腹持ちであった。

登れる

国会議事堂は、天上がガラス貼りになっている。どんな政治をしているのか、常に国民が見ている、という意味である。二度と過ちを繰り返さないように、という思いが強いのだ。このあたりも、デザインによる可視化が優れていると感じた。昔のこと、思い出を振り返るのは、悪いことじゃない。

当時のチェックポイント。相手国の兵士の顔が飾ってある。裏にはソ連兵が

人力飛行機制作は、まるで戦争だ。大学の授業とバイトの間を縫って、徹夜で飛行機をつくりあげる。だから、それ以外は、あんまり何もできない。(Kさんを除いて)合コンにも行けないし、おしゃれもできない。(バルサやスタイロと呼ばれる材料の粉まみれになるから)夏が近づくと、朝3時に集合して試験飛行を行う。グラウンドでパイロットを乗せて、数十センチだけ浮かし、操作を体で覚える。やがて朝日が上り、アーチェリー部がやってきたら退散の合図だ。射られたら琵琶湖まで機体が持たない。深夜になると、ジュースをかけたじゃんけんだけが唯一の楽しみとなる。あの日々はまさに青春であり、共に過ごした仲間は、戦友だった。

面長のキリストと青のステンドグラスの教会

第2次大戦後、ベルリンは米英仏が西を統治し、ソ連が東を統治した。しかし、あまりにも経済格差ができてしまったため、西側へ移住する人民が急増。それを防ぐためにをつくった。資源のある国は発想が直接的だ。この壁を越えようとして射殺された人は多い。時にはソ連軍の軍服を縫って、堂々と通り抜けることに成功した者もいるとか。

当時の配給品。デザイナーの気合いを感じる

ベルリンの街全体は、東ドイツ側にあり、ぽつんと西ベルリンだけが壁に囲まれて孤立している構図になる。だから、西側諸国から物資を運ぶためだけの空港があった。今はもう使われておらず、自由地区のような雰囲気になっている。大きな公園とでも言うような。そこに歩いて行き、ここなら思う存分試験飛行ができるな、などと話した。Kさんは元気だろうか。

ウインドスケボーみたいなやつが楽しそうだった

Tくんという人間がいる。彼は我らの代の部長であり、コックピット担当だった。つまりキーマンである。そんな彼だが、あともう数ヶ月で本番、という春に、恋人をパイロットにとられてしまった。これは、理系あるあるなのだが、女性の数が圧倒的に少ないため、一人一人の女性が自ずとモテてしまう。その結果、ひとつのサークル内で、女性をとりあう、ということが発生してしまうのだ。とても狭い世界である。まるで、壁に囲まれたベルリンだ。これは無理やり例えすぎた。

昔の飛行機

考えてみてほしい。コックピットをつくっている横で、元カノが操縦桿をつくっており、その横で恋敵のパイロットがコックピットに取り付ける椅子をつくっているのである。そんなことある?もちろん飛行機は飛んでほしい。このチームのキャプテンは自分である。しかし。

橋の上、キングサイズのベッドに寝る浮浪者

ある日から、Tは作業場に姿を見せなくなった。不安である。このままでは飛行機が完成しない。しかし、よく見ると、コックピットの作業は進んでいる。Tは深夜から明け方に来ているのであろうか。不安である。我々は少数のパートリーダーで話し合った。パートリーダーとは、主翼、プロペラ、操舵、駆動、コックピット、フェアリング(外装のこと:筆者はこれを担当)それぞれの設計と制作の担当のことだ。そして、Tを飲みに誘うことに成功する。

東ドイツ時代のスクーター

ソ連がゴルバチョフ政権となり、少しずつ自由化が進む中、ベルリンもまた緩和されつつあった。東西の行き来を自由にする。という発表がスポークスマンからなされる。記者の質問が飛んだ「それはいつからですか?」スポークスマンは答えた「ただちに」

この一言が世紀を変えた。民衆が押し寄せ、ベルリンの壁は撤去されることに。本来は壁を撤去するつもりはなかったらしい。上層部の会議にも出ていなかったスポークスマンが言った言葉「ただちに」が民衆に火をつけたのであった。

有名な壁のアート。ベネトン広告の元ネタだろうか

Tくんは、学生にしては少し豪華な海鮮居酒屋で、日本酒をちびちびと飲んでいた。我々はあえて例の件には触れず「今日は飲もう」なんつって、馬鹿話に終始していた。誰も恋の悩みを解決できるほどの経験がなかった。また、こうやって馬鹿騒ぎすることで、なんらかのストレスが解消されればいい、くらいの感覚だった、気がする。

「ゴッ」
Tがグラスをテーブルに置く。

「俺さあ・・・」

みんなの視線が集まる。なんだ、何を言うつもりだ?「辞めるよ」なんて言うなよ。そしたら、俺たちの代はもう琵琶湖を飛ぶことなんてできないぞ。やばい。でもしょうがないよな。でも辞めないでくれ。

「俺、いいコックピットつくるよ」

この一言が世紀を変えた。これが「七輪亭の誓い」(2002) である。この一言で東西の壁は壊れ、ベルリンはひとつになり、わたしたちは琵琶湖の風になった。1200mくらいだったかな。3位だった。飲めないビールを飲んだ。楽しかった。

素の壁がいちばんグッときた

ノスタルジーは、未来につながらない。そう考えて生きてきた。振り返るより、前へ。しかし、思い出はいつか濾過されて、いい記憶と正確な記録は、武器になる。人類は、どうしようもない過ちは繰り返さないように学び、腹が減ったら芋を食う。そうやって、少しずつよくなってきた。だから、たまには過去を振り返るのも悪くない。

また、KさんTくん
それに鳥人間の同期たちと会いたくなった。

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ベルリンってこうなってたんすね


鳥人間の好きな映画ランキングは上から順にジブリが占有する。「紅の豚」「天空の城ラピュタ」今なら「風立ちぬ」も入るだろうか

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