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コロナで入院しててほとんど思い出がなかった【2022年ふつうの旅 #3ネパール】

仕事も、観光も、ふつうにやりながら、旅していく#2022年ふつうの旅 3カ国目はネパール。と、言いたいところだけど、ほとんど入院していた。

たぶん、バラナシから菌を喉に宿して入国してしまったようだ。なんか痛いなとは思ってたんだけど。

そもそも旅立ってからというもの、ストリートフードの油や水に気をつけ、バナナやトマトを意識的に摂取していたこともあって、割と体調は良好だった。

ところが、インドのバラナシでやられた。

泊まったのは、日本人宿のゲストハウス。一応個室ではあるが、冷房はなく、停電で扇風機も止まったりする。場所はガンジー川近辺。つまり、スラムにも近いような路地の奥。牛や犬が歩き回り、ハエがそこらじゅうを飛んでいる。もちろん温度は暑く、不衛生オブザイヤーの座を1,000年以上守り続けているような土地である。

そこで、風邪をひいた。咳が出る。体がだるい。たぶん、熱もある。好奇心から、ぜひインドの薬を飲みたい、とガイドに訴え、強烈であると聞くインドの薬を飲んで、少し回復した。が、半分体調は悪いまま、インドを出国し、ネパールへ。

本当は、あまり体調が良くない中での入出国はよくなかったが、一刻も早くインドを離れたかった。強烈で、鮮烈で、衝撃で、うんこが多かったインド。今はもうこりごりだけど、もしかしたらまた来たくなる日もあるかもしれない。二郎系ラーメンのように。(二郎系ラーメンは一度行ったきり二度と行ってない)

そしてネパールに降り立ち、驚く。道がきれいだ。空気も。どうやら首都カトマンズには排気ガス問題があるらしいが、それでも自分にはキレイに感じた。何しろ、うんこもハエもいないのだから。さわやかなフレッシュエアーである。

Swagat Homestayという、変わったタイプの宿に。とある一軒家の中にホテルのように客室があって、バスルームも客室内にある、という、半分ホームステイみたいなタイプの宿である。宿主はSwagatさんというナイスガイで、ここに二世帯の家族と住んでいるという。

早速、おいしいランチのお店を聞いて、近所のしゃれたカフェへ。バラナシではハエを追い払いながら、頼まないといけなかったので、本当に気分がいい。調子に乗って、パッタイとモモを頼んだ。パッタイはタイの焼きそば。モモは餃子のようなものである。

そして、それがよくなかった。

不調だったノドに、パッタイの辛さがトドメを刺した。宿に戻ってからも咳が止まらない。なんだか熱も出てきた。ホストに言って、ずっと部屋で寝てるから、喉にいいものが欲しいと伝える。飴やうがい薬をもらい、1日寝ていたがよくならない。ホストの提案でPCR検査へ。$20。次の日にメールで結果が届いた。

positive

そう、ここネパールで、(おそらくインド株の)コロナ陽性になってしまったのである。

ホストがいろいろと調べて、病院に電話してくれるという。そのあいだ、自分は何をしていたか。そう、保険会社との連絡である。どうもコロナによる隔離された入院は一泊$2,100ほどかかるとか。日本円にして、28万円くらいであろうか。ハイパー高級ホテルである。

出国前に保険証書を英語で出力していたA4用紙をホストに渡すと、写真データを病院に送ってくれた。病院からは「保険でカバーできる、大丈夫だ、救急車で来い」と頼もしい返事が。

念のため、こちらからも、保険会社に連絡を。と、エポスカードの窓口に電話をかけまくるが永遠につながらない。クレカ付帯の保険は一応機能するが、連絡が限りなくつながらないようになっている。またひとつ学んだ。

教訓1:喉痛い日のパッタイはダメ
教訓2:保険はクレカ付帯より、
任意で入った方が窓口対応が5,000倍いい

病院の中には保険専用の部署があり、日本語が話せる人がいた。その人に保険証書と電話番号を伝えたところ、入院2日目くらいで「全部こちらで話をつけたのであなたは一円も払わなくていい」とやってくれた。神。異国においてコロナに感染し入院が決まった時に、健康よりもお金の心配があったので、それが消えて心理的にかなり落ち着いた。

救急車はやや大げさであり、5分ほどで病院へ着いた。あらためてのPCR、肺炎を疑ってのX線検査、頭や胸の痛みなど、着々とチェックされていく。こちらの症状は極めてシンプル、熱と喉である。

咳をすると痛みが走り痰が絡まる。

これがけっこうしんどかった。
喉の痛みとは、メシが食えないということである。それだけじゃない。水でさえ飲めない。だってノド痛いんだもん。

というわけで、点滴である。静脈に専用の針と管を繋ぐと、そこに大塚製薬製の液体や、痛み止めの液体薬をガンガン打ち込んでいく。一気に身体が回復するのがわかる。声が椿鬼奴の20倍くらいガラガラになっていたのが、人間的な声色に戻る。

入院3日目くらいで、口から食事が取れるようになる。徐々に痛みが引いていくが一進一退。またすぐに痛くなり、謎の赤いうがい薬で痛みをなくす。そのあと甘いシロップ、錠剤、飴などなど、ありとあらゆるメディアを総動員して喉の菌を殲滅せしめていく。圧倒的ではないか、我が軍は。

そうなると、入院特有の問題が発生する。

暇なのである。

ちょっと頼りないWi-Fiで、ストレンジャーシングスをシーズン2から見直してみたり、ネパールの次に行こうとしているドバイのことを調べてみたり、フジロックのYouTubeLIVEを覗いてみたり、請求書をiPhoneで書いてみたり、制作スケジュールを要求してみたり、ネパールの病院のベッドの上でできることで暇をつぶしていた。イレブン、俺も研究所に戻りたくない気持ちが分かるよ。

ここで、ビザ問題が出てきた。15日でとっていたので、残り日数が少なくなってきたのだ。ネパール政府によると発症から10日後までは国内にいること、との縛りもある。MTGもあるので、早めにドバイに入り、ホテルでWi-Fi状況を整えておきたい。などなど考えると、そう、

ほとんどネパール観光できない。

これはもう、運命的に仕方がないことのように思えた。病み上がりで、元々行こうとしていたトレッキングも危ないだろうし。エベレストは見たかったが、お預けだ。人生にはお楽しみが多い方がいい。見られなかったものもまた、次のシーズンへのフラグになるのだ。きっと。

本当はビザを延長すればいけるのだが、なんとなく、気分を変えたかった。インド・ネパールのヒンズー文化圏から離れたかった。それらをひとまとめにするのはとても雑なことなのだが、気分の問題なのだ。

病院生活はおおむね快適で、毎日新しいパジャマが提供される。下着も提出すれば洗ってくれるし、なによりごはんのメニューが豊富だった。ネパールの食文化の一端はこの病院で知った。外国人向けの英語で話せる病院だからパスタとかバーガー西欧風だけど。

その中でも、ネパールの焼きそばであるチョウメンや、カレー入りの皿であるターリなど、いくつかローカル色の強いメニューが楽しめた。フルーツはりんご、マンゴー、桃がおいしかった。

あとは判で押したような毎日だ。起きる。血圧体温測る。薬飲む。うがいする。朝ごはん。歯磨き。シャワー。着替え。医者の検診。血圧体温薬。うがい。昼ごはん。飴。血圧体温薬うがい。夕食。歯磨き。飴。寝る。

この繰り返しが、髭を伸ばす。顔はだいぶ中東化した。とっくに準備はできている。しかし、まだ陰性の結果も出ていないし、ドバイへのフライトもとっていない。勢いづいて始めた旅もひとやすみになり、「もうちょっとのんびりいけよ」と言われているようだ。ヒンズーの神が3億種類いるはずなので、そのうちの誰かか、ブッダか、アラーか、メタリカか。

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