見出し画像

世界はグラデーションでできていた【2022年ふつうの旅 感想編】

観光したり、仕事したり、生活したり、入院したり、走ったり、焦ったり、整ったり、地下鉄でその服いいな、と言われたりする #2022年ふつうの旅

帰国した翌日。感想をまとめておきたくて、スマホでnoteを開いています。恵比寿のサンマルクカフェで。パンと紅茶で3ドルです。最高か。

今どき、ネットとスマホがあれば、だいたいの情報はバーチャルに手に入る。だからこそ、現地で、リアルに、五感で感じる体験が欲しくて、旅に出た。

コロナ後の雰囲気を見たい、というのもあった。結論から言うと、訪れた国はどこもコロナはないも同然だった(個人の感想です)。ほぼほぼの人はマスクしてないし、基本的には規制もない。あったのは、ヴェネツィアの船、ベルリンのメトロ、空港と薬局、病院くらいだろうか。老人が自主的にしてる国もあるかな、ってくらい。

旅をしていると、特に観光地で「コレが、あの、有名なアレか」現象が起こる。有名人に会ったような、聖地を巡っているような。そわそわする感覚。

その時に感じるのは、どこも、事前の情報を調べて得ていた知識通りではない、ということだ。なんか微妙に違うのだ。

思ったよりアンコールワットはデカいし飽きる。思ったよりガンジス川は水位が上下する。思ったより野良牛のうんこ踏む。思ったよりドバイは暑い。思ったよりトルコはガラが悪い。思ったよりフィンランドのサウナは気持ちいい。思ったよりタンザニアのライオンは動かない。思ったよりイタリアのコーヒーはうまい。思ったより、メキシコの治安はいいのだ。

そのギャップは、情報による偏見と、実際の体験の差であり、この体験ですら、時と場合によって、人によって、ころころ変わるものだ。

しかし、人は物事にラベルをつけて、分かりやすく理解しようとする生き物である。それを分かっていて広告などはアイコンをつくり、単純化したりもする。

事前のラベルと、実際の体験との間には、言葉や数字にできない微差やニュアンスがたくさん横たわっている。それはデジタル化できないものであり、そこにいないと感じられない何か。

そして、世界は(主語デカ)、白でもなく、黒でもなく、グラデーションが広がっているものだった。治安が悪い国などなく、治安が悪い時間帯と場所があるだけ。料理がまずい国などなく、料理がまずい店と時間帯があるだけ。自由の国などなく、自由を感じられる瞬間があるだけ。

断定するのは楽だけど、そこからこぼれ落ちる微妙なニュアンスにこそ、本質的なそのものらしさがあること。これがこの旅いちばんの発見だった。

激しく輝く色と色のあいだの境界を、ぶらぶらと歩きまわり、写真を撮り、文章を書くことができて、とても勉強になったし、楽しかった。

人と人の間にも、そのグラデーションは広がっていて、ハッキリと善悪や好き嫌いだけを決めるのではなく、なんとなくの親切や好意に何度も助けられた。

宗教も、人種も、言語も、大陸も、便宜的に分かれてはいるが、そこにはグラデーションがあり、もやもやとしたあわいの中で、たくさんのモノを受け取ることができた。

それは、この世界で、こう呼ばれているものだった。

「やさしさ」と。


そういうわけで、gradationをテーマにした写真集または写真展を考え始めようかと思ってます。出版というほど大袈裟ではなくて自主制作的に。よいフォトブックのシステムや印刷会社など教えていただけるとうれしいです!



ありがとう!Thank You!谢谢!Gracias!Merci!Teşekkürler!Asante!Kiitos!Obrigado!Grazie!Þakka þér fyrir!