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vol.190/あえて“なりたくない自分”を掲げる

【憧れ】が【尊敬】に変化した時、
“なりたい自分になれた”
と言えるのかもしれない。


憧れのあの人は、自分が持ち合わせていないキラキラ光るものを持っていて、それがあまりにも自分には眩しすぎると突如なのか徐々になのか、憧れは影を落とし嫉妬へと変化する。

でも、憧れのあの人が持っているキラキラ光るものはあの人だからこそ光っていて、そう考えると私には私なりのキラキラがどこかにあるんじゃないかという考えに至る。そしてそれはもうすでに備わっていることにも気づく。その考えに至るまでのプロセス自体に、とってもとっても意味がある気がしているから30代を超えた私は20代だった自分に

そのプロセスを大切にして欲しい!
人を見て、自分を見つめることは
比べることではないんだよ!

と伝えたくてうずうずする。でも繰り返しになるけれど、そこへ辿り着くまでのプロセスが絶対的に必要なの。


現在地の自分は、【なりたい自分】と考えるより、【なりたくない自分】を掲げて【なりたい自分】へと矢印を向かせることにした。
そしてなりたくない自分は、“つまらない大人”。何がなんでも“つまらない大人”にだけはならない、そう決めた。でもそれは“面白い大人”になりたいとも違い、“かっこいい大人”ともニュアンスが違うから、だから私は敢えて【なりたくない自分】を掲げて【なりたい自分】になるんだ。



それは憧れとも尊敬とも違う、主観的でもあり客観的でもある目線と、自分軸で捉える【なりたい自分】。その軸に磨きをかけて、つまらない大人になっていないかの基準を常に見つめて、私はなりたい自分になっていく。心揺さぶられる美しい体験を増やしながら。


#なりたい自分


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