全てが良い塩梅

以前からその存在は知っていて、いつか読みたいと思っていた本が文庫化されたという情報を入手し、これはナイスな切っ掛けだぜと早速手に取ってみた。

で、読み始めたのだがチンプンカンプン。
まずイメージが湧いてこないし、登場人物の名前が覚えられないし、物語が入って来ない。
かと言って、決してつまらないわけではなく、その独特な語り口と世界観にはビリビリ来るのだが「あ〜これは今の自分には手に負えないな〜」と30ページほど読んだところで、そっと本を閉じたんだったんだったん。

私は、世紀の傑作だとあちこちで絶賛されている名作を読み進められない自分を恥じた。
多分きっと、二十代の頃にこの本を読んでいたら一気に読めたと思う。
そして大いに心動かされたのだろうと思う。

初っ端に打ち当たる壁を破壊する喜び、興奮が若い頃にはあった。
今はもうない。
その気力も胆力もない。

こんなことを書いていると、自分の老いを自覚して遠い目をしちゃって黄昏ているかと思われるかもだが、全然それはない。
むしろ、この脱力さ加減を歓迎している。

スッと入って来ないのなら、入って来なくても良し!次!

これでいいのだ。
ジタバタするより自分に甘くてスッと馴染むものを見つける方が良い。
若くして、こうなってはダメだが、私ももはやナイスミドル。
それでいいじゃない。
ダメ?

そんな流れで、次に読み始めたのが
『ぼくの平成パンツ・ソックス・シューズ・ソングブック』 松永良平著

“落ちこぼれ大学生だったぼくが、音楽ライターになるまで……。
音楽と、レコード屋とともに過ごした「平成」の記憶を、数々の名曲とともに綴る青春エッセイ……”

もう、この帯に書かれた一文でガツンと来た。
で、読み始めたら、やはり最高に面白い。
スイスイ読めるし、全てがスッと入ってくる。
これこれ!

著者は、私の三つ年上。
過ごした場所や、見たライブ、聴いたレコードも重なるばかり。
著者が出会う人たちも、私の中の懐かしいアイツやソイツやコイツに感じてしまうのは、渋谷直角さんの『世界の夜は僕のもの』を読んだときと同じだ。 
多分きっと何処かですれ違っているはずだよ!
なんて思わされる。

なんだか、こういう本と巡り合う機会が増えているのを感じる。
きっと五十路のオッサンたちが、あの頃は良かったよな〜と90年代を回顧し始めまくっているんだろうな。
ま、実際良かったしね。

私も機会を見つけて、平成に出会った音楽たちのことを書いてみようかな。
もちろんBGMは、折坂悠太の名作アルバム『平成』でね。

股旅。

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