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ある銀行員の話

先日、久しぶりに会った同級生は銀行員で、
わたしがやっていたギャラリーとカフェDoodleについて
いろいろ話を聞いてくれました。

経営やビジネスといった観念はもとより、
お小遣い帳以上のお金のことを考えるということを
してこなかった私がオープンに至るまでのこと、
オープンからどのように営業し閉店するまでについて、
ビジネスという観点での質問に答えて言われたことは
「やっちゃいけないことを全部やったわけね」だった笑

やっぱそうなんだー、という気持ちと
まぁ、そうだよね、わかってました的な気持ち。

それでも、その時の自分にはDoodle を始めることは
自分にとって必要な試練でこれからの自分に必要な
プロセスで、そしてここから逃げてはいけない、
やるべきことのように感じていたわけで。

Doodleを始める前にその同級生に会っていたら、
絶対、その時点で止められていたから、
もしかしたらDoodleはなかったのかな?
なんていうところまで考えて、
でも結果的にはその時点ではその同級生の話を
聞く機会はなかったわけだし、
そういういろいろなめぐり合わせから行くと、
やっぱり私には必要なプロセスだったのかもと
思えるから不思議なことだなぁって。

ビジネスやお金という側面から考えると
「やっちゃいけないこと」をやった
ということになるのだろうけど、
きっとそれ以上の学びや経験、
それから絵を描くこと、物を作ること、
展示すること、作家さんたちとの出会いや
何より、自分がやりたかった
「アートはみんなのもので、それは人を幸せにする」
っていう場所を作ることが少しの間だけでも出来たことは
私にとっては生まれてきた意味みたいなことまで
考えてしまうようなことだったと(←大袈裟?)。

まぁ、まだ人生は終わらないわけで、
アートとは無縁の会社員生活を送ってきた自分が
人生後半になって作家活動をしているのも
自分にとっては考えてもいなかったことだし、
時々、自分がやらかしてしまったことを正当化しながら
この先の明るい未来を描いて生きていけばいいか〜
なんて思うのです。

そして性懲りもなく、やらなかったより、
やった方がやっぱり面白かったしな、
なんて思っているわれながらアホです笑

でも、もうひとつ思うことは、
われながらアホだと笑えるようになった自分は
明らかに昔の自分とは違うかもって。

歳とった(少しは大人になった?)せいなのかもしれないけど、
昔の私は自分のアホさ加減を笑えなかったから。
どこまでも深刻になって、自分で自分を責めて、
落ち込んで、だから私はダメなんだって。
こんな自分を消しゴムで消し去りたいって。

行動ややっていることは変わらないんだけど
(そこは成長しないのか?)、
やらかした後で、
自分で自分が大嫌いになるのではなくて、
面白がれる自分に少しはなれたのはすごいかも。
もちろん、ちょっとは今だって悩んでますけど〜。



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