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『外は寒風、内は温か』

毎日の変化は、小さくてそうそうきかつくものはないけれど、数日単位、週単位といったことで、変化に気づいたりする。
移動で駅の階段を利用すると、手摺りを利用するとことなく、違和感なく階段を上り下りする様になっていたりする。
急いで、駆け上がったり下りたりは気持ちだけでしかできないが、退院二ヶ月にもなったからか、徐々にではあるけれど確かに体力などが回復してきていると実感することができる。
見慣れていたり、観察をよくするような人だったりしなければ、脳梗塞で入院してリハビリをしていた人とは、気がつきにくいだろうなと思ってしまうほどに身体は回復しているようだ。
こういう確認は、日常の中で客観的に一二歩引いて自分を見られる感覚が生じた時に気がつける。
自分の状況を顧みて、考え分析した結果として気がつく時とは異なる、人間の思考だから生まれる、直感的気づきというものなのかもしれない。

"やった!前よりむっちゃ回復してるやん!!🥰"

と、心の中では思っていたりするが、年相応に環境に応じた静かな喜びをオッサンらしく表している。
先日の暫くぶりの自転車も、仕事中でなければ、今どのくらい回復したのか確かめる様に色々とギリギリのところを攻めて、現状に対する喜びを感じたかったところである。
自分で寝返りをうつことも、ベッドから起き上がることも容易ではなかった昨年の夏の頃の状態を思い返すと、随分と回復できたものだ。
前回の脳梗塞での入院もそうだったが、運が良いヤツと言えるのかもしれない。
そうは言っても、1回目と2回目の間が約二年と短いこともあり、次発症したら動けなくなる様になったり、命に関わるかもと医者に身内は言われている。
私自身は、病状など深刻で重い話しはあまりされていないから、自分のことでありながら、どれほどのものを抱えているのか実感らしいものはない。
心理的ことも考えて、言っていないだけかもしれないが、回復していくことを喜んでいれば良いのかと思っている。
身体は、日々回復しているようだけれど、以前より口がうまく回っていないことや覚えていたはずのことを思い出せなかったり、認知のずれを感じたり、一晩は記憶のすり合わせができない様なことが、まだまだある。
加齢によるものと片づけでしまえば簡単なことなんだけれど、それをしてしまうと老いることを後押しする様な気がして、時間がかかったり恥をかく様なことが多くなっても抗い回復していこうと思っている。
世間の厳しく吹き荒ぶ風に晒されながらも、その中にある人の温かさを感じて生きていくのだよね・・・。

続く・・・

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