見出し画像

なぜ『JOKER』が売れたのか?

映画『JOKER』をはじめて観たとき、あまりの暗い現実と残酷さに言葉を失った。世間的には売れる映画ではないだろうなと思っていたら、日本の4週目の動員数が約240万人、興行収入は約35億円ととんでもないヒット作となった。過去のバットマンシリーズの中で最も売れ、R指定映画では歴代1位を更新した。4週連続一位と長期間人気を維持している作品は珍しく、それがファミリー向けではなくR指定作品なのだから驚異的だ。リピート客が多いのかもしれない。私も気付いたら3回もリピートしていた。では、なぜ売れたのか。優れた編集者や映画好きの人たちから見聞きしたことを、整理して考えてみた。

売れる条件とはシンプルにすると以下の3つだろう。

1.欲しがる人がいる
2.金を払いたがる人がいる
3.代替手段が少ない

1.欲しがる人がいる

『JOKER』を欲しがる人は誰か。R15指定だからファミリー向けの映画ではない。個人向けの映画に求めるものは何か。現実から逃避した物語か、現実を直視した物語か、両者を有する物語か。暗澹たる現実を前に主人公アーサーの苦しみが増していく悲劇は現実を直視した物語のようにも思える。しかし、JOKERに変貌し、苦しめられた現実から解放されて世界を変えた喜劇に、ある種の解放感を得た人が多かったのかもしれない。
社会が二極化したと言われるが、確かに日本の大学進学率は2019年の最新版でも未だ約55%と半分強だ。誰もが当たり前に大学に入れる社会になっていないし、平均年収も上がっていない。『JOKER』が描いている下層社会の苦しみは日本においても現実味を帯びた世界として共感する層が増えているのかもしれない。政治家が語る言葉は幻想で、アーサーが生きている世界のほうが現実感があると。この重たい現実から解放されたい人々が潜在的に『JOKER』を求めていたのかもしれない。

2.金を払いたがる人がいる

『JOKER』はわかりやすい単純な物語ではない。名作『タクシードライバー』『キング・オブ・コメディ』の良質なオマージュが多分に入っているし、現実と幻想の境目も明確に隔てられていない。どちらかというと玄人好みの要素が強いが、その複雑性や多義性、悲劇と喜劇の往来が絡まり、また観たくなる不思議な中毒性を生み出しているのかもしれない。
酒や煙草も最初から美味いと思う人は決して多くないだろう。どちらかというと「苦い」が先ではないだろうか。だけど、その苦味の後になんとなく解放された気分があるからまた飲みたくなり、吸いたくなる。
『JOKER』はもちろん清涼飲料ではなくアルコール飲料だし煙草臭い。最初は「苦い」が先にある。アーサーの重たい現実がアルコール度やニコチン度を高めているのかもしれない。その苦味の後にJOKERへ変貌し、支配されてきた世界が逆転し、悲劇が喜劇になる解放感を感じる。『JOKER』はリピーターが多そうだが、このアルコール度・ニコチン度の高さが金を払ってでもリピートしたくなる中毒性を生んだのかもしれない。

3.代替手段が少ない

『JOKER』のヒットは、ハロウィンの日に渋谷で仮装して騒ぐ、いわゆる「渋ハロ」と似ている。「渋ハロ」に集う車やバイクのナンバーは北関東が多いそうだ。重たい現実を解放する手段として、バカ騒ぎする「祭り」が以前は機能していた。その祭りが減少し、数少ない現実逃避できる手段として「渋ハロ」が一大イベント化した。『JOKER』のヒットも、バカ騒ぎできない代替手段の少なさが効いているのではないだろうか。実際に、今年の「渋ハロ」はJOKERに仮装した人も多かったようだ。
『JOKER』は精神的にバカ騒ぎできる数少ない代替手段を映画の中で疑似的に提供したのかもしれない。

まとめ

『JORKER』は、現実から潜在的に逃避したい人たちに、酒や煙草に似た中毒性成分を分泌しリピートを促進させ、「渋ハロ」に似た仮装して現実逃避しストレスを発散させる数少ない手段を映画の中で擬似的に提供したことでヒットしたのではないだろうか。

『JORKER』がなぜ売れたのか、忘年会の話のネタのひとつとして取り上げてみるのも一興かもしれない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?