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【連作短編】Shepherd that doesn’t bark:四月 前編【小説】




 桜なんかあっという間に散ってしまって、どんどん暖かくなっていく。
 この間までピンク色の可愛い花弁を咲かせていたかと思えば、もう緑でいっぱいで、すぐに夏が来ることを感じさせるのだ。
 まあ、実際はここからまた少し肌寒くなったり、雨季があったりと慌ただしい日々を過ごしているうちに、なのだけど。

 毎日が晴れ、晴れ、晴れ、の連続でお天気日和も束の間、黄砂の影響で窓も開けられない――開けたくない日々に悩まされるのは主婦の運命ともいうものだろう。
 いくら家電製品が進化して、洗濯物は洗濯機にそのまま、ぽいっ、とすれば乾燥までやってくれるとはいえ、やっぱりお天道様に乾かしてもらった方が気持ちいい。
 わたしがおばあさんになる頃には、これがもっと進化して畳むところまでやってくれるんだろうな、なんてぼやいていると、夫が、もうあるよ、なんて教えてくれた。


 
 だけど待ってほしい。

 確かに科学の進化というのは便利だ。
 見事に栄養バランスの取れた冷凍食品は味を追求しはじめ、ついぞレストランの出来立てを提供できるまでになった。
 喋る電子レンジ調理器は適当に指示に従って素材と調味料を突っ込むだけで、油なしの揚げ物まで出来る。
 一昔前まで水道代が余分にかかる、なんて言われていた食洗機だって節水仕様になって、もはや水仕事で手が荒れる心配もお金の心配もする必要がない。
 冷蔵庫の中身は写真を撮って管理してくれ、それがスマートフォンに送られるんだから買い忘れの心配もない。
 エアコンによって一年中適温に保たれる家の中は快適だし、加湿器や除湿機によって湿度調整はお手のもの。
 空気清浄機で嫌な匂いやウイルス除去だってしてしまう。
 フローリングには行ったり来たりで忙しなくロボットが掃除をする。最近のこいつは洗剤まで使う上にきっちり水拭きまでして、おまけにアルコール除菌までやってしまうらしい。
 声ひとつで電気は付くし、音楽はかかる。
 家の前まで来れば勝手に玄関の鍵は開く。
 帰宅前にスマートフォンでちょちょいと操作すれば、帰りつくころにはお風呂が沸いている。
 トイレに行けば、清潔な水で洗ってもらえ、お風呂のタイルはすぐ乾くからカビの心配もない。
 通販サイトは注文した次の日には届くし、忘れがちな日用品だって定期便でお手のものだ。
 おまけにさっき夫に教えてもらった通り、洗濯物はスイッチひとつで洗剤やら柔軟剤やらを勝手に投入、洗って乾燥、ついでに畳んでもくれるらしい。



 ……なんだこれ?


 確かにそんな生活に憧れないでもない。
 そうなれば、わたしは毎日なにも考えることなく気兼ねなく寝て、起きたら好きな本を読み、時折映画やドラマを見て、夫の仕事が終わるタイミングを見計らって電子レンジでチーン。
 そんな生活に飽きれば働きにだって出るだろう。
 趣味の縫い物やなんやらを流行りのハンドメイド販売サイトで売るのもいい。
 夫の趣味の煙草だって、空気清浄機の真ん前に陣取らせて好きにさせるのだってたぶんできる。
 二人で出掛けるともなれば、買い物なんてしなくてよいのだから、水族館に行ったり美術館を見たり、そんなことをしなくても家でひたすら映画を見てお家デート、なんてのもありだ。
 ……いや、これは今もやってるなあ。

 とにかく、楽になるのだろう。


 でも、わたしはきっとこう思うのだ。

 ……なんだこれ?って。



 だって、考えてもみてほしい。
 主婦の意義だなんだと言うつもりはない。
 機械で自動化されたものは便利でクオリティは高いけれど、そんなことしなくても人間には手も足もあって考える頭が付いている。
 できることは自分でやったほうがいい、なんてことも言えないけれど、少なくともわたしは機械任せでなにもかも、という気分にはならない。
 そりゃあ、具合が悪い時や何かに夢中になっているタイミングでは便利だとは思う。
 けれど普段の生活において、わたしが重視しているのはそこではないのだ。

 料理は手作りしたいし、洗濯だって自分でしたい。
 だって、その方が気持ちいいから。

 

 季節のものを取り入れていけば栄養バランスなんて自然にとれるものだし、小気味よく響く包丁の音やじゅうじゅうと音を立てるフライパン、ことことと鳴る鍋の音は気持ちいい。
 天気予報に合わせて、洗濯物は今日のうちに、とか、明日は天気いいからシーツ洗おう、なんて考えるのも、毎日を生きている感じがして気持ちいい。
 ゆっくり音楽でも聴きながら掃除や片付けをしているときなんか、まるでミュージカルの主人公になったようだ。
 飾っているものをひとつひとつ、丁寧に拭いたりして、そのたびに夫との楽しい思い出が蘇る。
 雨の音に耳をすませ、縫い物をしたり本を読んだり。

 そして何より、それを喜んでくれる人がいる。

 わたしが楽しく作った料理を美味しそうに食べてくれて、ぱりっとしたシャツを来て安堵の顔を浮かべ、わたしが干したシーツで寝ている……ところは夫のほうが遅寝早起きだから滅多に見れないけれど、シーツの皺を見るたびに、よく眠れたかな、なんて思える。
 二人で掃除をしたり、片付けをしながら思い出話に花を咲かせる。
 そのひとつひとつが、本当に楽しそうで、時折、愛おしそうにこちらを見てくる。

 わたしにとって家事は、夫とのコミュニケーションでもあるのだ。
 夫への感謝の気持ちと、愛おしい気持ちを最大限表現するための手段なのだ。

 だから、楽しい。
 それを受け取ってくれる夫がいる。
 それだけで、全部全部、楽しい。

 それだけで楽しいのに、彼だって楽しそうに家事をしてくれる。
 わたしと同じ気持ちでいてくれるのが嬉しい。
 全部全部、嬉しい。




 
 ――だから、今日は楽しくない。

 やって当然、してもらって当然、なんて人のところで家事を任されたんだから。
 当時にしては立派だっただろう一軒家は時代と共に古びていって、軋む床や壁の染み、柱の傷は懐かしい気持ちになるけれど、それだけだ。
 感謝はしているし、たぶん愛情もちゃんとある。
 けれど言葉足らずなところも変わらないし、厳格というわけでもなくどちらかといえばだらしないのに言うことだけは厳しい人。

 思い返せば昔から、休みの日でも特に何処に行くでもなく、家のことは任せっぱなし。
 そりゃあ仕事で疲れて帰ってきてただろうし、わたしも何処か遊びに行きたい、なんていう子どもじゃなかったから、その通りにしていただけなのだろう。
 かといって、労いや感謝の言葉をかけているのを聞いたこともないし、今だってふんぞりかえって、ぼーっとテレビなんか見てる。
 定年退職をしてからずっとこれだ。

 おまけに今日は雨だし、洗濯物が外に干せないときたもんだ。
 昨日なら晴れてたのに、何を考えてこんなに洗濯物を溜め込んだのやら。

 もう!!!

 むかむかしてしょうがない。
 来る前に買い物だけでも済ませてきてよかった。

 そんなことを考えながら、一回目の洗濯物を終えたわたしは一杯になったカゴを運ぶ。
 居間を通過するときに横目で見ると、ちらりともこちらも見ず、ただ目を細めてテレビを見ている。

「眼鏡、かけたら?」
「ああ」

 そんな聞いているのか聞いていないのかわからない返事をしたと思ったら、ゆっくりとテーブルから眼鏡を取り出した。
 廊下で洗濯物を干しながら、なんとなく眺めてみる。
 取り出した眼鏡をかけるでもなく手で遊びながら、口をへの字に結んで目を細めている。
 その姿は昔、機嫌が悪いときに見せた表情と同じだけれど、そこに怒りや不満は感じられず、ああ、この人はただ老いたんだな、と自然と思わせた。
 ゆっくりと眼鏡をかけたと思ったら、かっ、と目を見開き、そしてまた細める。
 その目は先ほどとは打って変わって、その鋭い眼光で全てを射抜こうとするような狩人のような目。

 わたしはこの目が嫌いだった。
 口数少なく、おい、と名前すら呼ばれず、その目で射抜いてくる。
 子どもの頃のわたしにはたまったものではない。
 なにも悪いことをしていないのに、なにか自分が悪いことをしたような、そんな気分になった。
 なにも悪いことはしていないのだから怒られるということはなかったのだけれど、そういうとき、決まって要件をすぐ言うわけでもなくただ、じっ、と見つめ、じゅうぶんに堪能したかのように、飯だ、だの、風呂に入れ、だの。
 それだけで、うっ、と息の詰まるような気がした。

 食事時でも食べているものへの感想はおろか、自動で食事が出てくるのを待つ始末。
 ごはんのおかわりさえ、一言もなく、ただ気付いてよそってもらうのを待つ。
 家事なんてしているところを見たこともなければ、せっせと動いているのを目に入れているフリさえしない。
 たまに友人であるという人が訪ねてきたと思えば、話すのはあちらばかりで、ああ、だとか、うん、だとか、せいぜい単語で一言二言返すだけ。
 それで喜んで帰っていくのだから、友人だと言う人も酔狂であると思わざるを得ない。

 そんなわけのわからない父親が、わたしはずっと苦手だった。

 わたしは今日、風邪を引いた母の代わりに実家に家事をしに来ているのだ。

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