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【連作短編】産声と遠吠えと恋心:五月 前編【小説】



 世の中は意外と理不尽であり、ままならない。
 そんなことは良く知っているし、事あるごとに身に沁みて、いつしかそれは常識となり関わりさえも億劫になる。
 その中でも人との関わりというのは非常に厄介で、億劫で、うまくいっているうちは楽しいものだが、一度転けたりするとどうしようもなく重く心にのしかかってくる。

 同じ言語を使っていても文言ひとつ、言葉ひとつとっても、その意味は今まで培ったイメージや乗っかった感情に伴って変化する。
 だから基本的に人と人が分かり合うにはすれ違いと修正を行わなくてはいけなくて、つまりコミュニケーションなんてトライアンドエラーの連続でしかない。
 それにどのような目的があって満足を得るかは人それぞれで、欲目であったり、暇つぶしであったり、どうしようもないほどの愛であったりするのだろう。
 人に対する信用っていうのは、その人が自分の思った通りの人だと魅せてくれることで成り立つ自分への信用なのかもしれない。
 だから、裏切られたと感じるし辛いじゃないか。
 はたまた、それは信用ではなく信仰ではないか。
 そう思ったのは何歳のときだったろうか。

 いずれにせよ、私はそんなところに信用を置くべきじゃないと思っている。
 どれだけ自分の思った通りの人でなくても、どれだけ自分が裏切られたとしても、トライアンドエラーを諦めずにしてくれる態度と言葉。
 それを信じられなければ、先に繋がっていかない。
 傷付き、傷付けあって進んでいく。




 
 今の妻と出会う前、まだまだ私が若かった時のこと。
 酔った勢いで後輩の高橋にこれを語ってしまったことがある。
 
 あいつときたら、枝豆をぽんぽんと口に放り込みながら

「はー、そんな難しく考えたことないっす」

 なんて呆れ顔で言っていた。

 言語化すると難しいかもしれないが、実のところ、世の中の人間はこういう風に動いているんじゃないかなと思う。
 ただ、どう足掻いても人の本心などわかるわけがないから結局、自分の思い込みへの信用に頼らざるをえないし、自分が間違っていたと思いたくないから冷静な判断は下せない。

「結局、自分が信じたくて信じてるならそれに責任を取るのは自分にしかならないから、相手を見極めろってことっすよね。
 毎度の軌道修正に努力できねえならやめちまえ的な?」

 そういうことなのだけれど、その乱暴な言い方に笑ってしまった。

「見極めるってのが難しいんだよなあ」
「マジでそれ。見極めたつもりでいたら浮気されたり、勝手に金使われたり……あー、女って難しい」
「この人なら大丈夫、なんて思ってる相手が実はDV男でした、とかな。男女共にその苦労は変わらんよ」
「恋愛って難しー!!!」

 高橋はわしゃわしゃと頭を掻き回して、ビールのおかわりを頼んだ。
 注文を取りにきた店員が女の子だとわかるやいなや、その乱れた髪を手櫛で整えようとするあたり高橋らしい。
 そういうところに、私は何度も救われてきた。
 その日何度目かの乾杯をして、その日のそこから先の記憶はない。



 
 そんな男同士の馬鹿話満載の飲み会より一ヶ月は前の話。

 当時、私には気になっている女性がいた。
 なんのことはない学生時代からの友人だったけど、ひょんなことから連絡を取り合うようになった。
 お互い忙しい身であることと住んでいるところに距離があったため、会うことはほとんどなかったけれど毎日だらだらと連絡を取っていた。
 独り身同士だし、趣味も合うこともあって、家に帰れば電話をしてなんて恋人ごっこのような同棲ごっこのような、今思えば秘密を分かち合う子どものような関係だった。
 目立った喧嘩もなくて、どちらとも異性の気配もなくて、悪く言えばなんとなく居心地の良いぬるま湯のような環境。
 良く言えば、お互いの関係を深めている段階。
 お互いにそう思っていたと思うし、今でもそれは思う。
 それが半年くらい続いていた。

 きっかけは些細なことだった。
 


 
 年度末を乗り越え、四月を迎え季節が春へと移り変わるが、この頃の私達ときたらそんなこと気にかける余裕もないくらい多忙を極め、やっとの思い出ゴールデンウィークに突入する。
 その貴重な休みを有意義に使うでもなく、いくらかを休息にあてなければ体も心も持たない。
 それが当時の社会人の常識であったし、世の常であった。
 だから、私はそれが無駄だとも思えなかったし、何よりやりたいことをやれる人間になるために今の自分ができることとして休息を取れるなんて、神に感謝するくらいのことだった。
 ただ、彼女はそうではなかったらしく、しきりに何処かに行きたいと言っていた。
 かといって遠出するでもなく、友人と買い物やなんやらに出掛けてそれを嬉しそうに報告する彼女の話を私は楽しく聞いていた。

 彼女はやりたい仕事に就けなかった。
 そのせいもあったし、人間関係で悩んでいたし、ストレスですり減っていたのだろう。
 それは日々の私とのやり取りだけでは癒しきれないものだったし、事実、私は私のこともあって手一杯だった。
 彼女は私を大事に思ってくれていたし、私だって彼女を大事にしていたし、それはお互いに言い合うレベルで伝わっていた。

 そうしたゴールデンウィークも終盤という最中、いつも通り電話をしていると、彼女が言いづらそうにしていることに気付く。
 なんでも言ってほしかった私は軽い気持ちで、声を掛けた。
 すると彼女は、男友達と遊びに行きたいとのことだった。
 なんとなく私に悪い気がして言いづらかったと言う彼女に、私は内心狼狽えながらも返す。

 まだ恋人同士というわけでもないから、それを制限する権利は私にはない。
 そもそも恋人であれど、そういったことを制限する権利はない。
 正直、行ってほしくはないけれど、それを伝える権利もないと思っている。
 と、そこまで言って、伝えてしまってごめん、と謝った。

 彼女は、まったくもう、と笑っていた。

 結論から言うと彼女は男友達と会って遊んで、その上、告白されて帰ってきた。
 男の方の気持ちを想像すれば、まあそうなるだろうな、とも思っていたが、どうでも良いわけでもないから動揺した。
 その動揺を隠せないまま、私は自分の気持ちを語った。
 彼女も溢れる気持ちがあったのだろう。
 ゴールデンウィークも終わりというときに、その話は朝まで続いた。

 感謝していること。大事に思っていること。相手の気持ちを優先したいと思っていること。思っていてもうまくできないこと。気になるところ。好きなところ。嫌いなところ。
 そんなことを何時間も。
 今までの足りなかったところを埋めて、結論を急ぐように。

 嫌でも平日はやってくる。
 仕事に勤しみ、くたくたになって帰る日々が戻ってきた。
 もやもやとした気持ちは晴れなかった。

 そうして普段通り、彼女から連絡が来る。
 彼女は勤めていつも通りだった。
 だから、私もいつも通りに徹した。
 そうしたら、なんでそうなんだ、と詰められた。
 いつもと違う、と。
 何かあるなら言え、と。

 そうは言っても言えるわけがない。
 だって、彼女が苦しむところを見たくないじゃないか。
 できるだけ丁寧に伝えて、その日は終わった。

 彼女からの連絡はなくなった。
 私からはどうも連絡がしづらかった。
 お互いを尊重したかったから、ここで自分がしつこくするのは彼女にとって重荷だと思うから。
 私はそんな人間になりたくなかった。

 気付けば、自分の誕生日を過ぎていた。
 おめでとうの一言さえ、彼女からはなかった。

 そんな細かいことに悲しむ自分の女々しさに苛立った。
 二月の彼女の誕生日に並べた言葉は伝わっていなかったのだろうと思ってしまった自分の不甲斐なさに悲しくなった。
 ぽっと出の男と比べられたことに腹を立てていたどうしようもなくくだらない自分に気付いたのは、そのときだった。
 ただただ悲しくて、情けなくて、これまた情けなく泣いた。
 ひとしきり泣くと、彼女はどうかこんな思いをしないで幸せに暮らしてほしい、と願っていた。
 自分が自分で思っていたより彼女を大事に思っていたことに、また泣けてきた。

 些細なすれ違い。
 傷付き、傷付けあう覚悟も努力もできなかった男女。
 トライアンドエラーに疲れてしまい、時間を作れなかった人達。
 そんな簡単なことに気付く前の話。
 広い世界で雑多なよくある話がひとつ終わっただけのことだった。
 
 

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