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【怖い話】 おばけえんとつ 【「禍話」リライト100】

 その風景を毎日、眺めていたという。

「田舎の、山近くの小学校に通ってたんですよね。どのくらい山に近いかって言うと、」

 校庭を出たすぐのところに山があったのだ、とYさんは語る。
 高い山ではなかった。むしろ低い。しかし木々がみっしりと生えて、重苦しげな雰囲気を持っていたそうである。

 その山の中腹から、ぬっと突き出ているものがあった。
 ものすごく大きな煙突だった。
 色は白っぽく、高さは木々を抜けて青空に突き刺さるくらいあった。
 その下には、木々に隠れて屋根と壁のようなものが見えた。家ではないな、と子供心に思っていた。

「小屋とか作業場とか……とにかく人が住む建物ではないな、と」

 煙突も建物もいつもひっそりとしていて、作業どころか人の気配すらない。ただ山の中に在った。


 入学してからそれらふたつを、Yさんは授業がつまらない時に眺めていた。
 二年生になり、三年生になり、四年生になる。
 フロアが上がって組が変わっても、Yさんのいる教室からは角度を変えて山と、煙突と建物が見えていた。
 席が窓から離れることもあったけれど、Yさんはつまらない時間、勉強に飽きた折に、窓外の景色に目をやっていた。
「体育で校庭に出る時も当然目に入りますし。愛着ってほどじゃないですけど、親しみみたいなものはありましたね」



 小学四年の、夏のことである。
 日曜日にクワガタやカブトムシを捕りに行こう、という話になった。
 同じ四年の友達数名と上級生が数人、それに友達の家から、高校生のお兄さんがひとり来るという。
 お兄さんはどうやら、お目付け役を親に押しつけられたらしい。
 虫に詳しい友達いわく、学校近くの山でたくさん捕れるのだという。
 煙突と建物のある、あの山だった。



 暑い日曜日の昼過ぎ、カゴと網を持ち、帽子をかぶって自転車で、Yさんたちは山へと向かった。
 ふもとにつくと自転車を適当に停めて、さっそく山の中へ入った。「おぉいお前ら、気をつけろよ~」というお兄さんの声が背後から聞こえる。

 草や葉の緑と幹の茶色で視界が埋まる。枝葉の隙間から青い空がちらつく。
 蝉が鳴いていた。
 親やお兄さんが言うには、この裏山には崖や穴など危険な場所はないという。動物もいない。傾斜はゆるやかで、危ない山ではない。
 道は細く、草が密に繁っていた。かき分けると草の匂いがする。小さな虫が出てきて飛び回る。
 奥に進むほど虫は大ぶりになる。見たこともないくらい大きなカマキリや、綺麗なチョウの姿もあった。

 Yさんを含めた七人ほどでどんどん進んだ。後方からはお兄さんがゆったりとついてくる。
 山の中腹あたりまで到達した。みんな網を振り回したり、木の幹に静かに指を伸ばしたりしている。

 Yさんはふっと、視線を横にやった。
 木々の向こうに校舎が透かし見えた。自分たちの通っている学校だ。
 あぁそういえば、とYさんは思う。
 四年生になるけど、この山に登ったのは初めてだなぁ。
 それにこの高さで、あの校舎の場所。
 このあたりに、例の建物と煙突があるんじゃないだろうか?
 Yさんは目を、今度は上に向けた。
 あんなに大きな煙突だ、ここから見えないわけがない。

 しかし──
 枝葉から透かし見える空に、あの大きな煙突はなかった。

 あれっ? とYさんは思った。
 あれだけの高さなのだから、まるで見えないというのはおかしい。
 立ち止まって左上や右上、正面と確かめていく。
 どう注視しても、煙突らしきものはない。枝と葉と、空だけがあった。

 ──方角が違うのかなぁ?
 Yさんは突っ立って、首を傾げていた。
 その時だった。


「うわぁ、怖い怖い」
「やっべぇー」
「なにあれヤバいよ」


 先を行っていた友達とお兄さんが、急ぎ足で道を下りてくる。怖い、ヤバい、と呟きながら、山の上の方を振り返っている。

「どうしたの?」
 Yさんは尋ねた。
「超コエーの。マジヤバい」友達のひとりが答えた。「なんかさ、登ってったら、建物? みたいなのがあって、そこにおじさんがいてさ」

「その人がさ、オレらのことを見た瞬間に、うわーっ! って怒って」
 別の友達が言う。声が震えている。
「怒鳴られてさ、すっごい顔で。オレらなんもしてないのに」

 あとの数人は「すっごい叱られて……」「怖かった……」と青い顔をしている。よほど恐ろしかったらしい。

 ──怒鳴り声? 
 Yさんの耳には何も聞こえなかった。

「いやぁこれ、ちょっと危ないかもな」
 高校生のお兄さんは額の汗を手でぬぐっている。
「敷地内に入っちゃったのかもしれないけど、あんなキレたりしないよ普通。なぁ?」
 顔を伏せている数人の顔を覗き込む。
「言い方アレだけどさ、ちょっとおかしい人かもしんないな、あれは」
 汗を幾度もぬぐっているが、顔色は白い。
「中に戻っていったけどさ、追いかけてきたりしたらまずいから、今日はもう帰って」
「あのっ」
 Yさんは割って入った。
「家って、どこですか? もっと上の方ですか?」

 そう聞くと、友達もお兄さんも一瞬、ぽかんとした表情になった。
 それから口々に言い立てる。

 ほらあそこだよ。
 玄関みたいなのが見えるだろ。
 ドアと壁。あれだよ。
 あの玄関に入ってったんだよ。
 ここからでも見えるじゃん。

 みんな男を恐れているのか、小声で、身を屈めて隠れるように、山道の先を指さす。

 あれだよあれ、あの建物だよ。



 彼らの指の示す先には、何もなかった。
 木々が生い茂っているだけだ。


 ──冗談にしては、あまりにもみんな真剣な顔をしている。表情や口調にも、演技めいたところは微塵もない。

 すっごい怒り方だったよな。声が裏返ってさ。
 あんな叫び声、聞いたことないよ。

 彼らの目つきも声音も、本当に怯えきっていた。
 声も聞こえなかったし建物も見えないものの、Yさんは「うん……」と曖昧に頷いた。

 お兄さんは振り返りながら、Yさんたちに言う。
「とにかく今日は帰ろ。虫取りは別の山でもできるしさ。俺だってあんな人がいるなんて……えっ? うわっ!」

 突然、お兄さんが叫んだ。ほぼ同時に他の連中も悲鳴を上げる。

「うわぁ!」「ヤバいヤバい!」
 Yさんの脇を抜ける。下へと駆けていく。
「何してんだよ早く!」
 Yさんの腕をお兄さんが掴む。
 引っぱられる。
 わけがわからなかったが、Yさんも走った。

 先を走るみんなは時々振り返りながら、すごい勢いで山道を下っていく。
 顔には血の気がなく、ねばついた汗でびっしょりだ。
 追いかけてくるものから、必死に逃げているような──
 何から?


 最後尾にいたYさんはちらりと振り向いた。
 何もない。
 誰も追いかけてこない。


「早く来いよっ!」
「もっと走れって!」
 友達やお兄さんに急かされて、Yさんは足を早めた。

 下まで来た。停めてあった自転車、もどかしく鍵を開ける。乗る。地面を蹴る。汗びっしょりで歯を食い縛ってペダルを漕ぎはじめた。
 Yさんもみんなの異様さに押され、一生懸命にペダルを漕いだ。

 緑を抜け、学校のフェンスを過ぎ、自転車は全速力で山から離れていく。

 ニ、三分経ってから、
「来てない? もう来てないか?」
「はい……もう大丈夫です……」
 そんなやり取りの後、お兄さんと友達はようやくスピードをゆるめた。
 自転車を止めて、脇の草むらに倒した。そのまま座り込む。

 真夏の陽の下、汗にまみれて真っ赤な顔をしてふぅふぅ言っている。
「……みんな、ケガとかしてないか?」
 お兄さんの質問に友達は全員ハイ、と答えた。
 一拍遅れてYさんも、「あ、はい……」と返答した。

 みんなは息を切らしながら、「さっき追いかけてきた男」の話をした。

 人じゃないような、すごい形相だったとか。
 バットを握っていたとか。
 いや長い刃物みたいに見えたとか。
 意味のわからないことを叫んでいたとか。

 Yさんにはどれも、理解しがたい内容だった。
 どれも見ていない。聞いてもいない。
 しかし場の雰囲気に呑まれて、「怖かったね」とか「危なかったね」などと、適当な相槌を打っていた。
 
 落ち着いてきた頃に、お兄さんが立ち上がって言った。

「みんな、今日あったことはさ、お父さんやお母さんには内緒な? たぶん危ない目に遭わせたとかって、俺が怒られるから……」

 その代わり、と続ける。

「山におかしなおじさんが住んでて怖かった、って言ってくんない? そうしたら俺も怒られないし、大人も調べてくれるだろうし……」

 だから、な? 追いかけられた、ってことはヒミツだぞ? 
 お兄さんはYさんたちに言い聞かせた。

 そうして、その場で解散となった。

 Yさんは草むらから、一番最後に立ち上がった。
 お兄さんや友達が、自転車を引いて去っていく。疲れきった背中だった。
 Yさんはひとり、怖いような不思議なような、割り切れない思いを抱えて、夕方に傾きつつある道を帰っていった。




「学校の裏山? おじさん?」
 夜、両親に話してみたものの、ふたりとも眉をしかめるばかりだった。
「あの山、人とか住んでたか?」
「いやぁ聞いたことないわぁ。そんな人がいたら絶対ウワサになるし」
「そうだよなぁ。そもそも住む、つったって……」

 浮かない顔のふたりにYさんは、思い切って告白した。
「おじさんに追いかけられて逃げたが、自分は怒鳴り声を耳にしなかったし、建物も姿も目にしなかった」と。

 両親は首をひねった。「なんだろうね……?」という顔をする。
 お父さんが無理矢理まとめるように、
「……まぁ今日は暑かったから、みんなボーッとなってさ、集団幻覚でも見たんじゃないかな?」
 シューダンゲンカク? とYさんが聞くと、
「アレだよ、暑くて頭がぼやっとして……要は幻だよな。暑さでおかしくなっちゃったんだよ。そういうことだよ」
 お父さんは腕を組んで頷いた。

 幻にしては、みんなの見たものが同じだったようにも思えたが──
 Yさんも、そういうことにしておこう、と思った。


 翌日は月曜日だった。
 ふたり休んでいた。
 昨日山に行ったメンバーのふたりである。

「ええっと、そこのふたりが、夏風邪かな? 熱が出て休みだそうだ。えーっと、最近暑いから、みんな体調には……」

 先生はそんなことを言っているらしかったが、Yさんはそれどころではなかった。
 すごく、悪い予感がする。

 二時限目終わりのちょっと長い休み時間に、Yさんは教室を出た。
 昨日山に行ったメンバーが在席するクラスに走る。


「今日は休みだってさ。なんでか知らないけど」
「アイツ? 風邪引いたとかでいないよ」
「お休みだけど……どうしたの? 怖い顔して」


 Yさん以外の、山へ行った同級生はみんな休んでいた。

 五年や六年、それに高校生のお兄さんの安否を確かめる時間はなかった。
 その心の余裕もなかった。

 悄然として教室に戻り、三限目の授業を受ける。何も耳に入らない。勉強どころではない。
 山で「家を見た」「おじさんが来た」と言った連中が、たぶん全員、休んでいる。
 胸や背中のあたりがぞわぞわして、座っていられない気分になる。

 頭の中では色々な考えが飛び交う。
 こわい本に出てくる祟り? 呪い?
 けど、何の祟りだろうか。
 煙突や建物にまつわる幽霊?
 でも、どうして自分は無事なんだろう。
 毎日、見てるのに。


 見てるのに──と思ったら、無意識に視線が外を向いていた。
 校庭の向こう、山の中腹へ。
「あ」
 Yさんの口から小さく、声が洩れた。


 建物はあった。煙突も立っている。
 しかし今日は、いつもと違っていた。

 煙突から、黒い煙が出ていた。
 煙が出ているところなど四年間で一度も見たことがない。

 すごい量の煙だった。
 煙突の風下の青空が真っ黒に染まるくらい、大量に吐き出している。
 何かをたくさん燃やしているようだった。

 Yさんは何故か、とても怖くなってきた。
 視線を外して、ノートや黒板や、周りの生徒たちに目を注ぐ。
 先生もクラスメートも、普段と変わらない様子で授業を進めている。異変の欠片もない。静かに授業が進んでいる。

 平和な教室内に少し安堵したYさんだったが、
「……変だ」と思った。

 四年間、煙など出したことのない煙突だ。
 それが今日はじめて、煙を吐いている。
 驚くほど大量の煙を。

「あれっ、煙出てるよ」と騒いだり、騒がなくても、山の方を凝視している生徒が何人かいなければおかしいのではないか。
 それなのに、いつも通りに授業が進んでいる。



 もしかして、あの煙突と建物は。
 あれは自分にしか見えていないのではないか。



 ぞわっ、とした。

 それから四限、昼休み、五限に六限と、Yさんは絶対に窓の外を見ないようにした。



 六限の終わり、規律・礼・着席の直後だった。
先生が「あっ、Y、ちょっといいか?」と声をかけてきた。
 先生が席まで来る。

「昨日お前、山に行ったんだって? 今日休んでるふたりと」

 どきん、とした。
 はい、行きました、とだけ答える。
 えーっ何ー? と周囲がざわつく。

「そうかぁ。……お前、体はなんともないか?」
「えっ、どうしてですか」
「いやさっき、ふたりのお母さんから電話があってな。詳しくは聞けなかったんだけど、これから大きい病院で検査する、って……」
「病院……検査……?」
「で、昨日は山に虫取りに行った、ってお母さんたちが言うんだよな。ふたりだけじゃなく、もっといたみたいだ、って」
「………………」
「他のクラスや五、六年の男子も休んでて、こっちから問い合わせたらみんな昨日、山に行ったって話でな。つまりお前以外みんな、熱が出てると……」

 Yさんは言葉が出なかった。

「だから、何だろうなぁ……虫に刺されたとか変な草に触ったとかさ、そういうことがなかったかな、と思ってな」
「……いえ、あの、僕は大丈夫で。虫とか草とかは、ちょっと、わかんないです……」
「そうか、具合が悪くないならいいんだけど」

 親御さんにも伝えておくから、帰り道や家で調子が悪くなったら、ガマンするなよ?
 付け足して、先生は教室を出ていった。

 病院……? 検査……?
 体がぞくぞくする。
 そんなYさんの周りを、クラスメートたちが取り囲んだ。

「病院とかヤバくね?」
「Yくんはホントに大丈夫なの?」
「なんか心配だねー」
「アイツらいつもは元気なのになぁ」

 言葉がYさんの耳を素通りしていく。Yさんはうん、うん、と生返事しかできなかった。
 何がどうなっているのか、全くわからない。

 そんな中でぽつっと、ひとりがこう尋ねてきた。
「なぁなぁ、山に行ったって、どこの山?」
「えっ? いや、あそこの……」

 Yさんは窓を指さした。
 同級生の囲みが割れて、外が見えた。


 夏の緑に染まった山があった。
 そこには、煙突も建物もなかった。
 まるで最初からそうだったように、何もなかった。



 山に行った友達はみんな、二週間もすると復学してきた。
「病気、大変だったな」
「うん、もう大丈夫だから」
 そんなやり取りしかしなかった。
 山の出来事や病気について、Yさんからは聞かなかったし、向こうが話題に出すこともなかった。



「大人になった今でも付き合いはあって、たまに連絡とかするんですけど……どうしても聞けないんですよね、山の出来事については」
 Yさんはそう言った。
「ましてや山に入って確かめるなんてのは……。なかったら怖いし、もしも建物があったりしたら、それこそ大変ですから……」

 ──四年生のその日を境に、Yさんが山の中に煙突と建物を見ることは、二度となかったそうである。






 あなたが毎日見ているその風景は、ほんとうにそこにある風景ですか?






【完】




☆本記事は、無料&著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」、
 元祖!禍話 第五夜
 より、編集・再構成してお送りしました


禍話とは何か? については、こちらもボランティア運営していただいている「禍話wiki」をご覧ください。
 このたび管理が、立ち上げ人のあるまさんから、聞き手の加藤よしきさんに移ることになりました。あるまさん、長年ありがとうございました。



 拙筆「禍話リライト」が、通算100話となりました。いわば、百物語が完結した形となります。
 読んだあなたの元に、どうか、わるいものが訪れませんように。










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