【短篇】わたしは拳銃をもっている

 会社に行く時刻になった。
「じゃあそろそろ、時間だから」
 僕は美奈子に告げた。それから腰を曲げ、玄関脇に置いてある木箱に手を突っ込み、拳銃を一丁つかんで、取り出した。

 今朝は黒く重量感のあるトカレフだった。箱の中は覗かずに取る決まりを夫婦間で交わしているので、7丁入れてあるどの銃をつかむのかはわからない。朝のちょっとした楽しみだ。今日はどの銃だろう、と。朝のニュースバラエティーの星座占いや、ジャンケンゲームのようなものだ。
 上がりがまちに敷いてあるカーペットに膝をつく。積んであるチラシから一枚抜いて、そしていつも通り丁寧に銃を包んでいく。今日の包装紙は墓石の広告だ。お盆セール、特別特価、新潟産御影石、そのような文字が躍る紙でゆっくりと拳銃全体をくるむ。三角形に包み終えたところで、左手首に巻いておいた輪ゴムを右の指でつまんだ。

 そのあたりで美奈子が、台所から顔を見せた。
「今朝はなんだった?」
「ん? これ? トカレフだった」僕は三角のものを妻に示してから、カバンの中に入れた。
「あー、先越されちゃったあ。今日はそういうのを持ちたい気分だったのにな。黒くてゴツめの」
「あれ? 今日なんか出かける用事あるっけ?」革靴に足を入れて立ち上がり、爪先をトントン言わせる。先月買い換えたのだが、微妙に足の大きさに合わない。夜になると小指のあたりが痛む。
「そう。マンションの寄り合い。11時から」美奈子は顔をしかめた。
「あれすごいイライラするんだよねぇ。3階の川端さんと2階の江田さんがね、ひっどいの。どっちも四十過ぎなのに全然落ち着きがなくって。あっちが案を出したらこっちが反対、こっちが案を出したらあっちが……みたいな」
「対立してるんだ」
「対立だなんてそんな立派なもんじゃなくてさ、ケンカよ、バカのケンカ。虫のケンカ」
 彼女は口を尖らせて、頭をカクン、とわずかに横に振った。これは彼女の癖で、イラッとすると無意識にこうする。
 言及するだけで癖が出るのだから、相当に腹に据えかねているようだ。元より人間関係のせいで事態が進まないことを嫌う性格だから、腹立ちはもっともだ。
「癖出てるよ、クセ」僕は言った。妻はえっ、ホント? と頬に両手を当てる。
「腹立ちついでに、いまのうちに一つ引いといたら?」
 彼女は頷いて、かがんで木箱にほっそりした手を入れる。
 よいしょっ! と声を上げながら引っ張り出したのは、銀色のデザートイーグルだった。トカレフのどっしりした感じと比べると、女性的な雰囲気をまとっている。
「……まぁ、これはこれで、いいかも」妻は手首を幾度も返して、その銀に輝く銃身を眺めた。
「よかったじゃん。トカレフよりカッコいいよ、それ」
 僕は玄関のドアノブに手をかけながら言った。そろそろ出かけないとまずい。
「あー、なんか一丁選んだら落ち着いたな。ありがとダイキくん」
 出会って7年、結婚して4年になる。妻はまだ僕のことを、出会った頃のまま、「ダイキくん」と呼ぶ。
「じゃあ、行ってくるから」
「いってらっしゃーい。気をつけてね」
 美奈子は銀色の銃を振って、僕を見送ってくれた。
 僕はマンションの5階、外廊下に出た。朝の風が顔を撫でる。
 今日も仕事は忙しいだろう。ふぅ、と短くため息をついて、カバンを軽く叩く。気持ちとしてはカバンではなく、中に入れている拳銃を叩いているつもりでいる。これは星座占いやジャンケンではなく、おまじないのようなものだ。


 電車は今日も満員で、当然ながら座れなかった。ガタガタ揺られていると少し、不快感が腹の底にわだかまってきた。これから仕事だというのに、よくない兆候だ。
 僕は右手で吊り革をつかみ、カバンを左の脇の下に挟んで立っている。ゆるいカーブの多い線路、電車は左右に揺れる。
 ポケットから出したスマホの画面を眺めて、この不快感を鎮めようと試みた。これもそういう時向けの、おまじないのようなものだ。しかし今朝のニュースやSNSには僕の気を紛らわせてくれる話題はなく、むしろ苛立ちが増すような内容のものばかりが目についた。
 人いきれのする電車の中、ふとスマホの画面から、自分の左手首に目が行った。
 スーツの先から出たワイシャツ、その内側に隠れるように輪ゴムが1本、残っていた。
 うわぁ、しまった、と思う。僕はいつもチラシでくるんだ銃を輪ゴムで二か所、きつめに縛っている。銃身の先あたりと、握りの部分。三角のはんぺんのようなかわいい形が潰れてしまうが致し方ない。
 手首に1本ついているということは、どうやら今朝は片側しか止めなかったらしい。たぶん妻に声をかけられたために、手順をひとつ飛ばしてしまったのだろう。今朝の記憶を辿ったが、どちら側を固定してどちら側がそのままなのかは思い出せない。

 僕は右手を吊り革から離した。
 身をよじって、脇の下にあるカバンのチャックを開ける。手を突っ込んで、包みを取り出そうとした。こういうのに気づいてしまうと、落ち着いていられない性分なのだ。 
 すし詰めというほどではないが人でいっぱいの電車、周囲の人間の視線が、身じろぎする僕にぷすぷすと刺さる。首をすくめながら、すいません、という目つきで周りを見る。
 その視線に気圧されて、できるだけ小さな動きで拳銃を包んだチラシを取り出そうとした。中指と人さし指でつまんで引っ張り出す。指2本でつまみ上げるには、トカレフは重かった。
 出してみると果たして、輪ゴムは一方にしかついていなかった。握りの側についておらず、歩行や電車の振動でチラシの端っこが大きくめくれている。
 僕は手首から輪ゴムを取って、最小限の動きでそこに巻く。毎朝玄関でやるように二重にして、それからゴムを引いてねじって三重に。もうすでに伸びはいっぱいなのだけど、そこから無理に引っ張って、四重に。
 このくらい巻いておかないと、何となく安心できないのだ。きっちりと封をしておかないと、よくないような気がしている。
 この狭さと他の乗客の冷たい目の中にありながらも、輪ゴムは無事に巻けた。僕はじっと、ひしゃげた三角形の包みを眺めた。
 と、ちょうどそこで、会社のある駅に電車が侵入しはじめた。僕はカバンに包みを押し込んで、開く側のドアの前まで移動した。


 駅前で、同僚の佐々木と遭遇した。時間の近い電車に乗ってきているので、だいたい三日に一回はどちらかがどちらかに声をかけることになる。今日は佐々木が、僕に声をかける日だった。
「おおー、おはよう」
 言われて振り向くと佐々木は手を上げていた。
「よう、おはよう」僕は返事した。
 相変わらず佐々木は、口をぐちゃぐちゃ動かしている。ガムを噛んでいるのだ。一か月前に禁煙した代わりにやりだしたのがガムで、それも一度に三粒も含んで噛むという。家を出る前から噛み始めて、会社に着くと捨ててしまう。ガム代が馬鹿にならないと佐々木は言う。しかし、やめられないそうだ。タバコよりは安く上がるし、顎を動かすのは健康にいい、とか何とか。
 僕たちは横並びになり、会社へと向かった。
「またガムか」
「うん、ほうだよ」佐々木はせわしなくガムを歯ですり潰しながら喋る。そのせいで言葉は不明瞭だし、喋るために開けた口の中で白いガムが唾液と共に蠢いているのが見えてしまう。
「でもコレさぁ、アレなんらよ」佐々木は言葉を継ぐ。「昨日ドラッグフトアで見ちゅけた、なんか、ストレスを軽減しゅる、ガムなんらって」
「へぇ、そうなんだ」僕は彼の方を見ないで返事をしている。実際あまり興味がなかったし、佐々木の口元を見るのは嫌だった。
「まぁ、ストレス社会だもんな。でもガムが、ストレスに効くのかな?」
 僕が尋ねると、佐々木は僕の前に回ってきた。
 顎と唇が、もそもそと動いている。
「そういえばしゃあ、お前って、オンコウだよな。怒ってるの、見たことにゃいかもしんない」
「そうかな」僕は彼の口元から目をそらした。すると佐々木は再び僕の横に来て、だしぬけに肩を組んできた。
「やっぱりヨメさんがいるやちゅは、落ちちゅいてて、違うよなァー」
 僕の顔のすぐ脇で、佐々木の唇が動いた。甘ったるいグレープのような匂いが鼻に入ってきた。ガムの匂いだ。
「ヨメさんとラブラブだとしゃあー、ストレスとか感じないんだろぉー? いいよなぁー?」
「そんなことないよ」
 僕はまっすぐに前を見ながら言った。会社はもう、目と鼻の先だった。係長や部長、同僚や先輩や後輩たちの顔が浮かぶ。それだけでキュッ、と、胃が痛んだ。
「俺だってそれなりに、腹の立つことくらい、あるよ」
 僕は脇に下げていたカバンを前に持ってきた。
「ちょっと人よりも、我慢強いってだけの話だよ」
 そう言ってから、手でカバンの前面を何度か軽く叩いた。
 今日もこのおまじないが効きますように、と祈りながら。



【了】

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