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【怖い話】 ■# Щ腴 工業 【「禍話」リライト 50】

 どこまでが本当に起きたことなのかわからない、という。


「久しぶりに実家に電話したら、母親が言うんですよ。『小学校の同窓会のハガキが来てる』って。それで俺、懐かしいなぁと思って」

 Sさんは生まれ故郷から離れて就職し、そこでずっと働いていた。

「年末年始やお盆に帰ってもよかったんですが、こっちにも友人がいましたから……それに、盆正月の混んでる時期に帰るのもおっくうでしたし」
 気づけば5年以上、地元から遠ざかっていたそうである。


 小学校の同窓会とは珍しい。もちろんはじめてだ。興味を引かれた。 
 わんぱくに遊んでいた頃の、みんなの幼い顔が目に浮かぶ。中学・高校が同じだった奴もいれば、区域の違いで別の中学へと通うことになった奴もいる。
 あいつら、どうしてるだろう。もうすっかり大人だよな。
 じゃあ一度、出てみようかな。

 Sさんは母親に、「出席」に丸をつけて返信しておいてくれるよう頼んだ。



 地元のホテルで開かれた同窓会は、それは盛り上がったそうだ。
 高校時代まで一緒だった者はもちろん、長く会わないまま、幼少の頃の面影をかすかに残して成長している者もいた。こちらが独り身ならあちらは既婚者、様々な人生があった。
 15年近く前の記憶がそこかしこで飛び交う。楽しい出来事ばかりが鮮明に思い出された。
 あまりに楽しかったので、Sさんは飲み慣れない酒をかなり飲んでしまった。
 いつもは飲酒の習慣のないSさんである。酔いも早く回る。酔っぱらうと何を話しても、何をやっても面白くて可笑しい。
 少しタガが緩んじゃってるな、と感じる程度には酩酊してしまった。一方、それを自覚できる程度には理性を残していた。


 ホテルでの大騒ぎが終わり、居酒屋での二次会へとなだれ込んだ。
 みんな酒が入っていて、ことあるごとにケラケラ笑う。 
 ホテルでは「久しぶりだなぁ」「あんまり変わりないな」「お前も一児の父親かぁ」など、おとなしい会話で再会を喜んだ大人たちが、場所を変えたこともあり乱雑な雰囲気になっていく。


「それで、これも酒の勢いなんでしょうけど……気づいたら、当時さほど親しくしてなかった奴らとテーブルを囲んでたんですよね」


 こちらはひとりきり、先方は男3人の「長年の親友同士」、そんな不思議な取り合せの4人になっていた。
 あちらの名字は覚えている。でも正直、下の名前はあやふやだ。ただそれは、あっちの3人も同じだろう。
 とは言え久しぶりの邂逅で、しかもかなり酔っている。近況を報告するのもそこそこに、小学生時代の思い出話が笑いと共に延々と続いた。


 幹事が「じゃあこのくらいで! 各位帰るか、三次会以降は各自のグループでやっていってください!」と宣言して、二次会がはねた。
「Sさ~、もう帰る感じ?」
 店先で3人組のうちのひとりが聞いてきた。
「俺? いやぁ、さすがに三次会は厳しいわ」
「だよなぁ~! 仕事もあるしな!」
「じゃあ俺、こっちだから」
「あっ、俺たちも家、こっち方向なんだよ! ワハハ!」
 その場の流れもあり、4人で連れだってダラダラと歩いて帰ることになったという。



 地方都市は、大通りや駅前あたりこそ開けていて明るい。
 しかしそこから二本ばかり道を折れると、途端にぱったりと静かになる。
 ネオンはもうない。光る店屋の看板もない。街灯は少なく、ひっそりとしている。
 何だか変にさみしくなってきたので、4人で小学校の校歌やら昔のアニメの歌を歌ったり、大したことない話題で爆笑したりしつつ歩いていった。
 
 Sさんは、このあたりをうろついた経験があまりなかった。
 地元とは言え、こういう地域があるとはな。へぇ、ここオフィスとか、会社が多いんだ……
 歌い笑いつつもSさんが物珍しそうにキョロキョロしていると、ひとりが言った。
「あ~、Sってこっちの地域、あんまり知らない?」
「うん。高校はここから反対側の、あっちの方のに通ったからさ」
「……俺ら、ここらへん、高校の通学ルートだったんだよね!」
「そうそう、ここ俺らの庭みてぇなもんよ」
「庭って! 庭じゃねぇよ! ここ道だろ!?」
 こんなどうしようもない会話でも、4人で明るく笑うのであった。


 しばらく進んでいくと、3人のうちの一人が「あっ!」と声を上げた。
「あれ、 η●Щ腴 工業じゃん!」 
「……うん?」

 Sさんは、「 η●Щ腴 工業」の、おそらく社名とおぼしき部分がちゃんと聞き取れなかった。
 酔いで自分の耳が詰まっているのか、あるいは先方の口が回っていないのか。最初はそのどちらかだと考えた。

 しかし残りの2人も、
「あっホントだ、 η●Щ腴 工業だわ!」
「えっ、 η●Щ腴 工業? どこ?」
 そのように言う。
 どうもSさんだけが、「 何 工業」であるのか聞き取れないらしい。
 はてな、変わった発音の会社なのかな、と思っていると、
「ホラ、あそこだよあそこ」
 最初に気づいた奴が指差す先に目をやってみる。暗い夜の向こうに建物が見える。見るからに長年、放置されている様子だった。
「おーおー、そういやこの道だったな!」
「何年ぶり? 10年とか?」
「そんくらいになるんじゃねぇの?」
「いやそんなになんのかァ」
 話題にまったく乗れないが、なにせ道行きが同じである。盛り上がる3人の脇で、Sさんは曖昧な笑みを浮かべていた。
「……あ~っ、ゴメンゴメン。そうか、わかんねぇよな」
 Sさんの様子を認めた一人が、水を向けてくれる。
「Sってアレだもんなァ。全然別方向の高校に行っちゃったからな!」
「うん、そうなんだよね。ここらへんは詳しくなくて」と答えた。
「ここさぁ、高校の時の俺らの通学路っていうか、通り道だったわけよ」
 さっきも聞いていたが、「へぇ、そうなんだ」と答えた。
「であそこ、同じ高校だった Л齒q って奴のオヤジが経営してて」
 また聞き取れない。今度は彼らの友達の名前らしい。
「Л齒q ってあれな、同級生な。そのオヤジさんが社長やってて、なんか職場の雰囲気が超ユルくて。たまり場、って言うと不良みたいだけど」
「いや俺ら不良だっただろ」
「うるせーよ。で、Л齒q もお父さんもそこでダラダラしてるの許してくれてて、職場の人とも顔見知りになって、な? お菓子とか出してもらったり」
「そうそう、なんだろ、行きつけの喫茶店みたいな感じ。いやマジで平和だったわァ、η●Щ腴 で時間潰してた頃は……」 

 η●Щ腴 も、Л齒q も、モヤモヤとした響きで一文字も理解できない。その時だけ口を押さえているように、まるで聞き取れない。
 だが不思議と、Sさんは改めて聞き直してみる気にはならなかったそうである。 

「理由はないんです。会話に水を差したくないとかでもなく。本当になんとなく、聞かなかったんです」

 社名や名前を尋ねる代わりに、少し気になったことを口に出した。
「そこの会社、移転でもしたの?」
「あ~、それがさァ、高校卒業する前に、潰れちゃったんだよなァ」
 1人が答えて寂しそうな顔になり、残りの2人もその表情に習った。
「あぁ、潰れちゃったんだ……」Sさんが言うと、3人は口々に教えてくれるのだった。
「まぁいろいろあってさァ~。あそこを買う人も取り壊す人もいねーんだよなァ」
「そうそう、いろいろ変なこととか、超ヤベーことも起きたしな~」
「会社が潰れて、従業員が3人くらい首くくっちゃって」
「えっ?」


 首吊り?


 いきなりとんでもない話になった。
 Sさんが混乱していると、別の奴が言った。
「違うよぉ反対だよ。従業員が、3人くらい、首を吊ったから、潰れたんだよ」
「そうそう、潰れて死んだんじゃなくて、死んだから潰れたの。逆! 逆!」
「あれー、そうだっけぇ?」
 彼らはそんな会話を交わしてへらへら笑っている。
 Sさんにはさっぱり事情が呑み込めなかった。酔ってほてった頭が冷たくなっていくような感覚がした。ひやひやとした嫌な予感が肌を這っていく。
「あの、それって、なんで? 経営がうまくいかなくなったとか?」
「いやそれがさ、俺らが1年の頃は平和だったけど、ほら、オヤジがさぁ、■麼й鹵 やりはじめたじゃん」
 また聞き取れない。
「そうそう、■麼й鹵 な」
「■麼й鹵、気持ち悪かったよなぁ、何アレ? 儀式みたいな?」
 やはりSさんにだけ聞き取れないらしい。残りの3人は「伏せ字」のまま、平気な顔をして会話を続けている。

 Sさんの困惑をよそに、足を止めずに歩む3人の会話は続く。
 酔ってゆったりとした足どりながら、どんどんその工業会社へと近づいていく。
「最初は験担ぎくらいのもんだったけどな」
「風水みたいな感じで」
「そしたらホラ、来たじゃん。女が」
「あーそうだ。オヤジさんの親戚とか言ってたっけ?」
「アイツが来てから本格的にヤバくなったんだよな」
「お香焚いたりさ、灰を手とか足とか首に塗ったりな」
「西の方だかに向けて土下座とかしてたじゃん」
「お祈りみたいな」
「女が主導してな。『これでよくなりました』とか言って。あれ気持ち悪かったよな~」
「俺さぁ……今だから言うけど、あの女って、社長のコレだったんじゃねーかと思うんだよな」
 そう言って小指を立てる。
「あ~、だよなぁ。親戚にしては距離感が近かったし」
「…………あの、それってさぁ、お前らも、参加したの?」
 黙って聞いていて怖くなってきたSさんは、3人に聞いてみた。3人とも苦笑いしながら首を横に振った。
「やらないやらない! 気持ち悪いもん!」
「見るからに怪しかったしさ! お菓子も変な味のないやつが出てくるようになって、居づらくなって通わなくなったんだよ。そしたらほら、首吊りだよ」
「でもお祈りには誘われたよな。何回か」
「あー誘われた。社長にも女にも。俺ら拒否ったけど」
「でも不思議だよなぁ。社員の人はなんであんなに簡単に従ったんだろ」
「なんかヤバい……教義? 教え? そういうのも言い聞かせてたよな」
「そうそう。だからさ、もしかしたら社員さんらが首吊ったアレ、自殺じゃなかったのかもしんないぜ」
「いや、でもあれ自殺だったってば」
「違うくて。えっと、なんていうの? 生贄?」


 生贄?


 Sさんの喉がごくり、と鳴った。
 そんな大変なことが市内で、こんな場所で起きていたなんて聞いたことがない。

 Sさんの気持ちに応えるように、3人は深夜の夜道を歩きながら続ける。
「でもニュースになんなかったよな。噂にもならなかったし」
「噂にすらなんなかったのは不思議だけど、自殺ってニュースにならないんじゃないっけ?」
「そっか。オヤジさんが死んだときもニュースにならなかったしな」
 Sさんはぎくりとした。当の社長も死んでしまったのか。
「いやあれ自殺じゃないだろ。変死だろ?」
「マジで?」
「葬式行っただろ。怖い顔のオッサンが何人も来てたよ。警察官だろあれ」
「えーっマジかぁ。それは気づかなかったな」
「おかしな死に方だったらしいし、そりゃ警察来るよ」
「そういやぁ棺桶の窓んところ、ずっと閉じたままだったな。普通ああいうのって開いておくもんだよな」
「顔も見せられないような死に方したんだよ…………ああ、ほら、ここがその会社」
 同級生たちの足が止まった。いきなり言われて、Sさんは伏せがちだった目を上げた。

 外壁に囲まれた土地で、門があった。そこから入ると、すぐに建物がある。
 2階建てで、土建屋のオフィスらしい地味な外観である。 
 無論どの部屋にも光などついていない。真っ暗な夜の中に、真っ暗なまま佇んでいる。
 10年ばかり放置されているにしては劣化が少なく見えた。もっともここからでは、中の様子まではわからない。
「廃墟なのに警備員もいねーんだなァ」
「壊れて朽ちるがままにしとく、みたいなことなのかもな」
「いやーなんか、切なくなってきた……」
 そう呟く3人の脇で、Sさんはそわそわしていた。
 こんな場所に連れてこられるなんて、俺もツイてないな。嫌だな………… 
 ふと、門にかけられた看板を見る。
「工業」の文字は見える。はっきりと読める。だがその上が読めない。モヤがかかったようにぼやけている。
 これも酔いのせいか? Sさんは目を数度こすってみたものの、やはり見えないのだった。
 …………これは一体、どういうことなのだろう。
 そんな彼の疑問も知らず、感慨深そうに会社を眺めていた3人のうちひとりがぽつりと、「あれっ」と言った。
「あそこ。ドアんところ、なんか落ちてる」

 Sさんも目を当てた。平べったいものが落ちている。街灯が少ないのですぐにはわからない。持ち手がついていて、四角くて……
「あー、カバンだわ」
 気づいた誰かの声につられるように、4人は門から中へと入った。
 建物の出入口のドアの真ん前に、それは落ちていた。
 ノートパソコンが入るくらいの大きさのカバンであった。ふた昔前くらいの、古いデザインだ。 
 なぜカバンが置いてあるのか、落とし物ではないか、こんな廃墟の前に? ありえないだろう、などと言葉が交わされる。


「開けてみようか?」


 気味の悪さより、好奇心が勝った。抜けきっていない酒も気を大きくしていた。
 ひとりがしゃがみ、ぐるりについたチャックをピリピリと開けていく。
 中央を指でつまんで引き上げて、反対側にぱたり、と倒した。 


 カバンの中は、いっぱいだった。
 文字が書かれた藁半紙がみっしりと詰まっていた。
 読める字がない。護符か呪符のようだと思った。

 その合間合間に、茶色っぽい木の枝が挟まっている。
 どれもこれも、一本が途中から三方向に分かれていて──

 いや、これは枝ではない。
 足だ。
 鳥の足だ。
 中指くらいの長さに切り落とされた十数本の鳥の足が、カバンの中に差し込まれている。


「うえっ!!」
 ひとりが変な声を上げた。
「これアレじゃアレ! Л齒q のオヤジが持ってたカバンだよ!」
「うわっそうだ!」別の奴も叫ぶ。「これ ■麼й鹵 の時に持ってきてたやつだ! この紙と足も見たことあるわ俺!」
「これ死んだ時に、まるごと棺桶に入れて燃やしたんじゃなかったっけ?」
「そうだよ。それが何でこんなとこに落ちてんだよ?」
「ありえねぇだろ」
「なんだよ、どうなってんだよ」
 無言で蚊帳の外にいたSさんも、動揺する彼らの言葉を聞いていてどんどん不安になってきた。
 当事者でもないのに話の輪郭だけは理解できる分、余計に怖い。 
 なんなんだよこれ、どうしてこんなもんがここに、よくないんじゃねぇか、と3人は互いに顔を見合わせる。ひとりが、
「俺たち今、ヤバい状況にいるんじゃないか?」
 叫ぶように言った。



 バンッ


 バタバタバタバタッ


 ドンドンドンドンドンッ



 建物の二階からすさまじい音が飛んできた。
 誰かが二階のドアを開け、大股に歩いて、階段をすごい勢いで降りてくる。
 こちらに、近づいてくるのだ。 



「うわっヤバいヤバいヤバいヤバい!!」
「ヤバいって! ヤバいって!」 
「逃げよう逃げよう!!」

 血相を変えた3人が踵を返してどっと走り出した。一拍遅れたSさんも彼らに続いた。
 門を駆け出る。
 その直後、さっきカバンが落ちていた出入口のドアがガシャッと開き、ガシャンと勢いよく閉まる音が響いた。

 なにかが出てきたのだ。
 振り向けなかった。

 人通りのない深夜の道、先を走る連中は「ヤバいヤバい!」「早く逃げろって!」「うわぁーっ!」と叫びながら走ってゆく。 
 Sさんはこのあたりに詳しくない。このまま彼らを追うかそれとも別の道に折れるか迷った。

 その迷いは一瞬で消えた。



 ハぁ ハぁ ハぁ ハぁっ



 自分の真後ろ、1メートルもない後ろから、何者かの息遣いが聞こえた。
 数秒でも迷えば、いや振り向いただけで手が届いてしまう距離だと思った。


 ハぁ ハぁ ハぁ ハぁっ


 もう捕まえるぞ、もう追いつくぞ、背中に触るぞ。
 そう言いたげに息遣いは、Sさんの背後にぴったりとついてくる。

 もし、これに捕まったら。

 Sさんはもう余計なことは考えず3人について行った。とにかく走った。
 ここ数年、全速力で走ったことなどない。
 すぐに脇腹が痛くなる。 
 3人はほとんど半狂乱で疾走していく。
 呼吸の仕方がわからない。苦しい。足が熱を持ち膨れて重くなる。
 彼らに従って幾度も角を曲がった。どこをどう走ったかわからない。
 後ろの者はまだぴったりとついてくる。
 ハぁ ハぁ ハぁ という不気味な呼気はつかず離れず、弄ぶように追跡してくる。
 冷たい夜風を吸い込んで肺に痛みが走った。
 咳き込んで呼吸が乱れた途端、足がもつれた。

 Sさんは転んだ。

 膝を打った痛みを感じた刹那、真後ろの存在を思い出した。
 心臓が大きく脈を打った。
 もうだめだ。
 身を守るように頭を抱えた。


  
 ………………何も起きない。



「……えっ?」
 Sさんは顔を起こし、周りを見てみた。

 誰もいない。
 気配すらない。

 自分の後ろから響いていたあの呼吸も聞こえない。今の今まで聞こえていたのに──


 息が整って落ち着いていくに従って、Sさんはおかしなことに気づいた。

 自分たちの逃げ方だ。
 門から出て右に走り出した。
 しばらく走って左に曲がった。そこから左に曲がる。また左に。そして左……

 自分たちは、逃げていない。
 この会社の外壁を、ぐるりと一周しているだけなのだ。

 ふと耳をすませば、同級生たちの「うわぁーっ」という叫び声が聞こえてくる。向こうの角を曲がり、まっすぐ走り……もう一度左に曲がれば、またここに戻ってくることになる。

 どうして、こんなことになっているのか。
 意味がわからない。


 その予想通りに、向こうの角を曲がって3人が走ってきた。
 目を見開いて、前を見ているのに焦点が合っていない。完全に正気を失っている。
 壁に手をついて立ち上がろうとしたSさんの姿すら目に入らないらしい。「ヤバいヤバい!!」「おい捕まるなよ!!」などと絶叫しつつ、彼の横を素通りしていった。

 ここでこのまま待っておけば、彼らは数分後にまた戻ってくる。
 しかしSさんもまだ少し冷静さを欠いていた。一刻も早く止めてやりたい、との気持ちもあった。 
「ちょっと……! ちょっと待てって……! おーい……!」
 足を引きずりながらしばらく追いかけた。が、理性を失ったような彼らに追いつけるわけもなく、声も届かない。
 しばらく進んで、工業会社の門までたどり着いた。
 そこでようやっと、待機していれば彼らが再びここを通ることに思い至ったのだという。

 膝は痛むし脇腹もズキズキする。壁に手を当てながら体を休める。


 ふっ、と気配を感じて、顔を上げた。
 激しく動いていたSさんの心臓は一瞬、止まってしまった。


 さっきカバンが落ちていた場所に、女が立っていた。
 近隣の住人などではなかった。


 女は、尋常の姿をしていなかった。
 服を着ていない。
 真っ赤な布を、首から下の全身にぐるぐるに巻きつけている。
 信じられないくらい痩せていた。
 顔は見えなかった。
 暗かったせいもある。だがそれだけではない。
 女は両手を、顔の前に突き出している。
 その左手の指が3本ほど、折り曲げられているのがかろうじて見えた。


 誰だ。
 何だこの女は。


 息をするのも忘れてSさんが佇んでいると、「うわぁーっ!」と後ろから声がした。「何か」に追われて逃げ続けている3人が、また一周して来たのだ。
 女のこともあり、Sさんは声をかける機会を逸した。
 彼らはSさんの横を通り、門の前を駆け抜けていく。


 ドアの前に立っていた女は、微動だにしなかった。
 ただ、彼らの姿をわずかに目で追ったような気がした。


 広げられた女の左手、その薬指が、きゅっ、と折り畳まれた。

 女は言った。




「 ろぉーーーくゥ ………… 」



 ──この女。
 俺たちが何周回ってるか、数えてるんだ。


 Sさんは跳ね上がった。さっきとは逆の方向へと足を向ける。それから走った。膝や脇腹の痛さも忘れて、一度も曲がらずに、ただまっすぐに走った。


 するとあっさりと、見慣れた地元の大通りに出た。
 Sさんは一度だけ振り返った。
 街灯の少ない夜の街の奥からは、同級生たちの逃げ惑う叫び声は聞こえなかったという。


 タクシーを拾い、遠回りして家に帰った翌日、彼らに連絡をとろうとした。
 居酒屋で盛り上がった際、電話番号やメールアドレスの類を教え合ったのを思い出したのだ。
「はいはい、これが番号な。登録しとくわ」
「おう、届いた届いた」
 そんなやりとりをした記憶が確かにあった。


 しかし、彼のスマホにはなんの痕跡もなかった。
 送られたメールも、かけた着信履歴も、まるっきり残っていなかった。
「絶対に電話したし、登録もしたんです。よしんば酔ってたせいで登録を忘れたからって、履歴まで消すわけないでしょ?」



 職場のある県外に戻ってからも、彼らの消息を知ろうと試みた。
「友達の友達的なツテで、どうにかわからないかな、と。でもね」 
 そもそもが小学校の同級生である。縁が遠い。しかも友達としても、互いに重なるメンバーのないグループであるらしい。連絡がとれない。
 地元に残る友達が言うには、同窓会の夜に怪我人が出たとかいうニュースや噂はないらしかった。

 それとなく、「工業会社」のことについても尋ねてみた。ずっと昔に、変なことがあって潰れた会社はなかったか、と。
「いや、そういうのは聞いたことないなぁ……」 
 複数の友達が、そのように答えるのだった。

 Sさんはとりあえず、「情報がないこと」で自分を納得させることにした。
 あの晩の出来事は、酔って見た変な幻覚みたいなものだったのだ。仮に何事かが起きたのだとしても、彼らは無事に帰ったはずだ。きっとそうだ。
 そのように割り切って、記憶の奥にしまい込むことにしたのだそうだ。




 ──この話には、ちょっとした後日談がある。


 半年ほどして、この一件をすっかり忘れた頃のこと。職場の女の子が男の同僚たちに声をかけていた。
 よく当たるという占い師がいるので、誰か一緒に行ってくれないか、と言う。
 占い師に見てもらうのははじめてで、変なモノでも売りつけられたりしないかと心配なのだそうだ。いわば用心棒といったところか。
「いや、そんなあからさまなことはしないだろ」と思ったものの、女子の頼みだ。まんざらでもない。
 他の男たちが「占いかぁ~」と渋るのをいいことに、「じゃあ俺が行ってあげるよ」と答えた。


 駅前の路上に、その占い師は店を出していた。辻占いというやつである。評判がいいらしく、すでに何人か並んでいた。
 30分ばかり待っていると、ようやっと自分たちの番が来た。


「じゃあ、よろしくお願いします」
 そう挨拶して、女の子と一緒に椅子に座った。 
 まだそれだけなのに、占い師は言った。


「あなた、とても際どいところでしたね」
「え?」


 占い師はSさんの顔をじっと見て、続けた。


「名前が聞き取れなかったのはねぇ、ほんとうによかったですよ」





 あの3人があの後どうなったのか、今どうしているのかは、未だにわからない。








【完】

【禍話リライトは 拙著・禍話リライトまとめ 51~ につづきます…………
 https://note.com/dontbetruenote/m/mdfe74858d008



☆本記事は、無料&著作権フリーの怖い話ツイキャス「禍話」、
 震!禍話 第十夜 佐藤君スペシャル② より、編集・再構成してお送りしました。
 なおアーカイブにおけるタイトル「工業会社の女」より、改題しております。



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