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【怖い話】 青い瓶 【「禍話」リライト 31】

「管理人さんがね、いなくなっちゃったんだよ」
 友達のMさんが唐突にそう言った。
「マンション……引っ越した方がいいかな?」


 全然わかんねぇ、順を追って話してくれ、と言うと、そうだなそうだよなと頷いて、こんな話をはじめたそうである。



 そもそも、変なところのあるマンションだったらしい。

「事故物件とか、自殺者が出たとかじゃないんだけどな。ある時気づいたんだよな。駐車場の片隅にさ──」 

 小さなプレハブの物置が建っている。
 それは別にかまわないのだ。掃除道具とか三角コーンとかビニールシートとか、まぁそんなもんが入ってるんだろうな、とMさんはぼんやり想像していた。

「で、ある日、理由もなく気になってさ。って言うのもその物置、鍵がついてないんだわ」

 いくらたいしたモノがなくても、鍵くらいはかけておくはずだ。ではどんなモノが入れてあるのか。
 Mさんは扉に手をかけて、ツーッと開いた。

 中はカラッポだった。
 何も、ひとつたりとも入っていない。置いてあった形跡もない。

 ……おかしい。
 Mさんは物置の周りに注意を向ける。
 すると、物置の後ろに、ちょっとしたスペースがあることに気づいた。人ひとりなら余裕で入れるような空間だ。
 そこを覗いてみたMさんは、「……え?」と驚いた。 

 そこには、小さな石碑があったそうだ。
 彫られた文字は読まなかったが、物置の背後だと言うのに大変綺麗に掃除してある。蜘蛛の巣も汚れもない。ほぼ毎日手入れされているように見える。
 一階の部屋に夕刻まで待機している管理人さんが掃除しているのかもしれない。

 ──もしかしてこの物置、この石碑を隠すために建てられてるんじゃないか?

 Mさんの頭にふと、考えがよぎったのだという。



「……それで、その石碑に関わる怖いことが起きたんだな?」
「いや、たぶんそうじゃないんだ」
「違うのかよ! もう怖いんだけど!」
「そうなんだよな、これでももう気味悪いんだ。でもたぶんな、俺の体験との直接の関係はないと思うんだよね……」



 ある夜。友達を呼んで、酒を飲んでいたという。
 防音もそこそこしっかりしたマンションなので、多少騒いでも問題にはならない。
 しばらく楽しんでいると、友達のうちの一人がぽそりとMさんに尋ねてきた。
「そういやさっき買い出しに行ったときにさ、1階の廊下を、変なおじさんがウロウロしてたんだけど……」
「変なおじさん?」
「いや、服装とかは普通なんだけどな、どの部屋に行くでもなく、エレベーターに乗るでもなく、ウロウロしてんだよ」
 Mさんのマンションはオートロック式だし、不審者がおいそれと入ってこれる建物ではない。
「住人の家族とかかなぁ」
「さぁ…………」
 それ以上続かなかったので、変な男の話はそれでおしまいとなった。



「……よーしわかった、その変な男が何かしでかしたんだな?」
「いや……そうなのかもしれないんだけど……そうじゃないのかもしれないんだよ」
「全然わからん。それで結局どんなことが起きたんだ?」
「…………その翌朝なんだけどな…………」



 友達を夜半に送り返して、酒でとろけた頭と身体をベッドに突っ込んで、Mさんはグウグウ寝ていた。


 ピンポーン ピンポーンピンポーンピンポーン


 玄関のチャイムが鳴って、Mさんは泥のような眠りから引き戻された。
 体が重い。酒が抜けていない。カーテンの隙間から強い日差しが差し込んでいる。どうもまだ朝の早い時間らしい。
 なんだぁ? 何時だぁ? と時計を見ると、朝の6時半だった。

 ピンポーンピンポーンピンポーン、とチャイムは執拗に鳴り続ける。
 こんな時間に非常識な……ふざけやがって人の睡眠を……などと汚い言葉か頭の中をよぎる。
 子供のイタズラか? とも思ったが、ここはオートロック式。住民の小学生だか高校生だかにしても、朝が早すぎる。
 いや、逆に、こんな非常識な時間に訪問するということは、ひどく重要な用件ではなかろうか。たとえば、火事とか。急病人とか──

 そうなると話は違ってくる。無視もしていられない。
 重い身体を起こして玄関に向かった。

 ドアスコープから覗いてみると、比較的若い男女と中年の男が立っていた。
 見たことのない人たちだが、ごくありふれた私服で、不審者といった雰囲気もない。
 やっぱりこのあたりで何かあったのかな。
 それでもMさんは念のため、チェーンは外さずにドアを開けた。

 3人組はMさんに向かってごく軽く、頭を下げた。こんな朝からすいません、と言いたそうな表情を浮かべている。
「……あのう、どうかしました?」Mさんは顔の幅ほどに開いたドアの隙間から尋ねた。「何かあったんですか?」 

 ところが、その3人は何も喋らないのだそうである。
 申し訳なさそうな顔つきでMさんを見つめながら、時折軽く頭を下げる。
 ……なんですか? どういうことですか? なんか言ってくださいよ。
 Mさんが話を促しても、一言も口にしない。


 ……朝の6時半にしつこくチャイムを鳴らして、ドアを開けても何も喋らない。
 それでいて横柄な感じではなく、むしろ「本当にごめんなさい。すいません」と言いたげな顔をしている。

 この人たちなんなんだ? どういうつもりだろう? 

 Mさんが疑念にとらわれていると、彼らの背後に妙な物が置いてあることに気づいた。

 外廊下の、目隠しを兼ねて作られている、胸くらいまでの高さの壁。
 その上に青い瓶が4本、置いてある。
 海外の酒でも入っていそうな、真っ青な瓶だった。
 昨日痛飲した中に、あんな瓶の酒はなかったよな、いや飲んだとしてもあいつらが外に捨てていくはずないし……
 そう思いながらその瓶をしばらく眺めていた。
 すると。

 申し訳なさそうな表情をしたその3人が後ろに下がり、青い瓶をひとり1本、手に取ったという。
 それからいきなり、ガシャン! と廊下に叩きつけた。
 マンション中に響きそうな音を立てて瓶が砕ける。 


 なに……? なんだ……? 


 Mさんが目の前の光景を理解できずにいると、3人はゆっくりかがみこんだ。
 廊下に散らばっている欠片の中から、大きめで尖っているものを選んで、拾い上げ、それを持って立ちあがり、Mさんの方に向き直って……

(うわっ!? 刺される!?)
 Mさんは反射的にドアを閉めた。震える指でロックした。
 探るようにドアを注視しながら部屋に戻って、スマホを探す。警察に連絡するつもりだった。
 朝の6時半過ぎに人の家を訪問して、ガラスの欠片を握っているわけのわからない男女がいるのだ。通報して当たり前だ。
 歩み去る足音もしないし、扉の向こうの気配も消えない。ドアスコープを覗く気にはなれなかったが、3人組はまだ瓶の破片を握ったまま、同じ場所に立っているに違いない。たぶん、あの申し訳なさそうな顔つきで。
 
 ところが、スマホが見つからない。テーブルの上にもテレビの近くにもない。玄関にもなければトイレにも風呂場にも台所にもない。廊下にも落ちていない。
 え? えぇ? なんで? どこいった? とMさんは混乱しながら十数分、部屋の中をグルグルはがし回った。

 ──後から考えれば、ひどくおかしなことをしていた、と言う。
「結局さ、いつもの場所に置いてあったんだよ」
「いつもの場所?」
「ベッドの脇の、枕の横に。それがスマホの定位置なんだよな」
「…………そこを、探さなかったの…………?」
「そうなんだよ。何処よりも先にまず、そこを見るはずなのにさ」 
「…………なんで?」
「わかんない…………」


 ない、ない、なんでないんだ……? と、定位置以外の部屋中をひっくり返す勢いでスマホを捜索していたMさんだったが、聞き慣れた音がしたのでハッと顔を上げた。

 階段に通じる外廊下のドアが開いて、閉まった音だ。

 時計を見る。7時近い。
 そうだ、もう管理人のおばさんが、朝の掃除をはじめる時間なのだ。ホウキとチリトリを持って。この階からおっとりと掃き出していく時間──

 おばさんが危ない。

 Mさんは玄関に飛んでいって、ドアスコープから外を覗いた。
 さっきの3人組はやはり、すまなそうな顔で「こっち」を見ている。手には青い物──瓶の欠片を持ったままだ。
 どうしようか迷った。おばさんに知らせようか考えた。だが今ドアを開けたら、たとえチェーンがついていたとしても、その隙間から瓶の欠片を突っ込まれるかもしれない。
 ドアを開いた途端に真っ直ぐ、顔面や腹に突き刺さってくる青い瓶の欠片。
 そんな想像がよぎると、鍵を開けることがためらわれた。
 どうにかしたいが、どうしようもない。恐怖とじれったさに歯噛みしながら外廊下を覗いていると、その視界におばさんの姿が入ってきた。
 おばさんは不思議そうな顔で3人を見る。

「あのう……すいません、どうかされました?」 

 おばさんは見知らぬ訪問者にそう聞いた。
 3人組は無言で、おばさんの方へと首を巡らせた。
 それから一言も発さず、申し訳なさそうな顔つきのままで、おばさんを取り囲んでしまった。
 
「えっ? あの……ちょっと……?」 

 大変だ……おばさんが……! 
 ドアは開けられない。スマホは見つからない。怖くて声も出ない。Mさんは息を飲んで様子を見守るしかなかった。

 瓶の欠片を使った惨劇を覚悟していたMさんだったが──


 3人組の中の一番年嵩の中年の男が、おばさんの耳に何かひそひそと耳打ちした。
 内容はわからなかったし、唇の動きも読めないくらい小さな声だった。
 見知らぬ男女に取り囲まれて、困惑した様子でその耳打ちを聞いていたおばさんだったが、それが終わった途端に表情ががらりと変わった。

「あぁ、そういうことなのね」 
 そんな顔になった。

 おばさんは持っていたホウキとチリトリを投げ捨てた。そして後ろを振り返る。
 置いてある青い瓶。4本あったうちの残り1本を手に取った。

 おばさんは、それを頭の上に振りかぶって、ガシャン、と廊下に叩きつけた。
 それから音もなく、男女の集団に加わった。
 おばさんは先程の困惑からうって変わって、とてもすまなそうな、申し訳なさそうな表情になっていた。


 ……ドアスコープ越しの出来事に、Mさんの理解力が限界を越えた。

 あぁ、これはアレだ、悪い夢か幻覚かなんかだ。疲れてるんだな。これはもう一回寝た方がいいな。今日は休みだし。二度寝しよう。寝よう寝よう。
 朝の7時だったが、昨晩友達が飲まずに残していった酒の中から一番キツいやつをぐっと飲んで、「寝よう、寝よう」と言いながら布団に入った。
 朝イチで空きっ腹にぶちこんだ酒のせいで頭の中がグルグルし、Mさんはそのまま眠りに落ちた。 


 起きると、昼の2時だった。酒のせいで頭が痛い。気分も悪い。
「いやぁ~ひどく飲んじゃったな……。あっ……!」
 起きてすぐに、今朝の出来事を思い出す。
 幻覚か夢だったはずだか、Mさんは怯えながら玄関に行きスコープを覗いた。
 誰もいない。
 よかった、やっぱり変な夢だったんだ、と安堵しつつ、チェーンをかけたままドアを開けた。その隙間から見てみても誰もいない。
 顔を半分出して廊下の左右をざっと見渡したが、ひとっこ一人立っていなかった。
 いやぁ、おかしな幻覚だったなぁ、とドアを閉めようとした途端、足元に目が釘付けになった。

 青い瓶の破片がパラパラと落ちている。


 ………………。


 チェーンを外して廊下の左右を見た。
 ホウキとチリトリが、廊下の隅っこに乱暴に立てかけてある。


 ……………………。


 頭は痛いし気分はよくないし、体もだるくて仕方ない。だが今はできるだけ早く、このマンションから逃げ出したかった。
 着のみ着のまま、無精髭も剃らずに部屋を出た。コンビニや本屋や公園をうろついてできるだけ時間を潰した。夜になってから帰宅する勇気はなかったので、暗くなる前に帰った。
 自分の部屋の階でエレベーターの扉が開く瞬間は身が固くなったが、廊下にはもう、青い瓶の欠片や破片はなかった。
 あぁ、管理人さんが片付けてくれたんだ。じゃあ、変な奴らが来て瓶を割ったのまでは本当で、その後のことは夢か何かだったのかな。きっとそうだよ。いやぁよかったよかった…………
 


「…………でもその日からさ、管理人のおばさん、来なくなっちゃったんだよ」

「えぇ…………なにそのマンション…………気持ち悪…………」
 全部聞き終えたMさんは顔を歪めた。それからいくつか、質問をした。

「前の晩に、1階をうろついていた奴ってのは結局なんだったの?」
「わかんない……」
「管理会社に連絡とかしてみたの?」
「うん、担当をたらい回しにされてさ、最後は曖昧な感じで『いま代わりの管理人を探してますので』だって……」
「同じマンションの人に聞いてみたりした?」
「人づきあいが少ないからアレだけど、聞いてみた範囲では、青い瓶のことも変な奴らのことも、管理人さんのことも知らないみたいだった……」
「そう……そういえばさ、管理人さんが手入れしてたその、最初に出てきた石碑、あれどうなってんの?」
 最後にそう聞くと、Mさんは身を乗り出した。
「あっ、それなんだよ……それなんだけどな……」


 しばらくはその失踪のことばかり気になって、妙な石碑の存在は頭から消えていたのだという。
 つい昨日のこと。
 駐車場で、カラの物置が視野に入った。それで思い出した。
 おばさんはいないけど、あの石碑はどうなっているんだろう。

 Mさんは少し怖かったが、物置に近づいた。
 石碑にホコリや綿ゴミがくっついていて、蜘蛛の巣の1つや2つ張っているのではないか、とぼんやりイメージしながら、そっと裏を覗いた。

 石碑は、ピカピカに掃除してあったという。

「…………以前と変わりなく、いや最初に見たときよりも綺麗にされてるように見えてさ…………」
「……………………」
「住人がそんなもん掃除するはずもないし、業者が来てる様子もないしさ、あれ、誰がいつ手入れしてるのか。わかんねーんだよ…………」


 要らないことを言う奴はいるものである。そこまで聞いていた友達はぽつん、とこう言った。


「それさ……いなくなったおばさんが、掃除してるんじゃないの?」
「…………は?」Mさんが聞き返す。
「いなくなったおばさんが、石碑を掃除するためだけに、ちょくちょく戻ってきてるんじゃないの……?」
「…………バカお前やめろよ! そんなんお前、怖くて住めなくなるだろ!」 
「いや、だって、最初の相談が『引っ越し方がいいか?』だったし……」
「そりゃそうだけど……! もう引っ越すしか選択肢がなくなっちゃっただろ!!」


 怖いことを言われてしまったので、Mさんは引っ越しの算段をしているそうである。 
 石碑、変な集団、青い瓶、いなくなった管理人。
 繋がるようで繋がらない、そんな話である。




☆本記事は、無料&著作権フリーの青空怪談ラジオ「禍話」
 梅雨の湿気対策スペシャル より編集・再構成してお送りしました。
 なおこの話のひとつ後に、思い出したように突っ込まれたのが、こちらの話 です。

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