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ドイツの窓

ドイツの家の窓から見える景色がほんとうにすきだった。分厚いマットレスみたいな雪を被ったもみの木を眺めながらワッフルを焼いた。言葉は分からなくても君を知りたいと心から思った。結婚したいと言ってくれた9歳の男の子が今年で15歳になる。jaとneinしか話せないわたしをはじめからそこに居たかのように受け入れてくれたひとを思い出す。腫れ物扱いすることも特別扱いすることもなく、でもとても優しく親切にわたしの拙い言葉を生活に溶かしてくれた。いまわたしは外側だけ大人になってしまったせいで言葉は通じてもこころが通じないことばかりで4月はすこし疲弊して、君を夢に見てしまった。

今週は会議が1日置きに3つもある。社会人になって3年とちょっと経つけれど、未だに「年度」という概念に慣れない。少なくともわたしの1年は毎年12月31日に終わる。
3月は年度の締めなので、周りはすごく忙しそうにしていて、わたしはひとりで自分の営業成績を心にも留めずぼーっと時間が過ぎるのを待つ。
社会ではすばらしい1年は4月にはじまるらしい。
だから4月はこれまでを振り返ったり新しい取り決めをしたり、何か計画したりする為に話し合わなければいけない。

わたしはほんとうに会議がだいきらい。ほんとうは会議で注目されるのがだいきらい。
入社してすぐ、世の中にはこんなにも趣のない芸術点の低いイベントがあるのかとショックを受けたことを鮮明に覚えている。それだけでも憂鬱なのに発言の順番まで回ってくる。それは装丁が弁えられている必要があって、落書きでいっぱいの自由帳や付箋だらけの詩集はお呼びでないことを知って絶望した。

どうしてこうも大人はひとを集めて答えのない話し合いをしたがるのか訳が分からない。時間をかけてたくさん伝達することが意義があるということなのか。会議で上手く旗振りをすることがスキルアップならわたしのスキルはこの先ずっと底辺じゃないか。言葉にしたって会議が終わったら誰もが忘れるような場所で消耗されるくせに求められるひと言は “一言”ではない。話し合っても結局解決しない何かに時間を割くより「あなた」をもっと知りたいとは思わないのか。

単語ひとつ聞きとるのに苦労していた留学中の方が寧ろ心は開放的だったし常に考え続けられた。パリで知らない女の子と友達になって色々な場所に出かけた。何も話せなくてもスーツケースひとつでどこへでも自由に行けると思った。道に迷って携帯の充電がなくなっても野良猫を撫でる心の余裕がある。わたしが培ったのは不器用でも突き進める屈託のなさなのに、いま求められることはなんでも綺麗にできることな気がして窮屈。

好きなことだけ考えて過ごしているから中身が素養で詰まった振りができない。会社の会議になった途端、ひとの言葉が脳を介さずすり抜けていく。どうして皆そんなにすらすらとそれらしい台詞が出てくるの。わたしの世界にそんな会議用の語彙は落ちてない。だれか拾って持ってきてくれ。

よく考えて、みんなじゃなくて誰かのために言葉を選ぶのがすきなわたしには4月は窮屈。会議の度にわたしの良いところが何ひとつ光らないのに社会人として足りてないであろう何かにサーチライトが当たる。自分の居場所が狭くなるみたいで窮屈。ドイツの窓がその都度遠ざかるみたいで窮屈。

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