【1000字小話】大人を叱る人はどこに?という話

ここ最近ふと疑問に思った。

”大人は誰に叱られる?”

まるで子供の時に叱られた時に感じていたような話だが、いまだに答えが出てこない。

もちろん。仕事や人間関係などで叱責という形で出てくることはあるはず。
例えば遅刻してしまった、書類ミスをしてしまった。みたいな。
こういう時は総じて上司だったり、いわゆる”上”の立場の人から叱られるということになる。

ただ、こうした”お叱り”は限定的というか仕事という役割の中で、行動を修正する必要があるからそうされるわけだ。



では、ちょっと範囲を広げて考えてみよう。職場のような限定的なくくりではなく、もっと日常的な、例えば誰か、ごみのポイ捨てをしていたとして、それをやめさせて、今後させないためにそれが悪い行動と認識させるのは誰か?

砕けて言えば、”それダメですよ。”を言うのは誰か?という話。

先に結論だけ言っておくと、明確にそれをできる存在があるかといえば、そうではないと思っている。
場合によっては、”ほうたらかしになるんじゃないか”とさえ思っている。

そして、この問題は今後進んでいくんじゃないかな?と思っている。

無論、法律を破っている、誰かに危害を加えている場合などであれば、お巡りさんをはじめ”司法”に対応が任される。
それで立件されれば裁判にもなるし、何らかの形で刑が下る。社会的に罰を受けることになる。



でも、司法にもリソースは存在する。ルールとして明文化されていないけど、道義的には間違っていること、ルールを破っていてもその程度が低いこと。そうしたことにまで対応しきるのは無理だ。

そういうレベルの”小さなルール違反”を修正する役割は誰か。普通の人なわけだ。自分たちで修正し合うしかない。今んとこは。。。

でも指摘しても聞かない人、逆上する人、これは絶対数いるものだ。
(体感2割ほど…)
こういう人たちであるか確証もなしに誰かを指摘するということは、何が起こるかわからないリスクがある。
”言うべきだけど、どう転ぶかわからないから言えない。”

すると言われなかった人はそれを繰り返す、そして真似をする人が出てくる。このチリツモをどう抑えるべきなんだろうか?
正直な所を言えば、”その場の多数決”か”後ろ盾を認識させる”くらいしかないんじゃないかと思う。
突き詰めたら何らかの”パワー”を見せることなのかもしれない。

あなたはどう考えますか?


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